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【甲陽軍鑑】甲陽軍鑑の取り扱いについて

【甲陽軍鑑】甲陽軍鑑の取り扱い

目次
1.甲陽軍鑑とは
2.甲陽軍鑑の読み方
3.甲陽軍鑑の歴史的資料価値
4.甲陽軍鑑の取り扱い
5.甲陽軍鑑のあれこれ

1.甲陽軍鑑とは 

 甲陽軍鑑とは武田信玄・勝頼の歴史や軍学を記述した軍学書です。武田家家臣である高坂弾正昌信(春日虎綱)の口述を甥である春日惣次郎と春日家臣大蔵彦十郎が文字に起こし、それらを小幡景憲が編纂し甲陽軍鑑として成立をさせました。
 文体の特徴として高坂の語り口調で記述される箇所や高坂自身の自己紹介や過去などについての記述も見られます。
 編纂者である小幡景憲は甲陽軍鑑を甲州流兵法の教科書として取り扱い、多くの武士に指導を行いました。

2.甲陽軍鑑の読み方

甲陽軍鑑には大きく分けて2つの読み方ができます。1つは軍学の教科書としての読み方です。もう一つは歴史的な資料としての読み方です。前述の通り、小幡景憲は甲陽軍鑑を甲州流兵法の教科書としてその内容が真実である前提で多くの武士に武田信玄の歴史や軍学、武士としての精神などを教授しました。軍学の教科書という視点に立てば、甲陽軍鑑の内容を真実とした上で武士の精神などを学ぶと言った読み方ができます。史実として甲陽軍鑑を読む場合はどうでしょう。甲陽軍鑑に記述された内容と他の信憑性の高い一次資料とでは内容が違う点が多々あります。例えば信玄の初陣や戸石崩れ、上田原の戦いなどは他の資料に記述された年号や時期と合いません。このような点から甲陽軍鑑は史実を見つめる史料としては少し注意が必要です。

3.甲陽軍鑑の歴史的資料価値

1891年(明治24年)田中義成氏が「甲陽軍鑑考」『史学会雑誌』(14号、史学雑誌)などで甲陽軍鑑の誤りを指摘したことから甲陽軍鑑は歴史的な資料価値のない書物であるとされてきました。しかし、国語学者である酒井憲二氏が言葉の視点から甲陽軍鑑を読み解いた結果、甲陽軍鑑の歴史的な価値について見直させることになります。また、甲陽軍鑑にしか記述がない山本勘介についても資料価値を否定する材料となっていたが、1969年(昭和44年)に「山本管助」の名前が記述された書状が見つかった(市河家文書)事で甲陽軍鑑の資料価値の見直しがありました。

4.甲陽軍鑑の取り扱い

 前述の通り甲陽軍鑑には歴史の資料としての取り扱いには議論がなされてきました。甲陽軍鑑の取り扱いとしては、史実として読む場合は使える部分もあるが使えない部分もあります。軍学書として甲陽軍鑑を読む場合は内容について全て真実といった前提があります。そう言った使い分けが必要です。甲州流兵法を学んだ門下生の中には独自の兵法を生み出した者達もいます。後続の兵法を学ぶ際には甲陽軍鑑の考えが前提となっているため、甲陽軍鑑を疑う事ができないのです。読み手が何を知りたいか求めるかで甲陽軍鑑の取り扱いは変わってきます。

5.甲陽軍鑑のあれこれ

甲陽軍鑑はとにかく文量が多いです。今後はこのnoteで甲陽軍鑑のあれこれについて、ただの歴史ファンとして個人の感想を記述していきます。素人考えであるのでご指摘やご指導いただける点があれば後学のため教えていただければ幸いです。
私のような歴史好きと繋がる事ができるのを楽しみにしています。


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