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音楽とサブスクについて考えてみた

好きなCDを買う。好きなバンドやミューシャンの動向はホームページでチェックする。


いまやそんな時代です。

多くの人がサブスクで話題の曲流行っている曲を垂れ流したり、プレイリストを作ったりしながら日常生活に音楽を融合させているし、SNSをフォローしていれば自然と情報が流れてくる。

そんな時代です。


そんな時代ですが、私はそんな現代の仕組み、音楽の取り入れ方には少々もどかしさを感じていました。

長年好きなバンドのCDを欠かさず買い集め、彼ら・彼女らの活動の源流となるべくライブに足を運び、毎回グッズを購入するアナログ派です。

サブスクも契約しているし、話題のアーティストの曲もひととおりリストに入れていますが、普段聴くのはCDから取り込んだ曲のほうが多いです。


こんなことを書くと、過去に固執して現代の文化を認めようとしないガンコジジイみたいですね。

いや実際、私はガンコジジイだったのかもしれません。新しい人たちの音楽がどうも同じように聞こえるし、みんな同じ顔に見えるからです。


そんな私の凝り固まった考えを優しくほぐして溶かしてくれたのが、その垂れ流しの情報化社会の音楽たちでした。


ある日、サブスクでオススメされた音楽を聴いてみました。見事にハマりました。CDを買うようになりました。


また別の日、情報サイトで流れてきた音楽情報を見て興味が沸き、聴いてみました。ハマりました。ライブに行くようになりました。


現代の人からすれば当たり前の音楽との出会い方であり、何も珍しいことではないでしょうし、こんなことをドヤ顔で書いていること自体ダサいのでしょう。


だが、私にとってはこれが新たな音楽と出会うきっかけになり、そのきっかけを作っているのが、膨大な情報なのです。


膨大な情報というと、結局は大事なものがどれかわからなくなり、埋もれてしまうと考えていましたが、そんなこともありませんでした。

人間は自然と、たくさんの情報の中からそのときの自分にとって必要な情報か否かを取捨選択しているのです。


ただ、情報の受け手としても人間にはこのように優れた面が備わっていると思いますが、そこに頼りっぱなしもいけません。

情報の送り手としても心がけが必要だと思います。


発信する側として大事なのが、情報に優劣をつけないこと。

音楽は人間と同様、決して二つと同じものが存在しない。いろいろなものがあるからこそ面白いと思います。


聞く音楽に正解などなく、優劣もあるはずがない。好きなものを好きなだけ聴けばいい。

ただ、聴いたことのないものに対して口出しすべきではない。

コレが結構難しいと思うのですが、優劣を付けてしまう=主観を入れてしまうと情報として響くものも響かなくなります。

余計な感情が干渉するし、私は人から「コレ絶対オススメ」と猛プッシュされればされるほど、興味がなくなるタイプですから。


思い出の中には必ず音楽がある。インターネットやサブスクの普及により、これまで以上に音楽は空気や匂いの如く生活に密着した、ユージュアルなものになっています。

だからこそ、多くの方が、好きな音楽、好きかどうかまだわからないけど今後好きになるかもしれない音楽、そして嫌いな音楽にも、触れる、知るきっかけを多くの人に伝えたい。その思いが強くあります。


情報に主観を交えないこと、優劣を付けずに発信すること。そのためには、何よりも客観視が大事です。

ま、何が言いたいかというと、

よろしくお願いします。

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