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今、若い人の仕事がキツイ原因

自分より若い人と一緒にお仕事させてもらえることが多い。彼らの話を聞いていると、年齢よりもずいぶん難易度の高い仕事や責任の重い役割を担っているように思えたので何故か考えてみた。

自他部署の人員配置や役職者の経歴、年齢層の分布などをざっと確認すると、一つ見えたことがある。

それは「特定の年代が極端に少ない」ことだ。具体的に言えば就職氷河期と呼ばれる世代が他世代のおよそ半分ほどしかいない。

自分もその世代に入るのだが、確かに仕事をしていて一回り上か自分より下の年代の方が多く、同年代は少ないなと感じる。

この世代の人たちはどこへ行ってしまったのだろう?

自分の同級生たちは会社勤めを諦めて起業した人、友人の会社に拾われた人、フリーランスで働いている人の割合がそれなりに多い。

いわゆる就職氷河期で、新卒当時の経済情勢故に企業勤めの門戸が絞られていた。新卒のころに企業勤めの食い扶持を逃すと、景気が良くなってから再挑戦、とはいかないものだ。依って企業戦士の比率が少なくなっているのだろう。これが若い人が未熟なうちでも不釣り合いな重責を負いやすくする土壌につながっているのかもしれない。

本来なら私や私のちょっと上の年代の、経験豊富な社員がやるべき仕事を、若く未成熟な社員が年配上司から丸投げされて何とかしようと頑張っている。そういった構図が垣間見て取れる。

そういえば私が新卒で会社勤めを始めたとき、先輩が仕事を教えてくれるものだとばかり思っていたが、実際には「現場でやりながら覚えて」と言われ、同期たちと「分からない分からない」と言いながら試行錯誤しながら仕事を覚えた。

あれはその会社がブラックだったのかなと思っていたが、実はそもそも「先輩がいなかった」んじゃないかと今でこそ思う。自分よりもかなり年上の人と、同年代以下ばかり。年配の人は現場から離れすぎているし、同年代が他人に仕事をレクチャーできるわけもない。その「特定年代の空洞化現象」がそうした事態を引き起こしていた。

そして今は働き盛り世代の不足というように形を変え、問題は継続しているのではなかろうか。

氷河期のころ、自己責任という言葉がやたらと使われた時期があった。氷河期でも就職している人はいる、できない奴は自己責任だ、といった世論が蔓延していた。無職を後ろ指挿してニートだなんだと馬鹿にし、有効な就職対策を打ち出せないことへの批判逸らしに利用されたとも取れる。

しかしそれは遅効性の毒を自ら飲み干す行為にほかならなかったんじゃないかと今にして思う。

正直、就職できた私ですら恐怖と強迫観念はずっとあった。ちょっとでも踏み外せば終わる。再起できない。ここでしくじれば、もう一生職が見つからないんじゃないか。

将来に対して明るい展望など描けない、という価値観が強く根付いてしまったように思える。依って金を使うことに、しばしばプレッシャーのようなものを感じるようになった。その価値観が消費に強くブレーキをかける。

信じられるだろうか?私が20代のころ、週に1回マクドナルドを食べることがごちそうだったが、それすらも「今週はちょっとやめておくか」と消費に対して罪悪感にも似た感情を抱いていたことを。

本来結婚子育てなどでマイホーム需要やマイカー需要をけん引し、国内消費全体を支えるはずの年代が相当数減ってやしないか。先立つものがないからなのか、将来を悲観してなのか。人それぞれ事情は違えど結果的に内需は縮小。いよいよ経済に陰りが見え始めたところで、企業は市場を海外へと求めるようになった。

観光業なんてまさにそうで、外国人頼みの観光地なんてごまんとあった。しかし某ウィルス騒動が起こり、人の移動が制限され、業種によっては外貨獲得が困難なケースが出てきた。泣きっ面に蜂とはこのことか。

※ダクソ風にいうなら「緩やかな破産への歩み、致命へと至らん」といったところだ。おっと、スズメバチの指輪をつけ忘れていたよ。

今になって就職氷河期世代の雇用を創出しようと助成金を出したりしているが、私から言わせれば20年遅かった。当時取られた対策といえば、非正規雇用の拡大によって当時の若者を贄に差し出したくらいか。

こうした歴史を今の若い人は知ってか知らずか、仕事はきついけど辞めたらなんとなくやばい、という意識はあるようだ。「本当に追い詰められてもなかなか辞められない」と言う心理的障壁の高さが、若い人たちの「キツイ」に拍車をかけていることも無関係ではなさそうだ。

今若い人の仕事が大変なことの原因の一端として、同年代の空洞化は苦々しく思う。今後もこの問題は更に形を変えて社会問題として噴出するであろうと、そう予兆めいた不気味さが拭えない。


若い人にまでしんどさが続いてて同情を禁じ得ないね。せめて少しでも気負わずに働けるような環境作りとか、おじさんにできることを粛々とやっていこうと思う。

photo by Gerd Altmann (pixabay)


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