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これから経営を志す人にオススメしたい「新日本プロレスV字回復の秘密」ブックレビュー

こんにちは guro です。更新がかなり久しぶりになってしまいました。やはり習慣化するって難しいですね。。でも継続は力なりということで、自分なりのペースで更新を続けていきたいと思います。

今回紹介したいのはKADOKAWAさんから刊行されている「新日本プロレスV字回復の秘密」。新日本プロレスという(私にとっては)非常にわかりやすい企業を題材にして、一時期の隆盛から暗黒時代(一度はみなの記憶から忘れさられたかに見えたプロレス)、そして現在の再ブームに至るまでをインタビューをもとに時系列で詳しく説明されています。財務分析、市場マーケティング、M&Aの観点などの経営の詳細な部分は割愛されていますが、これから経営を目指したいという人には非常に分かりやすく、導入書としては参考になるのではないかと思いますので、簡単なブックレビューにて紹介します。

新日本プロレスの売上推移

過去最高の売上は1997年の約40億円。この年のプロレス大賞MVPは蝶野正洋選手。そうですあの「nwo」が一世風靡していた時ですね。それ以外にも4大ドーム興行もありましたし、長州引退もこの時期。さらに小川vs橋本の初戦もこの年でした。この時期の新日ジュニアはベビーにも負けず劣らずで面白かったことを記憶しています。新日本プロレスでトピックスが最も多かった時に売上が一番多かったことは容易に想像できます。

しかしそれをピークに新日本プロレスの売上は下降曲線を描き始めます。2000年は35億円弱。2003年は30億円強。2005年は一気に減って14億円。それ以降も2012年の人気回復劇が始まるまで10〜15億円のあいだを行ったり来たりしました。やはり一番の原因はファンが離れて興行収入が激減したこと。その要因について詳しく本書では書かれています。

プロレスが死んだ日

1999年1月4日、小川直也と橋本真也の3度目のシングルマッチ。これを多くのプロレスファンは「プロレスが死んだ日」と呼ぶことになります。試合自体は6分58秒ノーコンテスト(無効試合)となった試合だが、試合後に場外の花道ではまるで敗者のように横たわっている橋本真也が倒れている。鼻を折られて顔面は血まみれ。腕の靭帯を伸ばされ、事実上完全にKOされていた。本書はこのシーンの詳細な描写から始まります。

なぜこの試合を「プロレスが死んだ日」と呼ぶかというと、私の個人的な見解ではプロレスがピボットの方向性を間違えエンターテインメント性を失ったことが要因だと思っています。

この時の新日本プロレスのオーナーは"神"ことアントニオ猪木氏。説明の必要のない絶対的な存在です。そんなアントニオ猪木氏が、K-1やPRIDEのリアルファイト(ガチンコ勝負)のブームに焦りを感じたのが原因。各レスラーにもリアルファイトのようなバチバチとした試合を求めたが、選手自身は冷ややか。そんな状況に業を煮やしたアントニオ猪木氏が自身の秘蔵っ子「小川直也」を総合役闘技ファイターに育て上げて、「新日本プロレスを潰してこい!」と号令を出して送り込んだというのが定説とされています。

ここでの新日本プロレス(アントニオ猪木氏)の失敗は顧客のニーズを見間違ったこと。確かにその当時の状況といえば、K-1やPRIDEといったリアルファイトがブームになり、チケットは飛ぶように売れて一見多くのファンが流れて行ったように様に見えました。しかし、実際はプロレスからファン流れているのではなく、今まで格闘技に興味を示さなかった人がリアルファイトの面白さを知り、熱狂したに過ぎません。実際のプロレスファンはそのストーリー(物語)やエンターテインメント性に惹かれていたにも関わらず、エンターテイメントと非なるリアルファイトをプロレスに持ち込んでしまった。顧客のニーズを見失い、全く必要のないピボットを行ってしまった。ここに新日本プロレスの没落が始まり、プロレスが死んだ日が生まれてしまったのです。

これ以降もアントニオ猪木氏は格闘技系の"刺客"を送り込み、嫌気が差した人気選手は退団していく。それに業を煮やしたファンはどんどん離れていく。このサイクルが続き、全盛期の1/3までの売上に落ち込んでしまうのです。

再ブームの礎を築いた「ユークス」期

そんな暗黒時代を迎えた新日本プロレスだが、2005年11月に"一つ目"の大きな転機を迎える。株式会社ユークスがアントニオ猪木氏の所有する新日本プロレス株51.5%を取得し、新日本プロレスを子会社化する。ユークスは1993年に設立し、2001年には大阪証券取引所ナスダックジャパンに上場している企業。主力事業はプロレスをモチーフにしたテレビゲームの販売で、プロレスにも愛着が深い企業。「プロレスの灯を絶やさない」という思いから2億円で株式を取得した。ユークスの谷口オーナーも自分の会社をここまで大きくしてくれたプロレスに恩義を感じていたという。

これは今のブームを向かれるにあたって非常に大きな2つの変化が訪れた。

一つ目はアントニオ猪木氏の呪縛から開放されたこと。この当時もアントニオ猪木氏はプロレスのエンターテインメント性に異議を唱えており、PRIDEにゲスト参戦したり、自身のリアルファイト興行「イノキ・ボンバイエ」などを行っていた。しかも猪木氏の「鶴の一声」も多く、いきなりオーナーの意向でマッチメイクが変更となることとも多く、現場の不満も募っていた。

二つ目は上場企業が経営に参画したこと。ユークスの谷口オーナーは副社長の菅林氏(新日本生え抜き)に「健全な経営をして、いい試合をして、お客さんに楽しんでもらえるようにしてくださいね」と伝えた。もともとユークスも事業には口を出さないと約束していたようだが、この健全な経営という部分が大きい。

新日本プロレスは今までの個人商店のようなドンブリ勘定から、上場企業の子会社になるのことで四半期に一度公認会計士からのメスが入るようになった(それまでは地方興行などはチケットが無くなったら、紙に手書きで入場券を作って売上げ金を足元のダンボールに入れていたレベル)。そのことで財務部門は非常に強固になった。またテレビ局からの放映権料を担保に銀行からの借入も多かったが、ユークスが一括返済した。また今まで一興行あたりの観客動員目標やその損益勘定も曖昧だったのだが、すべての興行や会場キャパシティ、収益目標を明確化して経営を行っていた。現在の会社なら当たり前のことができていなかった部分を改善できたのが、このユークス期で得られた大きな変化と言える。

それでも2005〜2011年までのユークス期では新日本プロレスの売上は回復に向かわない。

蘇る新日本プロレス

限定された地域で興行を続けていた新日本プロレスに救いの手を差し伸べたのは株式会社ブシロード。バディファイトなどのカードゲームを中心に事業を展開し、2010年に32億円、2011年に64億円、2012年は連結で150億円もの売上を達成した快進撃を続ける企業だった。2011年のG-1クライマックスにスポンサードをしたのをきっかけに新日本プロレスとの関係を強め、2012年にはユークスから新日本プロレスを引き受けることとなる。買収金額は5億円と言われている。

このブシロードの木谷オーナーが新日本プロレスの経営に参画したのが、新日本プロレスのV字回復した最大の要因だと思う。

木谷オーナーは山一證券出身。ある事件をきっかけに退職した同氏は、全く分野の違ういわゆるオタクビジネスを始める。それがキャラクターグッズの販売などを行う株式会社ブロッコリー。コミケが始まる2年も早い1994年にこうしたキャラクタービジネスを始めていた時点でその流行の一歩先を摑むセンスが感じられる。そして2001年にジャスダックに上場。その後、業績不振が続いた時期を迎えた後に同社を黒字回復させたが、大株主に「もういなくていいよ」と言われ同社を退社。その後立ち上げたのが株式会社ブシロード。ゼロからのリスタートで2015年の連結売上は212億円というから、すごいの一言としか言いようが無い。ちなみに木谷オーナーは根っからのプロレスLOVEな人物としても知られている。

木谷オーナーは新日本プロレスに4つの改革をもたらしました。

一つ目はメディア戦略。木谷氏は今までの経験からメディアに精通していた。またメディアを利用することで、版権の価値が上がり、版権を利用した2次収入、3次収入が得られることも理解していた。そのことから社内にメディアに精通した人物がいなかった新日本プロレスで、自身が先導しメディアを活用するようにした。※一例ではあるが、週プロ見開き年間契約、BS朝日にて再放送枠、MXにてタイガーマスク再放送、ラジオ日本にて自社番組制作、カードゲーム「キングオブプロレスリング」発売、自社コンテンツヴァンガードCMにて選手の登場、アメトーークによるプロレス芸人など多岐にわたる。

二つ目は映像資産の活用。30年間ほどテレビ朝日は「ワールドプロレスリング」というプロレス番組を放映していた。木谷氏はこれを資産として捉えた。調べてみると放映権は50:50。これは新日本プロレスが盛り上がれば大きな収益源と考えるようになる。この発想が現在の有料会員型の映像サービス「新日本プロレスワールド」につながる。

三つ目はG-1クライマックス直前の大掛かりな広告展開。ここに木谷氏の"センス"が感じられる。実際は①山手線56駅74面に巨大ボード ②2階建てのロンドンバス ③山手線11両まるごとラッピング ④新宿駅に20面の巨大ポスター ⑤関東JR全車両に9000枚のポスター ⑥東京メトロ全車両で中吊りジャック ⑦東京メトロ管内で5秒スポットを展開した。何億円使ったんだろう?でも本気度が感じられる。どこがセンスが良いかというと、実施の意図が熟知されている方の考え方だった。木谷氏いわく「交通広告を出したのは"流行ってる感を出すため"。新日をグループにしてから、何年もやっている取引先から実はプロレスファンなんですよと言われました。え、あなたが!っていう感じでした。ということはお互いプロレスファンでも、お互いがそうであることを知らないことが多いのではないかと考えました。だから会話のきっかけを作りたかった。看板を見て、昔好きだったたなと思ってもらう。え、お前も好きなの!じゃ、今度一緒に行こうか!という状況を作りたかったんです。」なるほど。そうした流行ってる感を出すにはチマチマした広告出稿ではダメ。一気に集中したのが功を奏しました。※僕も広告マンとして"流行っている感"なんていうことは昔から口にしていましたが、ここまで完璧に実践できている人は初めてです。お恥ずかしい。。

4つ目はスターの育成。中邑真輔、棚橋弘至、オカダカズチカ、飯伏幸太といったスターを徹底的に育てました。それは木谷氏自身がかつてタイガーマスクに憧れた記憶からだといえます。つい先日も木谷オーナーはオカダ選手を2億円をかけてスターに仕上げると宣言しました。やはりショービジネスにおいてスターは不可欠。そんなスターをしっかりと分かりやすいキャラクターをつけて育てるというのがエンターテインメントの中では最重要要素です。しかもイケメンだと新たな女性というファン層を獲得できることも想定の範囲内でしょう。

こうして新日本プロレスはV字回復した

こうした木谷オーナーの戦略もあって新日本プロレスは復活しました。むしろ昔以上の熱狂とも言えます(先日のG-1クライマックスはチケット全然手に入らなくて困った)。すでに「プ女子」といわれるプロレス好きの女性も獲得でき、新たなムーブメントになっていますし、興行収入以外の収益源もいくつも用意されました。まだまだ書きたいことはいっぱいあったのですが、疲れたのでこの辺にしておきます。

すこし思い余って長文になってしまいましたが、要するに事業の失敗の要因から、回復させるに至るまでを「背広組」を中心に書かれた書籍です。非常に題材がわかりやすいですし、その当時の経営者がどう考え、どう行動して、その結果がどうだったかが鮮明に書かれています。小難しい経営書とは違って、物語のように読み進められるので、タイトルのようにこれから経営を志そうとしている人にピッタリかと思います。少しでも興味を持った方はぜひ読んでみて損はないと思います。(もちろんただのプロレスファンでも楽しめる内容ですよ〜)

参考:新日本プロレスV字回復の秘密

guro



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