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私の森田療法。強迫症のメカニズムとその治療ー強迫、双極症ー闘病記【44】

森田療法について

前回は薬物治療で症状が改善し、社会復帰に向けてリハビリを始めたことを述べました。

今回は趣向を変えて、私にとっての森田療法について述べたいと思います。私の強迫症治療にとっては森田療法の考え方が役に立ったからです。

皆さん森田療法はご存じでしょうか。森田療法は森田正馬先生が100年以上前に日本で創始された神経症に対する精神療法です。

その歴史や基本的な考え方についてはネットで「森田療法」と検索すると出てくると思います。

ここでは森田療法の一般的な解説をするのではなく、私が強迫症の症状を改善することに役に立った森田療法の考え方の一端について述べたいと思います。それ故もちろん個人的な解釈が含まれています。

森田療法に興味がある方は岩井寛さんの『森田療法』や、北西憲二さんの『はじめての森田療法』をお読みください。
どちらもとても読みやすく、気軽に森田療法について学べる良書だと思います。

「あるがまま」

早速内容に入ります。森田療法とは一言で言えば、自然に起こってくる不安や葛藤(強迫観念)を「あるがまま」に受け入れるということに尽きます。

注意したいのはここで言う不安や葛藤とは誰にでも起こってくるものだということです。
森田療法は神経症の人だけでなく、どんな人の生活にも役立てられる療法なのです。

さて「あるがまま」とは日常生活で起こってくる不安や葛藤に対して、何も対処しないということです。不安や葛藤を鎮めるための「はからい」(強迫行為)をしないということです。

不安に対して「はからい」をしてしまうのも人間の性ですが、「はからい」を異常に多くしてしまい、やめられなくなるのが強迫症だとされます。

アドラーの心理学との共通点

ところで「あるがまま」に受け入れると言っても、何もしない、または好き勝手にやるというわけではありません。

それどころか森田療法では「目的本位」といって不安や葛藤を抱えながらでも、自己実現に向かって行動することを勧めています。

目的に対して、考えるのではなく行動を優先するという点は『嫌われる勇気』で有名なアドラーの心理学と似ている面があります。
おそらく森田正馬先生はアドラーを読んでいると思います。

認知行動療法と森田療法

さてここで森田療法を分かりやすくするため、西洋生まれの認知行動療法との違いを明確にしたいと思います。

認知行動療法では生じてきた不安や葛藤を誤った認知によるものだとして修正をするということに特徴があります。

不安や葛藤は起こるべきでない「異物」と見なすということです。

「認知の歪み」すなわち「ものの見方」や「考え方」を修正していくと言うと分かりやすいかもしれません。
湧き上がって来る不安や葛藤を間違った認知によるものだとして修正していくのです。

一方森田療法では先にも述べましたように、不安や葛藤を「あるがまま」に受け入れることにポイントがあります。

森田療法では「考え方」や「ものの見方」に手を加えないということに力点が置かれます。いろんな不安や葛藤が起こってきてもそれに反応しないのです。

不安や葛藤を「異物」ではなく自然なものだと捉えるのです。次々と湧き上がってくる不安や葛藤を「あるがまま」に受け入れるのです。

この二つの方法を比べてみてどうでしょうか。森田療法は「あるがまま」つまり何もしなくていいので楽だとは思いませんか。

どちらも効果は実証済みです。個人的な好みの問題なので自分のやりやすい療法を試してみることをおすすめします。

西洋医学との相違点

さて話は戻りまして、森田療法では「あるがまま」と「目的本位」が中核概念となります。

そもそも森田療法は西洋の病気に対する考え方とは異なります。強迫症という病気を治すことを目標にするのではなく、不安や葛藤を「あるがまま」受け入れて、自己実現に向けて行動していく生き方を推奨するものです。

西洋医学のように、病気の原因を突き止めて、それを取り除くという考え方ではないということです。

その人の生き方を変えることにより、自ずと強迫症は治ってくるというロジックになっています。
その背景には森田療法における強迫症に対する独自の考え方があります。

これがとても大事なところなのですが、話を分かりやすくするために先に強迫症のメカニズムについて説明します。

強迫症のメカニズム

不安や葛藤などを「これはあるべきではない」と考え、それをどうにかしようと思い強迫行為をして自分を落ち着かせようとします。

強迫行為をすると一旦不安や葛藤は落ち着くのですが、今度は先の不安や葛藤がより大きくなって襲ってきます。

その大きくなった不安や葛藤に対してまた強迫行為をし、さらに不安が大きくなるという悪循環が強迫症と言われるものです。

強迫行為をやればやるほど不安や葛藤が増強されるという点については現在強迫症の治療で注目されている暴露療法でも同様の指摘がなされています。

またこの論理のことを森田療法では「精神交互作用」と呼んでいます。
私は自分の「精神交互作用」について闘病記【4】に詳しく書きましたのでそちらを参考にしていただければ幸いです。

森田療法の特徴的な考え方

さてこうしたメカニズムの強迫症に対して森田療法では強迫症に対して特徴的な考え方をします。

一点目は神経症になりやすい人のモデルというものがはっきりと提示されていることです。

まず強迫症の人は「かくあるべし」「でなければならない」という観念(完璧主義)が非常に強いことが指摘されます。

これは「生の欲望」が非常に強いためだと指摘されます。「生の欲望」とはよりよく生きたいという人間が本来持っている欲求のことです。

一方「生の欲望」が強い人は、同時に死を極端に恐れているということがあります。すなわち強迫症の人は人間として欲が強い反面、極端に心配性だということです。

そこから強迫症の人は「かくあるべし」という理想が高い故に、現実の状況(今ある状況)とのギャップがどうしても大きくなります。

そのギャップに対して不安や葛藤が生じます。その不安、葛藤を埋め合わせるように強迫行為をたくさんしてしまうという論理展開で強迫症を説明します。

つまり強迫症の人は完璧主義が非常に強いと言うことです。

二点目は、同時にこの「かくあるべし」や「でなければならない」という観念(完璧主義)は普通の人も持っているものであり、強迫症の人だけに見られるものではないということです。

森田療法では強迫症の人は決しておかしな考え(異常な考え)をしているわけではないと捉えています。

それ故、強迫症は誰にでもなり得る病気であることも指摘されています。

また「かくあるべし」や「でなければならない」という完璧主義が生活の上(森田先生は受験勉強を例に挙げます)で役に立つこともあると述べられています。

つまり強迫症の人は決して頭がおかしいわけではないということと、強迫症は誰にでも起こりうると言うことです。

この二つの点は森田療法における強迫症に対する特徴的な考え方だと思います。

また完璧主義は理想と現実のギャップが大きく起こります。それに対して現実から逃避するという心理が人間にはあるようです。強迫行為は現実逃避の手段として現れることもあるということも指摘されています。

「あるがまま」で目的本位に行動する

そういった特徴を持つ強迫症に対して森田療法では度を超した強迫行為をやめるために、不安や葛藤(強迫観念)を「あるがまま」受け入れることを示します。異常な考えをしているわけではないので、修正したり、はからいをせずに自然に任せるということです。

そして不安や葛藤を打ち消す行為(強迫行為)をするのではなく自己実現に向けた具体的な行動を提示するのです。

こうやって見てくると、森田療法における人間についての深い洞察が感じられると思います。

東洋思想

森田正馬先生は、森田療法は禅宗と浄土真宗の教えに着想を得たと述べています。

西洋医学における、病気は異常だから人間から取り除かなければならないという考え方とは異なり、病気もまた人間の一部であり、共生することを目指しているのだと思われます。
そこには東洋の文化が育んできた独自の人間観が見られます。

森田療法の課題

さて森田療法には課題もあります。
一つ目は治療法が現代社会では非常にやりにくいということです。

森田正馬先生の時代には入院治療がベースにあり、通院治療は補助的なものと位置づけられていました。
今でも入院治療を行う病院もあるようですが、非常に限られています。

二つ目は強迫行為をしないことに重点が置かれ、強迫観念を減らすというアプローチがないことです。私の経験では薬物治療などにより強迫観念は減少します。もちろん先にも述べたように人間は強迫観念が湧くものなので、全くなくなるということはあり得ません。

しかし、薬物治療によって小さくなると言うことは誰にでもあり得ます。そういったことを受けて森田療法でも薬物治療を行うようになって来ているようです。

森田療法から学んだこと

さて森田療法を学んで気づいたことがあります。

それは強迫観念そのものに対するアプローチが非常に難しいということです。

先にも述べたように強迫観念は「かくあるべし」という完璧主義思考に由来していると森田療法では考えます。

おそらく自分が完璧主義者だと自覚するだけでも客観的に自分を見つめられるので、ある程度改善されるでしょう。

しかし完璧主義そのものを改善する具体的な方法については述べられていません。

この完璧主義を改善することが出来れば強迫観念が減り、強迫症がよくなると言うことは火を見るより明らかです。

私は浄土真宗の教えからこの完璧主義を改善させる方法を学び、実践しました。その結果劇的に強迫症がよくなりました。
その方法の公開についてはもう少しお待ちください。

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