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Nostalgic Era

ボクたち昭和末期のキッズはさ
バブルのはじけ飛んだ破片を眺めながら
幼少期を過ごし
夢をもう一回と叫び続けた平成を迎えて
大きな価値観の変化と
居場所のない空間を漂って
模索し続けた失われた30年を経て今に至る

団塊の世代とか言われていた人たちは
いつの間にか後期高齢者になっていた
彼らのように
日米安保条約やベトナム戦争をボクたちは知らない
彼らみたいには政治闘争やイデオロギーに熱くなれない
気がついた時にはノンセクト・ラジカルもなかったし
安田講堂は占拠されてはいなかったんだ
たぶんその辺は分かり合えないんだと思う

でもしょうがないんだよね
産まれた時代が違うんだから
同じ時を共有していないということは
そういうことなんだ

今のボクたちを団塊の世代みたいに
カテゴリするのは難しいかもしれない
でも100年後くらいには大項目で
ざっくり括られるから大して心配はない

自分の経験したことのない過去の話を知っていることは
過去に経験のある人には敵わない
時代の色を
時代の酸っぱさを
時代の手触りを
知らないから

いつの時代に生まれたのかということは
とても重要なファクターで
出生時代のバイアスで違う時代を互いに見ている
これほどまでに人に影響を与えるものは
時代以外にはない気がボクはするんだ

時代に縛られたくないという
自分は縛られてはいないという
個人や個性が大事だと強く主張することもあるだろう
でも顛末はリバタリアン以上でも以下でもない
結局のところ唯一無二のあなたは
代替可能なあなたでもあるんだ

ボクたちの時代の眼鏡で
ボクたちしか見えない景色を見て
ボクたちしか体験していないことがあって
正解はない
間違いもない
ただ分かり合えないすれ違いがそこにあるだけ
それは悲しいことではない
残念な事でもない
分かり合えないことこそが尊重すべきポイントで
時代によって線引きされている


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