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言いたいことを言う…独り言? 誰かに? 自己啓発で言われる言いたいことを言える自分について

私の、「単なる楽しみ“歌系”から自分観察」のマガジンの記事で、歌を歌うよりも、発声練習のほうが実は好きだったり…みたいないことを以前に書きました。
山奥で無茶苦茶な「修業」をして自己満足しているそれは、私は尊敬できない。自分が鍛練した結果を社会と繋がって活かしてこそ。
そう思う視点からは、発声練習を極めても、山奥の修業僧と同じだと思うのです。だから、歌という形で自己を表現して、発信して、他者と繋がってこそ。その方が恐怖はあるし、精度も求められるし、自分をさらけだす勇気も必要かもしれない。
対しては、発声練習はそれら抜きに自分だけを探求できるわけです。山奥の修業僧の姿では??。 でも、それでいいの? 自分を探求して、他者との接点を実感してこそではないのかな。

回答は誰かの相談や悩みに答えるもの

facebook に投稿した記事のこと

先日、雑談ばかり投稿している facebook に、Twitter まとめサイトで紹介されていた、新聞の「人生相談」の記事について、書きました。

人生相談の内容に対して、すばらしい回答だ! と、バズった回答、ということで、紹介されていました。

私も、相談内容と、その回答の両方を読んで、たしかに回答が提示した視点。それを見落として独りよがりになっていた相談者の固定観念。それをきちんと、ズバっと指摘している回答は、切れ味がよく、なるほど、と思いました。

その意味で、明答です。

ただ、このまとめ記事は、名回答と紹介していました。

そこで感じたのは、これは、私の印象では、決して、名回答ではない。いや、印象というより、読みながらそわそわして、この回答は受けいれられない、と私自身思ったのです。

相談者は60代の公務員とのこと。この世代の公務員(というふうにカテゴライズするのはよいことだとは思いませんが、便宜上)は、「○○はこうあるべきだ」みたいな自分の考えがあり、それをまげたり訂正する余裕がない。これをもって、一般的には頑固とか頭が固いなどいうわけですが、そういう人である可能性は高い、とまではいえるのではないでしょうか。

そうすると、新聞の人生相談の記事です。読者がいます。また、回答者として、専門知識をきちんと活用して、立派な「解答」をしなければならない使命もおっているでしょう。だから、正論を提示し、それを見落として、60代公務員目線で、若手後輩職員のとった行動に対して、たたみかけるように、もっと別の視点があるでしょう。もっと相手の立場にたってみなさい。それに気付かないあなたこそ、あなたが批判している若手後輩以上に、反省するべきではないですか? みたいな「回答」を、この専門家の方は書いたのだと私は感じました。

これは、名解答です。明答です。そして、新聞の人生相談の誌面ですから、読者受けもして、読者にも受けいれられやすく、すばらしい記事でもあると思います。
しかしでも、名回答でしょうか? これは、相談に対する回答であることが第一です。
質問や相談へのすばらしい回答は、質問者や相談者が理解でき、納得し、受けいれられるものではないだろうか。そういう疑問をもったので、facebook での雑談では、私は、これは名回答とは思わない、と投稿したのでした。

くりかえし、ここは注意しないといけないことだと思いますが、カテゴライズして、十把一絡げにするのはよくないと思いますが(私の、それこそ思い込みから、でも、可能性はあると思う)、60代公務員のかたくなさ。頑固さ。それがあるかもしれない相談者に対して、畳みかけるように、そして、逃げ道も、自分をたちかえる余地すらないように、正論をかざして立て続けに責めていくような解答は、名回答でしょうか。

カチンときて聞く耳(読む目かな)をもたない、自分の意見とかけはなれすぎていて受けいれられない、逆に責められて重く受けとめすぎて、相談者が失意の底におちこんでしまう。そんなことが起きうるものは、名回答ではないと私は思うのです。
(以前に書いた、「相談の本質」の記事にも通じるところです。)

言いたいことをきちんといえる、ということ

独り言というのはあります。また、単なる感想だとはっきりしている場面も含めていいかもしれません。そういう例外的な場面をのぞけば、人の発言は(さきほどの山奥の修業僧や、歌を歌わないで発声練習で自己満足するような場合でなければ)、人との接点がある以上、発した相手になんらかの影響を与えます。いや、もっと積極的に…。相手に説明をしたり、相手に共感をもとめたり、相手に反省をもとめたり。なんらかの反応が相手におきることを前提にして、「言いたい事」は発言されると思うのです。

そうすると、言いたいことを言えることは、大切なことです。でも、独り言やたんなる感想は別として、言いたいことをきちんと言える、ということは、発言の対象である人にきちんとつたわる表現を用いて、場面を、タイミングを考慮してすることが求められないでしょうか。

タイミングがずれると、伝わらないどころか、誤解をまねくことすらあるかもしれません。

いや、もちろん、そういう心配をしすぎて、言いたいことを言えなくなるのはまたマイナスです。ただ、言いたいことを言うさいに、相手にどう伝えると伝わりやすいかを意識して、表現を一工夫する作業は、心がけたいな、と思ったのでした。

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トップの画像は、みんなのフォトギャラリーで、コミュニケーションで検索したうち、イメージに近いものを使わせていただきました。提供者に感謝いたします。

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