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20年過ごした愛猫のチビ

猫のいる幸せ
猫がいた幸せ
それは実感できるほど幸せな20年だった

小学生の時、スーパーの裏に捨てられていた野良猫を拾って親に頼んで家族として迎えた
珍しく人懐っこく、道ゆく人にスリスリと擦り寄る猫だった。

学校へ行く時にどこからともなく現れて途中まで見送り、学校から帰宅している途中にまたもどこからか現れて一緒に帰宅。
チビにとって、家から半径ここまでが行動範囲!というのがあったのだろうか。
なんとも忠誠心が強いというか、猫にしては珍しかったなと今になって思う。
これは、中学、高校でも変わらない。
お正月、野生の鳥を捕まえて玄関に置いてあったときは朝イチから悲鳴を上げたのを覚えている。
多分、あの時もう16年ぐらい経っていた。
まだまだ若いなあと、キャットフードだけじゃなくて野生を捕まえて食べていたのも長生きの秘訣だったのだと思う。
大好きで大好きでいつも学校へ行く時、出かける時、遊びに行く時、散歩に行く時、頭を撫でて体を撫でて。
天気がいい時は膝に乗せて外でご飯食べたり敷物引いて庭でお昼寝したりした。
仕事の飲み会で夜中に帰宅した時も必ず起きて出迎えてくれた。家族の誰より先に。
なんにせよ過ごした時間は長かった。

痩せたなーと思い始めた17年ごろから、家の中で飼おうとお風呂に入れたり玄関に寝床を作ったりしても、外に出たがり鳴きじゃくった。
だから家族と諦めた。
毎晩、毎朝、湯たんぽを外の寝床に入れた。
賢いチビはすぐに理解して、今まではお尻や膝にスリスリしてたのに、自分から寝床に入っていった。

お別れは突然だった。
朝と晩、必ず姿を見せていたのに
仕事に行く時に現れなかった。
正月、三が日のことだった。
寒くて寝坊かな?と思った。そんなわけないのに。
夕方に家族から連絡。
姿が見えないから全員で捜索してくれたらしい。
チビが溝のところで死んでたと。
猫は死に際に居なくなるという。
隣の家の溝の所、覗き込まなければ見つけられないところに居た。
側溝のコンクリートを持ち上げて、チビを拾い上げ、お風呂に入れて新しい寝床に寝かせた。
残った餌を枕元に置いて、線香を焚き続けた。

初めて家族として迎えた日から20年が走馬灯のように流れた。お風呂で温まった体がまた冷たくなっていく。

ペットじゃない。
家族だった。
20年生きてくれた。一緒に過ごした。
子供の時から何度支えられたか。
抱きしめるたびに幸福感。
触れるたびに愛おしい。
ありがとうチビ。
またいつか会えたらいいな。

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