幸せでも嫌なことは起きる


どんなに周りから幸せそうに見える人でも、その人は表では隠しているだけで裏ではつらい思いをしているかもしれない。

SNS上ではとっても明るそうで、活発で、みんなに優しいあの人は、実は裏ではすごくストレスを感じて生きているかもしれないし、表では自分の弱いところを見せることが苦手なだけかもしれない。

はたからみたら、周りにとても愛されていて、応援されているあの人は、実は毎日孤独と戦っているかもしれない。

裕福な家庭で育っておいしいご飯を毎日食べられるあの子は、実は家庭内や学校でめっちゃ苦しい思いをしているかもしれない。

その人が幸せかどうかはその人にしかわからないです。

最近そんなことを感じることが多くあります。



私は、
お金持ちなわけでもないし、
自分の希望してた大学に通っているわけでもないし、
彼氏がいるわけでもないし、
学校に友だちがいっぱいいるわけでもないし、
すぐ鬱になるし、
効率よく素早く行動できなくて、
すぐ落ち込むし、 
自己肯定感低いし、
活発に動く体力もない。


でも、とっても幸せに暮らしてます。

周りにすごく大切にしてもらっていると感じるし、もうなんか生きていれるだけで幸せです。


結局幸せかどうかを決めるのは、ほかの誰でもなく自分。

自分が幸せなら幸せなんです。


でもね、「幸せ」っていいことばかりが起こることではないし、

逆に「嫌なこと」が一切起きないことでもない

どんなに「幸せ」でもいいことばかり起きないし、

嫌なことだって起きるんですよ。

私は幸せでも、些細なことで傷ついて気分がどん底まで落ちこむことだってたくさんあります。

でも自分の身の回りに起こる「いいこと」「嫌なこと」の数を数えて、「幸せ」とか「不幸」とか考えないほうがいいと思うんです。


私が思うに、自分のことが不幸だって思ってる状態の時は、

本当は自分の周りで
「いいこと」「ありがたいこと」
「助けられていること」「愛されていること」
「必要とされていること」

がいっぱい起きているのに、自分が気づけていないんじゃないかと思うんです。


私は過去に自分は不幸だって思っている時がたくさんありました。

例えば鬱になって落ち込んでいるとき、

「私はゴミみたいな人間だ」「世の中の底辺だ」
「私は必要のない人間だ」「私は死んでもいい人間だ」「私って毎日何にもしてない」
「私って存在してる意味ある?」

って感じて、私って超不幸だって思ってました。

でも今思うと、

お母さんはほぼ毎日連絡してくれていたし、
友だちは私に声をかけてくれていたし、
先生は私が具合悪そうにしてたら気づいてくれて声をかけてくれたし、
毎日何かしらの食べ物は口に入れられていた。

鬱になっているときって特に周りの配慮とか助けに鈍感になっちゃってた気がする。まわりとかみえんもん。なんでだろうね。

もう体を起こすことで精いっぱいなんですよ。生きることで精いっぱい。


でも鬱のときでも幸せな環境にはいたってことです。


結局私が言いたいのは

幸せでも嫌なことは起きるってことです。


「幸せ」がいいことばかりが起こることではないし、

「嫌なこと」が一切起きないことでもないのと一緒で、

「不幸」ってのも悪いことばかりが起きることじゃないし、いいことが一切起きないことでもない。


私は自分が不幸だってもう思いたくない。


そのために日々周りに起こる感謝できることを探してノートに書き出す感謝ノートを作ってたまに書いたりしてみてます。

スラスラ書ける時もあれば全然出てこない時もあります。
でも感謝ノートをつけることで、日々自分の周りにある感謝すべきことに目が向くようになります。

そうすることで、自分は幸せ者だって思えるようになりました。

生きる選択をせっかくしたので幸せでいたいなと思います。



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