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自分なりの第二次世界大戦を心で語れるようになれ、でないとホントの馬鹿になる

岩田です。はてなブログの過去記事転載です。

第二次世界大戦、当然だけど私がリアルタイムで経験しているわけではないし私に戦争責任とか言われたって「関係ねぇ」とまでは言わないものの「あんまり関係ない」というのが本音。

でも「あんまり関係ない」を言うにしたって自分なりの第二次世界大戦を心で語れるようでないと真の意味での馬鹿になってしまうと思う。

それは「コイツ勉強してこなかったな」のような馬鹿ではなく、日本人としての誇りのような民族意識の無い馬鹿だなという事、勉強が出来る出来ないの問題じゃあない。

リアルで人に第二次世界大戦をマジ語るのはドン引きされるけど自分の考えってやつは持っておいて損はないもんですぜ!

そもそも第二次世界大戦と呼ぶべきか否か

こはれはデリケートなテーマ、戦後70年も経っているのにデリケートな扱いという事はある意味「まだ終わってない」って事。

その終わってない内容ってのは情報戦でしょうか、実際の有事は70年前に終わってるもんね...とかいいつつも日本に米軍基地が存在する意味を考えまくれば終わっているようで終わっていない。

これは「戦後レジームからの脱却」の考えに関わる部分でしょう、今の為政者たちは脱却したほうが良い未来があるとの考えているのかもしれんです。

私には脱却した方がよいのか悪いのか分かりません。

んで何がデリケートなのか?って言えば1940年ごろの戦争の呼び名。

第二次世界大戦なのか、太平洋戦争なのか、大東亜戦争なのかってやつです。

この辺の呼び名の意味を学校の授業てきちんと教えれば良いとは思うのだけれど、3つを平等にキチンと教える事はかなり難しいってのが先生の本音でしょう。

これをガチで生徒に教えるとなると思想教育になりかねないもんでして先生によってかなりバラつきがでちゃうはず。

それで一番楽なのが呼び方が第二次世界大戦。

そして1940年頃の戦争を第二次世界大戦として楽に呼ぶ感覚が「あんまり関係ねぇ」といったことにも繋がってしまっているようにも思えます。

機動戦士ガンダム0083から学んだ正義

私は高校受験に合格するためだけの勉強はかなりやって、国語以外はそれなりの偏差値になったのだけどコレは勉強とは呼べないモノ、ただの暗記です。

それで国語の偏差値が激低ってんだから私が自分をアホ呼ばわりするのも頷ける話でしょう、私は読解力が著しく低いクソガキでした。

そんな私が正義について自分なりの考えを持つきっかけになったのがアニメ機動戦士ガンダム0083STARDUST MEMORY、これについての記事も書きました。

正義を考えれば考えるほど難しい...

0083のガトーを見て「正義って何だろう?」から私は1940年頃の近代史を調べまくり始めたように記憶しています。

そこでやっと1940年ごろの戦争の呼び名の違いについて気が付く、そして自分なりの第二次世界大戦を心で語れるようになりました。

自分なりの第二次世界大戦とはですね、それが右的な思考でも左的な思考でもかまわないと思っております。

それをリアルで人に話すと色々と揉め事が起きてしまうのだけれど右だろうが左だろうが先の大戦を自分の考えを心の中で語れるならば、それはホントの馬鹿ではない。

ホントの馬鹿とは心の中でも「よくワカンネ」です。

ええ、そうです。0083のガトー少佐を知る前の私はホントの馬鹿でした。

そんなの知っても意味ねえじゃん

「そんなの知っても意味ないじゃん」このような考え方は一理も二理あるでしょう、確かに知らずに人生を全う出来ればこんな楽なことってないのかも知れない。

でも日本はそれじゃあ人生を全うしにくいんだよね、全う出来るのは莫大な親の財産とかを相続した人とかになるのでしょうか、来世はそんなイージーモードで人生スタートしてみたいもんです。

じゃあどんな時に1940年頃の戦争について自分なりに語れるような意味があるのか?

これは自分が物事を人に教える立場になった時にこそ必要になるものであり、「意味ねぇ」が「意味あんじゃん」に変わる時だと思っています。

それは自分が先生みたいな仕事ではなくて上司の立場、親の立場といった時に意味アリにるになる...これが私の考えです。

そこで自分が右とか左とかの立場表明をする必要は全くなくて物事を考える際に相手の立場を考えての発言や行動が出来る人間、それが教えられる人間なんて思っています。

だからガチでワガママな人ってのはホントの馬鹿である可能性が高い... 何のデータも無いのだけれど的外れすぎる考え方ではないと思ってる。

ワガママな人がこの記事を読んで激怒したらゴメンナサイね、でも激怒するって事はホントの馬鹿ではない、つまり激怒した自称ガチママさんは本当のところガチなワガママさんではないはず。

このような私の考え方を「圧倒的に古い!ダセェオッサンwww」と笑う人もいるでしょう。
確かに私はダサくてアホなオッサンだからそこは反論のしようが無い。

でもホントの馬鹿に言われるほど私の頭は鈍っていないはず....!と言いたい。

政治的主張をカジュアルに

私は1940年ころの戦争をテーマに日本のナショナリズムをアジテートしているわけじゃぁないのです、少なくとも自分の言葉で語れるようにならないと困る時がくるよーと言っているだけ。

今になって思えば、私の中学時代の社会の先生はマジ優秀なオッサンでした。

見た目は気の弱そうな、多分実際に弱いオッサン先生なんだけど彼の授業はヤンキーや不良も熱心に聞いていたのです。

それはオッサンが中学生と同じような目線で、かつ感情論で歴史を教えていたからでしょう。

「秀吉の気持ちってさ、お前ら真面目に考えたことある?」

「おい、岩田、お前が光秀なら信長をヤルのか?やらないのか?」

「ヤンキーA君、お前は生まれるなら平家と源氏のどっちがいい?」

この社会のオッサン先生は教科書に載っているわけがない、答えを求めない質問を授業中によく行っていました。

そしてオッサン先生なりの感情論もよく語りまくっていました。

でもこのオッサン先生がやった事は日本だと先生的にNG、この路線で近代史の授業をやっちゃうと今の時代は大変なことになっちゃう。

だから...じゃないけど近代史は教科書でも少ない扱いなんでしょう、ホントは今を生きる日本人にとって重要な事なんだけど学校で教える近代史の情報量は少ない。

つまりは自分なりの第二次世界大戦を語れないようにする教育方針ってことだと思う。

日本がずーっと高度成長して一億総中流どころか一億総上流なんて国なら第二次世界大戦を語れる必要がないなんてのも分かる話なんだ、だってみんなハッピーでいられるならホントの馬鹿でも困らないもん。

それはマトリックス的な世界かもしれんけどマジで究極の幸せってヤツがチラホラ見える。
そんな日本社会を想像して近代史の情報量を決めた偉いオッサンとかいるのかもしれない。

でも現実は全然違うよね、そんなのもう無理そうだもんね。

昔はそれで良かったのかもしれんけど為政者が戦後レジームからの脱却なんてことを言いだす時代になったからには戦後レジームを知る必要があるってもんですぜ、それが近代史ってやつであったり1940年頃の戦争だったりするはず。

ってな訳で政治的な話を少しカジュアルに語ってみたのだけれどいかがでしたでしょか?

...って私の嫌いなブログの最後的言い回し「いかがでしたでしょうか?」を使っちゃっいました。

何がいかがでしたでしょうか?だよね、「俺の記事どう?イイっしょ!」みたいな感じで上から目線で偉そうにすんじゃねーっつーの!
そんなものは自分なりに第二次...を語れるようになってからやりやがれ!と偉そうに主張する私もダメなオッサンという事で勘弁してください。

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