自意識の範囲を広げすぎるとそりゃなんでもかんでも刺さるよという話。
※文中に出てくる図がへたくそなのは仕様です。
ぐらです。ところであなたが「自分の話をしているな」と感じるような範囲はどこまでありますか?
ちょっと伝わりにくいですね。
「△△(主語)はこれこれこういう理由でクソ。よくない。」という文章があった時、
どの主語だと自分のこと言われていると感じますか?
「人類」という主語だったら?
「アジアに住んでる人」という主語だったら?
「日本人」という主語だったら?
「〇〇地方に住んでいる人」という主語だったら?
「男」、「女」という主語だったら?
「〇〇歳代」という主語だったら?
「貧乏人」、「金持ち」という主語だったら?
「オタク」、「腐女子」という主語だったら?
組み合わせても良いです。
「日本人 20歳代 オタク」のような複数条件でやっと自分のことだと感じられますか?
これを自意識の範囲と名付けます。
「日本人」・「男」・「女」などの広い範囲で反応しちゃう人は自意識の範囲が広い、
「日本人&○○地方在住&20歳代&オタク&男」のように複数条件でやっと反応する人は自意識の範囲が狭いということにします。
自意識の範囲が広いほど的が大きくなる
例に出したように「日本人」や「男」や「女」などの広い範囲の主語に、「自分のことだ」と感じてグサグサ刺さってる人いませんか?
「日本人は〇〇だ」って言われて自分のこと言われてるって思って「俺はそうじゃない!」っていう人、
紙の上に書かれた想像上の「女性」を自分のことだって思って心を痛めている人。
自意識の範囲が広すぎるんです。
そりゃそうでしょ。
「日本人」だけで1億数千万人、それぞれの(身体の)性別で各6~7千万人もいるわけで。
そこまで自意識の範囲を広げてたら、それらに向けられた言葉はそりゃ刺さる。
別にこれ悪口に対する反応だけでもなくて。
「社会人ならこうしなきゃいけない」みたいな話を社会人の自分に言われてるように感じて焦ってしまったり、
「20代は最低限こういうの買わなきゃ」って広告を20代の自分に宛てられたものだと感じて無理して買ったり、
とにかく自意識の範囲が広いためにあらゆる情報を自分に宛てられたものだと思って受け取り、
そして上手く処理できなくて怒ったり不安になったりしてしまう。
これは良くないでしょ、たぶん。アンテナが広すぎる。
自我の密度が減る
言葉遊びですが、体積が増えればそれだけ密度は減りますよね。
自意識の範囲が広がるとそれだけ"自分自身"が薄れていくように感じます。
私の周りにも何人かいます。
「男はこうじゃなきゃ」、
「女はこうじゃなきゃ」、
「社会人ならこうしなきゃ」、
「受験生ならこうしなきゃ」、
こういう社会からの情報に従って生き方を選んでいる人。
もっというとそうしなきゃいけないという強迫観念に基づいて生きている人。
私も昔はそうでした。
でもこの生き方、私にはつらかった。
自分が「正解なのか」がいつも不安だった。
例えば「日本の男ならこうしなきゃいけない」なら自分が日本の男性何千万人の中の何位なのかいつも気になった。
自意識の範囲が広いほど受け取る情報も競争相手も増えて、だんだんと自分の意思が介入させられなくなる。
密度の薄い"自分自身"では何かを決められないから。
周りに流されて生きている。(良いか悪いかは置いといて)
"ぐらさん"って呼ばれてやっと自分宛だと気づくぐらいがきっといい。
私は「日本人 男性 20代 地方在住」くらいの複数条件があってやっと自分のことだと反応します。
これもまだまだ広い。
だから周りがちらほら結婚しているからといってする気もないのにちょっと焦ったり、
自分がどう生きるかについて"他人がどう思うか"が判断材料になってしまったりしています。
条件の数はきっと多ければ多いほどいい。
いや、きっと"ぐら"という条件の時だけ反応するのが一番良いのです。
名指しされた時だけ受け取ればよい。
あとは自分に向けられた情報ではない。
必要な情報は自分で選んで受け取れればそれが一番良い。
ということで今日は自意識の範囲の話でした。
あなたの範囲はどうですか?
今日は分かりやすい例えが思いつかなくてフワフワした話になってしまいました。すいません
2019.10.22 ぐら
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