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某総合商社での運命の出来事

どうも。クラシック音楽好きのguriです。
今回は10年ほど前、私が某総合商社のグループディカッション(以下GD)に参加した際の出来事について、つらつらと書いていければと思います。

某総合商社のGDは、約6人程度で1グループが構成され、社員さんから出されたお題に対して、一つの回答を導き出す、という一般的なものだった。
当時の私は、以前の記事で記載した通り、外資系企業二社より既に内容を頂いており、周りの学生よりも気持ちに余裕があり、若干斜に構えていたと思う。それが原因で要らぬ発言をしてしまうのだが。

GDのテーマは「当某総合商社で働くとは何か」でした。

まーよくあるテーマですね。
幸いなのかわからないが、開始早々私所属グループを仕切ってくれる優秀MCが出現し、その方のお蔭様で、スムーズに皆の意見の回収・アイデアの深堀りが行われていた。

「グローバルな視野で、発展途上国・世界の貧困層の方々の生活を豊かにする事」
「あるところから無いところに価値を最適な手段で供給する事」

等々、あら素敵ですね。という感じで私は聞いていた。

いよいよ私の順番となり、優秀MCから「guriさんはどう思いますか。」と、柔らかいパスが出されたのですが、上述の通り、斜に構えていた私は、「人のお金で遊ぶ事です」と、新春の陽気にも負けない程の爽やかな笑顔で答えた訳です。

ご察しの通りの空気が流れ、私の背中にも冷たい汗が流れた。咄嗟のセルフフォローとして、「それくらいの気概で、自分も楽しく、周りの関係者も楽しく、世の中に価値を提供する事です。」と意味の分からない事を言ってその場を逃げ切ったのだ。

ただ、実際誤解を恐れずに言えば、私の本音は「人のお金で遊ぶ事」と思っている
つまり、言ってしまえば、先人が築き上げてくれた資産をたかだか成人を迎え数年経った程度の人間が、アイデア次第で自由に活用させて頂ける機会がある、という所に面白みがあり、それをたかだかクビをきられる程度のリスクでチャレンジ出来る環境があると考えるからだ。
これを個人でやろうと思えば、数千万・数百万の規模の投資でも大変なのは、火を見るより明らかだと思う。
そんな思いとは裏腹に、当GD以降の私は、いつ面接官に「弊社で働くとはなんですか?」的な質問をされたときに、「世界の人々を幸せにする事です」という宗教臭い回答をするスタンバイを整えていた。幸いな事に、この様な質問はされず、某総合商社の選考はスムーズに進み、無事内定を頂き、入社した訳である(外資金融は断りました)。

入社後、化学の営業部隊に配属された私は、部長始め、部の方々にご挨拶に向かった。
軽い雑談を交えながら皆さんとの挨拶を済ませ、自分の席に戻ってくると、席の真後ろに未だ挨拶をしていない先輩社員がいた。年齢は40歳位の癖のありそうなおじさんだった。
実は私には師匠と言える人が4人いる。その内の一人が、この癖おじさんである。
私はすぐに再度席を立ち、真後ろの癖おじさんに向かい、挨拶に向かった。
「初めまして!本日配属頂きましたguriと申します。どうぞ宜しくお願いします!」こんな要領で。
端的な自己紹介を互いに行い、すぐに終わると思っていたが、結果、部長に「うるさい。帰れ。」と一喝されるまで続き、気付けば2時間以上喋っていた。

2時間にわたる会話の中で、今でも鮮明に記憶しているやりとりがある。
簡単な自己紹介を済ませた後、「趣味は何?」、「大学生の頃は何してたの?」等々のよくある質問を受け、会話にリズムが生まれてきた時、唐突に癖おじさんは私に「サラリーマンって何だと思う?」と聞いてきたのだった。
一瞬にして私はGDの時の苦い想い出を回想した。そして発するべきベストアンサーを瞬時に探し当てた。
「この会社のサラリーマンは、グローバルな視野を持ち、世界の人々を幸せにする為に価値を提供する人です。」
今考えればなんとも言えない回答であるが、当時の私は汎用的で使い勝手の良い回答として、採用していたのだろう。
ただ癖おじさんは、まさになんとも言えないなという表情を浮かべていた。
そして何とも言えないなという表情を崩さぬまま、
「サラリーマンってのは人の金使って遊ぶ事なんだよ。センスねーな。」
鳥肌でした。

その後急速に癖おじさんとの距離は縮まり、その度に部長に叱られ、部長との距離は遠ざかっていくという日々を過ごしたのは言うまでもない。
当たり前であるが、その方も「単に人様のお金を使って遊ぶ」という言葉通りの意味で喋っているのではない。むしろ先人に対するリスペクトは、他社員の比ではない程お持ちであった。

その後、癖おじさんは昇進し、管理職となり、今もバリバリ第一線でご活躍していると伺っている。
今でも定期的な連絡はとっているものの、私の退職後は実際に顔を合わせて会っていない。
理由はお互いなかなか時間が取れないという事も一つあるが、私の送別会として、癖おじさんに食事にお連れ頂いた際、次会う時は明らかな成長を自分で感じた時にお互い声を掛け合おう。という事になった為である。
その為、次回の約束をする事もなく、ご馳走様でした。また宜しくお願いします。といういつも通りの言葉と共に頭を下げ、その夜を閉じた。

いや違う。
正確にはお互いベロベロになり、地下鉄の改札の前で私は泣いていて、癖おじさんに肩を持たれていたのだった。

癖おじさんとは、あまりにも多くの話をさせて頂いた為、話したいストーリーがたくさんある。
また気が向いた際に、書こうと思う。
そして気が向いた時に、癖おじさんに連絡してみよう。
まだ早い、と言われる事間違いないが、その声も久々に聴いてみたい。

今回の話は、結構前であるが、かなり鮮明に覚えており、一筆書きの様に書けた気がする。
まさにクラシック音楽みたいなものだ。

以上

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