動けるデブと動けないデブの違い
物心がついた頃、僕はもうデブでした。
気がついたら太っていたんです。人生最初の不幸。赤ちゃんの頃から大食いだったらしいのです。
動けるデブ、動けないデブ
「動けるデブと動けないデブの違いはな、最初から太ってるかどうかだ。人生の途中から体重が増えたヤツは踊れるし機敏なんだ。
大方、キミは最初からデブなんだろ?」
このようなことを、三拍子の久保さんに面と向かって言われたことがあります。
たしかに芋洗坂係長さんは、若い頃はスマートでした。
この理論だと、僕は動けないデブです。機敏に動けたら面白いと思うのですが、まったく踊れませんし、スポーツも一通りできません。
その割に、意外とスポーツはやってきた人生です。部活もほとんど運動部でした。
僕がやってきたスポーツについて書いてみようと思います。
ソフトボール
小学生時代はソフトボール部でした。将来、プロ野球選手になろうと真面目に思ったからです。
その地域ではわりと強いチームで、僕はずっと三軍でした。パワプロで言えばオールGの選手です。
3年やりましたが、代打で1回しか出られませんでした。お情けの代打でしたし、三振でした。
試合に出られなかったので、自然とベンチで応援に熱をいれるようになっていました。「ピッチャーびびってる!ヘイヘイヘイ!!」とか叫んでました。
相手チームをイラつかせる煽り応援を全力でやるのが僕の仕事でした。煽りまくって、敵のプレイにスキができたところをスタメンが打ち崩すのです。
突然「うわぁあああああ」と叫ぶだけの方が、向こうチームがたじろぐというのも発明しました。もうただの迷惑行為ですね。
テニス
中学時代になると、テニススクールに通い始めました。世は「テニスの王子様」全盛時代。連載初期で、本格的なテニス漫画だった頃です。
まだ菊丸が分身して一人でダブルスしたり、手塚ゾーンで恐竜が滅亡したりする前でした。天衣無縫で奪われた五感を取り戻したり、相手の骨格を見る能力者が現れて、それに対し機転を利かせて、骨を外して戦うなどする前の頃です。
相手の骨格をみるシーン
テニプリに憧れて、テニススクールに通いました。
僕が通ったスクールは鬼軍曹みたいなコーチがいました。生徒たちをコート何十周も走らせたあと、休憩なし、水も与えずに、ノックを開始するような昭和スタイルの練習。松岡修造のように熱く厳しい方でした。ガチのテニススクールだったのです。
しかし鬼コーチも何故か僕にだけ優しかったです。
鬼コーチ「おいお前ら!何休んでるんだ!ノックやるぞ!!…ああ、キミは休んでていいよ。…ジュース飲むか?」
僕は完全にサジを投げられていました。
むしろ当時から大デブだった僕に、過激なトレーニングを課して倒れでもしたら大変なので、ガラス細工のように丁重に扱われていました。
バドミントン
高校時代は懲りずにバドミントン部に所属していました。顧問の先生から「キミにバドミントンは無理だと思うが…」というストレートすぎる入部拒否を受けました。
しかし「コートが狭いからテニスよりゃマシだろ…」という気持ちで、入部を決めました。
これは思い違いでした。球速がはやい分、テニスより激しく動かなくてはならなかったのです。僕はここでも最弱でした。
最弱のわりに、毎日しっかり練習していたので、部内試合では時々ですが、チームメイトに辛勝することがありました。
しかし、僕に負けた部員は
「山口(僕)に負けるということは、自分は相当弱い。続けてもしょうがない」と次々と退部していきました。
僕は他人のバドミントン生命を断つ存在だったのです。
山口に負けたら即引退SPが行われていました。
こち亀より掲載順位が下がると打ち切られる、というのがジャンプのルールでしたが、僕はこち亀の役目をおっていたのです。
(↑みえるひと、太蔵もて王サーガ、大泥棒ポルタが打ち切りラインにいる画像。まもなくタカヤが夜明けの炎刀王に突入してトップスピードで打ち切りに向かう頃です)
僕に負けた人はバドミントン部を辞めるので、ずっと最弱のまま引退しました。
背番号94
スポーツの話なので、逸れますが好きな本を。
『スローカーブを、もう一球』というノンフィクション小説がめっぽう好きです。あまり本は読み返す派ではないんですが、これはときおり本棚から取り出して読んでいます。
屈指の名作ばかりですが、なかでも「背番号94」という短編がお気に入りです。
読売巨人軍に入団するも、一度も一軍の試合に出られず、3年でクビになる選手クロダのエピソード。
努力もできず、アピールするのはみっともないと忌避して。あと少しというところで諦めて。失礼ながら自分を重ねてしまいます。
才能ではなく、人生に対するスタンスの差で、成功から置き去りにされる者もいるのだ、と著者は締めています。自戒の言葉としたいものです。
僕は結局どのスポーツも好きでしたが、下手すぎて楽しめなかったんですよね。デブだからしょうがない、と自分に言い聞かせてましたが。
そんなわけか、大鶴肥満さんが草野球をやってるのをみると、強い敬意を抱くのです。
おわり。