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手作りラジオで音楽を聴いていた話

以前した投稿でも書いたけれど、私が育った家はNHKのニュース以外TVがほとんどついていない家だった。
ラジオもない、CDもデッキを使わせてもらえないので、小学生の時は、その当時流行っている曲を聴く手段が存在しなかった。

ところがある日、当時、親が学研の雑誌(科学か学習のどちらか)を購読させてくれていて、その雑誌には毎号なんらかの付録がついてくるのだが、その雑誌の付録が手作りラジオだった。小学5年生くらいの時だったと思う。
手作りラジオと言っても、ハンダでパーツつけるとかではなくて、すでにできている回路にイヤフォンの導線とアンテナの導線を繋ぐだけの簡単な代物だった。
でも、それでも、イヤフォンからはラジオが聞こえた!!感動的だった。
私が生まれて初めて手に入れたメディアにアクセスできるアイテムだった。
そのラジオを手に入れたことで、私は当時流行っていた曲をラジオを介して聴けるようになった。ただ、いかんせん簡易ラジオであるため、TBSラジオとラジオ日本の二局しかまともに入ららず(東京23区内なのに)他のチャンネルはとても電波が悪かった。

でも、私はどうしても聞きたい番組があった。
それは毎週金曜日の22:00〜24:00に文化放送でやっていた『フライデースーパーカウントダウン50』通称『スパカン』である。
スパカンはその週のヒットチャートを50位から紹介してくれて、20位くらいからは曲もちゃんと流してくれる。今一番流行っている曲を確実に聴くことができる番組だった。
ただ、電波のほとんど入らない文化放送。そして当時の就寝時刻は21時だったので、22時も24時もバレるとまずい時間。
それでもどうしても聞きたかった私は、必死に文化放送の電波を部屋の中で探しながら聴いた。時にベットの頭の上の部分に立って、天井の方まで手を伸ばした姿勢で聴いた。たまに母親が寝ているかどうか確認しに二階に上がってくるので、その音を警戒しつつ耳をそばだたせて聞きながら聴いた。
スパカンはカウントダウン形式だったので、1位が流れるのは24時近く、眠気と格闘しながら聴いていた。本当に必死だった。

電波を拾っても文化放送の音声は小さく、ノイズの向こうに微かに小さく聞こえるだけ、時に全く聞こえなくなることもあった。それでも毎週金曜日が楽しみで仕方がなかった。

その後中学に上がると、英語の教材を聞くためにラジカセを買ってもらえたので、もっといい音でラジオを聞けるようになった。

私は今40歳だけれど、私と同世代の人で、そんな思いをしてラジオを聴いていた人あまりいないだろうなぁと思う。(笑)
今はTVも見れるし、インターネットで好きなだけ動画が見れるけれど、あの不便さとワクワクが少し懐かしいなとも思う。

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