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VERBE〜動詞的な日常

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「動詞としての文化」とは何かの考察
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2023年3月の記事一覧

祭典と日常を接続する際の違和感

持病の悪化で咳き込んでいるうちに桜が満開になっていた。WBCの決勝もはるか昔のように感じられる。そしてWBCのような国際大会を忘却する早さに文化のままならなさが見え隠れする。

話をサッカーに展開すると、たとえばワールドカップが終了したとしても、僕らにはリーグ戦が残っている(カタールワールドカップはシーズン終了後だったが)。しばらくすると試合が始まり、僕らはスタジアムに足を運び、あるいはDAZNに

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共同体にコミットすることで

3月18日にFC大阪のホーム開幕戦が行われたので花園に行ってきた。

試合は0−3で完敗し、J3の舞台に馴染むまでのハードルの高さを実感することになった。しかしJ3にVAR(ビデオアシスタントレフェリー)がないのはどうにかならないものか。

言うまでもなく日本においてサッカーは地域と密接に関連する。ホームタウンのシステムはおそらく諸外国とは大きく異なっており、市役所がブースを出展したり、選手が商店

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現在の飛鳥、そして大相撲の物語

先週思い立って一人で飛鳥を巡った。飛鳥は家族や仲間と訪問することばかりなので、一人でゆっくり回ると発見も多い。駅前でレンタサイクルを借り、遺跡や寺をいくつか回ってきた。

飛鳥に行くたびに思うのは、我々が目にする空間が古代史とは異なっている事実だ。有名な飛鳥寺は当時の姿とは異なり、ずいぶん小さくなっている。また聖徳太子ゆかりの橘寺も、本堂は江戸時代にできたものである。そもそも聖徳太子の物語が後世の

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失われた日常を書くことで取り戻す

一週間ほど更新が止まっていたのは、家族にノロウイルスが蔓延したことによる精神的な疲弊が原因だ。次男の保育所でノロウイルスが流行し、夜間の嘔吐で体力を削られ、治ったかと思ったら長男を皮切りに家族内流行。僕も症状があったにもかかわらず、すべてに対応することとなり、やっと終わりが見えたら次男がぶり返すという無間地獄を迎え、さすがに精神の糸が切れた。ようやく回復したと思ったら長男が通常(?)の風邪になり、

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散髪による個性の発露、共通文化における普遍性の歪み

以前、大学のイベントで知り合った方が理容師であったため、お誘いを受けてお店にお邪魔した。

https://www.instagram.com/larkbarbershop/

Instagramの上の方に僕の「ビフォー/アフター」が載っている。結構印象が変わったためか、SNSはいつになく反応がよかった。

あまりこのようなところに頓着しないため、面白い体験だった。

ところでボードレールはロマン

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