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読書メモ「人は、なぜ他人を許せないのか?」

中野信子さんの、「人は、なぜ他人を許せないのか?」を読みました。

人はなぜ他人を許せないのか?
その答えは、この本には、あえて書かれていません。

絶対的な答えなんてないんだよ、という考え方こそが、他人を許すということにつながるスタンスだからということのようです。

しかし、それでは少し気持ちが悪いので、もう少し踏み込んで勝手に整理してみました。

なぜ他人を許せないのか?

人は、自分の正義に従って、それを主張することに、ある種の快感を覚えるようです(正義中毒として語られています)。これと近年のSNSの浸透があいまって、ネット上ではたびたび、どうでもいいような他人のニュースに、見ず知らずの人がその当事者を責め立てるという状況が生まれているのです。

特に、日本には、組織の空気をおもんばかり、はみ出ることを嫌う文化があります。組織の目的を優先するのです。この社会性の高さが、裏をかえせば、はみ出たものを許さないという感覚につながってしまうらしいのです。

この日本の特徴には、災害が多い国だから、いざというときに協力しあえる関係をキープしなければならないという環境が影響しているというのは、なるほどなと思いました。

他人を許すことがなぜ必要なのか?

他人を許すことがなぜ必要なのか?と言われると、なかなか難しいのですが、やはり、世の中が窮屈なものになってほしくないというふうに思いますし、他人を許せないモードに入ってしまうと、疲れるし、なんか不毛だし、そこに学べることがあるかもしれないという可能性を消してしまうことが悲しい。

ボクの思うのはそういうふわっとした感じなのですが、筆者はずばり、多様性を失った生物は存続が危ぶまれるという、進化論の話を語っています。

災害時の団結もよいのですが、多様性を持つことも、変化の大きな時代の中では、とても重要になるのですね。確かに。。

この点に関して言えば、海外生活をしていると、個性を尊重するということに関して言えば、欧米にはかなわないと感じます。まあ、協調性は、あまり感じませんが、それを上回る個性と多様性が確実に存在します。

他人を許すにはどうすればよいか?

ということで、最後にボクが気になるのは、他人を許すにはどうすればよいかという具体的な対策についてです。あえて、強引にまとめると、二つの考え方があるように思います。

一つ目は、考え方を変えるということです。

考え方を変えるというのは、難しいようですが、パッと頭の中を変えてしまえばいいわけで、そういう意味では、楽です。

どう考え方を変えるのか。次のようなキーワードがありそうです。

一貫性を求めない。
人間なんて不完全なもので、永遠に完成しないものである。
そんなにはっきり言えることなんて、世の中にはない。
答えのないものを考え続け、相手を理解しようと、相手を包み込む(禅問答)
新しいことに出会ったときに、違いを味わい、許容する。

はっきり言って、この考え方は、普通の会社組織ではウケないでしょう。仕事ですから、やはりポジションをとって、行動することこそが求められている気がします。そういう中で、ああでもない、こうでもないということを言っても、お前は何が言いたいんだ?と、バッサリいかれてしまいます。多様性を育てるには、そんな問答も大切なんでしょうけれど。

二つ目は、脳の前頭前野を鍛えるということです。

前頭前野とは、客観的思考力や、メタ認知力というものを司っている部分です。ここを鍛えることで、ついつい正義中毒に走っている自分や、他人を許せない自分を客観的にみて、修正することができればよいわけです。

脳のその部分を鍛えるためには、その部分を使えばよい。

つまり、目の前のことで頭がいっぱいというような状況はできるだけ避けて、自分の状況を時々、客観的に捉え直してみること。

安定した、慣れた環境から離れること。つまり、不慣れな状況で、どうすれば、この状況をうまく乗り越えられるかということを考えることで、否応なしに自分のことを客観的にとらえることができるようになるのです。

一番はっとさせられたのは、この前頭前野は、30歳くらいまで成長していき、そこをピークに衰えはじめるということです。

思い返せば、ボクも、若かりし頃は、今ほど周りのことが見えていませんでしたし、なんか、物事に白黒をつけたがってしまい、グレーゾーンで、ごまかそうとする大人が許せませんでした。なんか、よく怒ってましたね。

でもそういえば、30代を超えた頃から、少し柔らかくなっていったと思います。そういう若かりし頃の狭い思考のせいで痛い目をみたという経験が、ボクを丸くしたのかなというくらいに思っていましたが、脳も成長していったということが影響しているのかもしれません。

そして、怖いのは、必ず歳と共に衰えていくということです。

歳を取ることで、もし、また怒りっぽくなったり、自分と違う人たちのことを認められなくなるとしたら、とても悲しいことだと思います。

せめて、できるだけ前頭前野を使いながら、衰えるのを遅くするべく、いつもと違ったことへのチャレンジや自分の状況について鳥瞰的に考えてみるというようなことを積極的にやっていきたいと思いました。

筋トレだけでは足りない。脳トレです。

まとめ

正解なんてないんだよ。他人の考えも、ああ、そういう考えもあるんだねというくらいで、ほどよくテキトウに、接していけばよいんじゃないかということが書かれていて、全くその通りだと思いました。

究極の難題としては、自分へも影響があるような立場の人が、変なことをしたり、裏切り行為をしたら、なかなか放っておくことかもしれません。

どうしてもわかって欲しい人が、許せない人になりえるわけです。人なんて不完全なものだからと、そんなときに割り切ることができるかというと、今のボクでは難しい気がします。

というか、今難しいということは、この先も難しいのかもしれません。前頭前野は衰えていくのだから。

脳の衰えを抑えつつ、それを超えるような、考え方のアップデートで、頭の柔らかい、穏やかなオジサンになっていきたいものです。


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