それでも、また会えたら良いな
今日で仕事納め。約一年お世話になった保育園でのアルバイトを退職した。
お話できた子ども達だけお別れの挨拶をしてきた。
黙り込んで目を逸らす子
俯いて「うん、またね」という子
「明日も来てね」という子
それぞれから、沢山の思い出を貰った。
ふと、初めて子ども達と会ったときの事を思い出した。
大きい病院に就職して、一ヶ月半でばたんきゅーして、社会で生きていけない自分に自己嫌悪して、白目向きながら一年間休んだ。
一年のブランクがある、久々の人との関わり。当然自信もないまま、びくびくしながらアルバイトに行った。
「新しいせんせいだ!」
「せんせいだぁれ?」
「あのね、僕あした誕生日なんだよ!」
初日から、非常に揉みくちゃにされたのは記憶に新しい。もう一年経ったんだね。
びくびくしてる暇など無かった。
そしてお会いして2日で手の甲にぶっちゅーされる熱い歓迎。色々衝撃的だった。歓迎方法が日本圏じゃなくね?
それからの賑やかな、刺激強めの毎日に、まさかの斜め上の発想に、無条件に声をかけてもらえることに、どれだけ救われたか。
どれだけ、パワーと笑顔をもらえたか。
お金を稼ぎに、労働力を提供しに行ったけど、実は貰ったものの方が多い。自覚できる程度には沢山貰った。
お父さんでも、お母さんでもないのに、慕ってくれた事。容赦ないタックルをくれた事。ツンデレ塩対応の中に、愛が詰まっていた事。まさかの私が諭される事。思い出がいっぱい。
本当に、楽しかった。
もう中々会えないけど、もし二度と会えなくても、この子たちが大きくなって、生きてくれさえすれば良いな。笑ってくれていたらそれだけでいいな。
周囲や社会に何を求められても、変わっていっても、
色々なことがある世界を、生きていく皆が、家族と一緒に幸せであったら、無事に歳を重ねてくれるなら、これ以上は無いな。
私が幼稚園児の時、大好きだった先生も、こんな気持ちだったのかな。
きっと誰もが、この世に生を受けた人全て、そんな存在なんだな。
と、改めて思いました。
少し、人が怖くなくなった気がする。
私にとって苦手な人はこれからも出てくるだろう。
だけどその人も含めて、生きてるだけで、今までその人に出会った誰かは幸せだと思う。
少なくとも、私は今回出会った皆が、これからも生きてくれていたら、嬉しい。笑顔だったらもっと嬉しい!
いつか、また会える日まで。
…案外近くのスーパーで会う確率がめちゃくちゃ高いんだけどね。世間って狭いよね。
その時を楽しみに、
…半年間の個人的バカンスを楽しむぞぉぉお!やったー!寝倒す!!
しばらくお休みして、身の振り方を考えて、再び働きます。
まずはゆっくり過ごして、お休みの予定をねりねりします。へへへ。
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