共同体にコミットすることで

3月18日にFC大阪のホーム開幕戦が行われたので花園に行ってきた。

試合は0−3で完敗し、J3の舞台に馴染むまでのハードルの高さを実感することになった。しかしJ3にVAR(ビデオアシスタントレフェリー)がないのはどうにかならないものか。

言うまでもなく日本においてサッカーは地域と密接に関連する。ホームタウンのシステムはおそらく諸外国とは大きく異なっており、市役所がブースを出展したり、選手が商店街でキャンペーン活動を行ったりしている。いかに3部リーグとはいえ、この密着の文化はかなり独特であろう。

東大阪市はその名前から推察できるように、三つの市の合併により組み直された空間である。僕の出身地の青森県では小さな市町村が合併されて、たとえば「つがる市」などの町に再編された。東大阪市ができたのは1960年代のことであり、今さらコミュニティの再編を云々することもないのだが、三つの市が構成するほどの広さがあるために活動範囲は異なってくる。町工場のイメージは、たとえば石切には当てはまりにくいだろう。

このような空間をホームタウンとすることで、僕らはチームを応援しながら「東大阪市」を改めて意識する。そこに描かれるのは行政区としての歪な共同体ではない。自分が積極的に関わっている、極めて主観的な「東大阪市」が精神に創造される。

おそらく僕が心に描く「東大阪市」は、かなり自分勝手なものだろう。サポーターたちはゴール裏で東大阪市への帰属を歌い上げるが、それは自分が関わる具体的な人や場所によって構成される。

スタジアムは手っ取り早い。今や友人に会うためにスタジアムが便利なのだ。顔なじみのスタッフに挨拶をし、見知った選手と言葉を交わし、ブースを巡って東大阪市に住む友人たちを巡っていく。自分がサッカーを中心に作り上げられる共同体にコミットしているゆえに、具体的な人物がマップ上に位置づけられていく。その共同体がチームのホームタウンとして「東大阪市」と呼ばれることにより、自分にとっての主観的な「東大阪市」が形成される。言ってみればそれは虚構としての「東大阪市」だ。

太宰治の『津軽』を読んでみると、太宰は故郷へと帰還するようでいて、実は縁のなかった青森県内の町を巡っている。太宰にとっての故郷はただ自分の子守りをしてくれた「たけ」との関係によって立ち現れる。異邦のような町で「たけ」と再会した太宰は、自分が「たけ」の子供であることを実感し、小説は終わりを迎える。ここに見えるのも単純な故郷の記憶語りや帰省の記録ではなく、太宰の出身地へのアイデンティティが具体的な人物を通じた主観によって構成されていることを理解できる。これもまた虚構の「津軽」に他ならない。

僕が現在身を置いている東大阪市の極めて主観的なイメージは、太宰の『津軽』、そして自分自身の故郷のイメージへと接続される。僕らは人との関係に埋没し、主観的に町を思い描く。

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