精神崩壊ー強迫、双極症ー 闘病記【40】
離婚
前回は入院して断薬を試みたものの失敗に終わったことを述べました。今回は退院後の生活について述べたいと思います。
断薬に失敗した私は実家に戻りました。パートナーと住んでいたアパートには戻りませんでした。まだ断薬の影響が残っていて、体調が非常に悪かったからです。実家で家族に身の回りの世話をしてもらいながら、寝ているのが精一杯でした。
しばらくするとパートナーが離婚を切り出してきました。私は夫として何も出来なくなったので仕方ないと思い了承しました。
結婚生活はわずか2年あまりで終わりを迎えました。そのころもパートナーは原因不明の不調に苦しんでいました。
パートナーはほとんど仕事が出来てなかったのですが、自分の創作活動だけをやっていました。
私は何か情報を得ると、病院などに連れて行ったのですがパートナーの状態はよくなりませんでした。
献身
私はつい最近までパートナーの不調の原因は自分にあると思っていました。私の病気がひどくなり、夫としての責任を果たせなかったことや、事業経営を誤ったこと、優しくできなかったことのせいだと思っていました。
なんとか元に戻って元気になってもらいたいと思い、離婚後もできる限りのことをしました。
退院後
さて一方退院後、私の体調もひどく悪いものでした。とても仕事をすることなど出来る状態ではありませんでした。
事業についてはうやむやになっていましたが、家族と話し合い、断念して廃業しました。廃業して少しは気が楽になるかと思ったのですが、そういうわけにもいきませんでした。
無職で常に体調が悪いということで、勝手に誰からも相手にされなくなったと感じました。
以前関わっていた人たちとの関係を自分で絶っていきました。断薬の時に感じた自分の「異常」を覚えていたので、私とまともに付き合う人はいないと思ったのです。
これからは一人の人間として「普通」の人と関わって生きていくことは無理だと思いました。この考えは割と最近まで続いていました。
そもそもこの頃は毎日寝てばかりいたので、人付き合いのことについて考えることが出来ませんでした。
引きこもりになる
そうしていると私は完全な引きこもりになってしまいました。怖くて家から全く出られなくなりました。
ご飯は部屋の前に置いてもらって、自分一人で部屋の中で食べました。動くことと言ったらトイレに行くだけです。誰とも会話しませんでした。ただ時間が過ぎていくことを待っていました。
もちろん寝ていても変なことばかり考えます。うつ状態なので悲観的なことしか考えません。またよく分からない妄想をしていました。妄想していないと時間が経過しないのでした。
叫び
そんな状態で停滞を続けていたときのことです。一人でずっといたので頭がおかしくなったのでしょう。突然叫ばずにはいられなくなったのです。
精神科に入院しているときに他人が叫んでいるのをよく耳にしていましたが、今度は自分がそうなってしまったのです。
とにかく声を出さずにはいられませんでした。つらくてつらくてどうしようもないのです。中島敦の『山月記』の主人公になってしまったのかと思いました。
その時は家族と会話することさえできませんでした。どう対処していいのか分からない中で、家族はそれでも優しくしてくれました。
優しくしてくれたというのは何もしなかったということです。頭がおかしくなったと思って、それ用の対処をされていたらもっとおかしなことになっていたと思います。
それでも消えない強迫症
またそんな状態になっても強迫症は残っていました。もう失うものなど何もないにも関わらず、毎日不安でいられなかったのです。
これよりひどい生活になることが恐ろしかったのです。自分の頭がおかしくなっているという現状以上に恐れていることがあったのです。
それは精神科に入院した時に会った様々な人々です。仕事が出来ないこと、家族がいないこと、金銭的に困っていること、治る見込みがないこと。
それでも生きていかなければならないのです。
私は入院したときに、そういった人たちと自分の違いはただ一つ、「環境」だと思いました。
離婚しても迎え入れてくれる家族がいました。またお金に困らないようにしてくれる家族がいました。その私を理解してくれる家族を失うことが恐ろしかったのです。
私は自分を受け止めてくれる家族を失うのではないかという不安が大きかったのです。そういうわけで不安は大きくのしかかり、強迫症はよくなりませんでした。
ノンレム睡眠障害
さて叫んでいたのは一時期で治りました。医者にそのことを言っても驚かれませんでした。そういった症状が出ることもあるだろうということでした。
私はもう何が起こっても仕方ない精神科の患者になってしまったのでした。
そうこうしているうちに今度は睡眠がおかしくなってきました。夜中意識がなく行動してしまうのです。ノンレム睡眠障害というものでした。
ある日寝ているときに自分でお茶碗にご飯をよそってきて、それに食器洗剤をかけて食べようとしたのです。食べる寸前に意識が戻り、食べなくて済みましたが、危ういところでした。
医者が言うには死につながることもあるそうです。この症状は夜にベンゾ系の薬をたくさん飲むとなることがあるということでした。
それ以来、夜に頓服が飲めなくなりました。今もそれは引き続いています。
一段階悪化
それからしばらくすると今度は眠れなくなりました。寝付きそうになると苦しくなるのです。寝入りばなに意識がおかしくなって苦しいのです。
夜の10時頃床に入って、寝付くのは朝の7時ぐらいでした。朝まで全く寝られなかったのです。その頃の睡眠は朝方に2、3時間程度でした。これが続いていた時、医者に相談したところ、「もう一段階病気が悪化しました」とだけ言われました。
この時は本当に生きていることが苦しかったです。仕事は出来ない。バイトすらできそうもない。友達もいない。パートナーもいない。病気が良くなる見込みもない。
このまま死んでいくのだと思いました。いっそ死んだ方が楽だと思いました。それでも死ななかったのは家族がいたからです。家族は諦めずに私をみてくれました。
ジプレキサ(オランザピン)
退院してからも医師と相談しながら薬の調整をしていたのですが、それもうまくいきませんでした。
一つだけ収穫があったのはジプレキサを飲むと躁状態にならないということが分かったことでした。
ジプレキサを飲むと観念奔逸が起こらないのです。それまではごくまれにですが、朝からアイデアが湧いてくることがありました。
それが完全になくなったのです。
またいいのか悪いのか判断できませんが、頭の回転が鈍くなりました。今でもジプレキサは少量飲んでいます。
精神科電気けいれん法(ECT)
いくら薬を変えてみてもどうにもならないので、いろいろとネットで調べていると精神科電気けいれん法(ECT)という療法を見つけました。うつ病に使う療法だということでした。
私は藁にもすがる思いで医者にECTのことを相談してみました。医者もどうにもならないと諦めていたので、最後の可能性にかけてみるということでECTをやっている病院を紹介してくれました。
こうして私はECTを受けるために大学病院に入院することになりました。もう6回目の入院でした。
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