合唱をはじめて25年目にして思う“それでいいのか”

あえて、見出しや段落をつけない、だらだらの文章です。読みづらいですが。

以前に綴ったとおり、合唱は平成9年に従兄弟から、「新しい合唱団を創団するから手伝って」と言われて、当初は「最初だけだよ」と、期間限定のつもりで始めた。でも、期間限定どころか、どっぷり浸かることに…。

そんな、“合唱人生”の転機のひとつは、その従兄弟が創立した合唱団は6年ほどで退団したことがあげられる。
それまでに、初心者のド素人なのに、合唱界の永遠のテーマ「若い男がほしい」にのせられて、6年の間に複数の団体に参加するようになっていた。
でも、最初の団体を退団することで、箍がはずれた状態になり、さらに、あっちこちに参加するようになっていったという経緯がある。

いや、もともと声自慢、歌自慢ならば、きっとどこにいっても、「私がこの団体を音楽を支えていくんだ」くらいに思うのかもしれない。でも、私は、“一人で歌えないから合唱”という世界。自分の声にも自信は持てず。だから、あっちこち参加するのに、できるだけ目立たないように。というのは、常に目指す立ち位置だったりする。

でも、なにか「貢献」しないと。目立たないで埋もれて歌わせていただくたけでは申し訳ない。だから事務的なことを買ってでたりすることもある(でも、組織運営ではこれは大事だと思う)。合唱音楽の形成という点では、(それが本当に役だっていたかはわからないが)主力メンバーにたいして指揮者が指示することで、隙間があると、そこをうめることをいつも意識して、そこさえできればいい、くらいの考え方だった。

という表現、合唱をしている方ならばわかるかもしれませんが、ちょっとわかりづらい表現ですね。
たとえば、ロングトーン(長く音を伸ばすこと)でカンニングブレス(気づかれないように息継ぎをする。合唱では他の人が歌っているから、つながっているように聞こえる)でつなぐような場面は、主力の方がカンニングブレスをする場所をまずは確認して、そこだけは自分がつなぐぞ。そんな感じの関わり方というと、多少伝わるでしょうか。

そんな合唱人生スタイルが、4年ほど前まで所属していた団体では、ちょっと勝手が違っていた。ここで、もう少し積極的な役割分担を経験することになる。

なにしろ、参加したときは、同じパートが2人しかいない。だから“相棒”が仕事の都合で練習欠席すると、一番苦手な一人で歌う作業をしなければならない。でも、2人揃ったときは(録音しても、声量の違いもあって“相棒”が軸となるのは明らかなので)、練習の中で“相棒”の苦手な部分をみつけて、「ここはまかせろ」みたいな感じで歌わせていただいていた。あくまでも“相棒”の苦手部分というトリガーはあるものの、だいぶ積極的なことはそれまでとの違いとして見逃せない。

そんな団体にもう一人同じパートが増えたあとは、なんとなく、同じパートといえども、得意な音域というものがお互いに明確になってくる。あるいは声質から、歌や歌詞の内容にあった声が、三者三様であることに気づく。そうすると、苦手な場所かどうか、ではなく、各自の得意な音域で、似合った音色が得意な場所では各自が主人公(今どきだと、センターをとる、というのかな)となって展開。他は脇役になってもり立てる。実際、「ここはまかされているから」という気持ちで望む場面も出てきたりするようになっていった。

しかも、こういうやりとりは、相談して決めるのではない。練習の中でお互いがお互いを聞いて(さらに進むと、練習の中でではなく、楽譜をみた段階で)、「あ・うん」の呼吸でそれらを作り上げていく。そこがまた、醍醐味のひとつじゃないかしら、と思っていた。

25年の間、そう思っていました。
さて、以下は、話題の中心から合唱は一歩引きます。

自分の合唱での姿勢を例にしたけれども、この姿勢は、私はあらゆることで同じ。仕事の取組み方、人とのお付き合い、なんらかの組織に入った場合の立ち位置…。

そんなことに気づかされて、そして、考えることが最近おきました。

合唱はたった一人でも1000人の合唱を壊すことができる。

逆もあって、たった一人で1000人の合唱を飛躍的に伸ばす可能性も秘めている。これはプロ合唱団と共演させていただいたときに、練習でプロが一人はいると別物になるくらい音楽が変わる(安定して力がましてくる)ことでなんどか実感した経験からのお話なのだけれども。

従兄弟の団体のように、創団直後だったり新曲に取組み始めたばかりのときは、誰もが音楽を作る必要がある。だれかが作ったそれにのっかるだけだったり、“相棒”の苦手を探しておぎなうという姿勢では前に進むことは出来ない。でも、すでに一定の「形」があるところに入る場合、ここまで綴ってきたような姿勢で貢献すれば、1人で全体を壊すことはないし…(プロではないから既存の団体を支えて貢献はできないから)。

でも、音楽としての魅力からみても、指揮者や主力に他のメンバーがひっぱられて動いている団員がいる音楽なんて、ひとつも魅力はない。一人一人が主体的に歌ってこそ、魅力的ではないだろうか。

1人が壊すことにフォーカスをあてると、ここまで綴ってきた関わり方は、それを避けるためには決してマイナスな考えではないと思う。でも、最後のひとつ前の段落のように考えたら、こんな消極的なもので良いのだろうか。1人が入って1000人を支える技量はない。でも、何かが新たに混入してなにもかわらないのは、混入する意味があるのか? 
変化がほしいからカルロスゴーンは日産に迎え入れられたのだし、稲森和夫は日本航空が迎え入れた。これで変化がなければ意味がない。
合唱は、迎え入れられたわけではないが、受け入れられて所属しているのに、主体的な変化を起こさなくていいのか?

そんな疑問を現在もっています。

さて。先人たちの残した言葉で、3つ好きなものがあります。
答えが出ていないのだからまとまるはずのないこの記事なので、その3つとの関係を考察して、一端納めます。

一つ目は、内村鑑三がハーシェルの言葉を紹介して語ったとされるこれ。

「この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは少しなりともくして逝こうじゃないか」(内村鑑三「後世への最大遺物」より。ちなみに、こうやって引用するときは、ハーシェルの言葉の和訳を使うこともありますが、今日は、2、3つ目とのつながりを意識して、内村鑑三の書物から)

他方、社会をよくしたと、名前を残す必要もない。むしろ、残すことを目指したらそれは悪でもあると思う。

「道を伝えて己を伝えず」(ウィリアムズ:立教学院創始者)

伝えるには、主体的にならないと。それはたぶん…

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治「農民芸術概論綱要」より)

という視点が背景なのだろうな…。

この3つが好き、というのは、二十歳くらいからずっとかわらないのだけれど、たかだか趣味に過ぎない合唱における合唱団の中での自分の役割? 立ち位置? から、こんなことを思うなんて…想像以上に自分の視点や発想に影響をもっているのかな…。

















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