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「将来の夢」ってさ結局のところ「こうなったら良い、理想的な物語」のことやんとサトルステギくんのダイナマイトヘッド!

子どもの頃、特に小学生の時「将来の夢」をよく語ったし、語るようによくうながされた。それは高校に入っても同じで、保健室の教員に半ば、いやかなり強引に話をするように促された嫌な記憶がある。

そっとしといてくれよ。

ここで書いている夢ってさ、より正確に言うと「こうなったら良い、理想的な物語」なんだな。で、個人の夢は他人に言いふらす必要は特にないと考えてるけど、仕事での夢はむしろ積極的に語るべきだと考えている。

仕事が面白くないとか、やりがいを無理矢理作っている状態は仕方ないけれど、回避できる状態であることも相当多いんじゃないかと思う。

仕事を面白くする、やりがいをなるべく全員で築き上げていくためには「こうなったら良い、理想的な物語」を語る必要が絶対にある。この物語が存在し得ない仕事では、その業務に関わる人たちの間でテキトーに調整されてなんらかの物語がつくられるのだけれど、そもそも一部の人たちだけが共有していると妄想している物語なんざ、業務や行動の先にあるゴールと合致するのかすらも怪しいので、そんな物語を知らない人からすると「は? 脳みそにサナダムシでも飼っているの? 古代エジプトの話でもする?」などと意味が全くわからんカオスを演出することになろう。

Fuckin'ピラミッドであれ、ほらクラシーとかティールとかいろんな考えがあるけれど、なんにせよ「こうなったら良い、理想的な物語」の共有がされていない組織や集団では行動の規範を作りづらく、本来ゴールにむかって、望んでいる結果の実現のための業務行動が、誰かの満足を満たす目的に業務が増やされたりする。
それが「こうなったら良い、理想的な物語」に近づくものであるのなら適切なのだが、そうでない場合、そのルールを盾にして説明もせずに反対意見を否定するのはマネジメントを理解していない証左になる。

まあ、世の多くのマネージャーという肩書きを持つ人はマネジメントという言葉を知っていても、その構造や目的策定等の骨組みまで理解している人は少ないし、基本的なことすらわかっていない人ーー肩書きで殴る人がーー今も一定数いることを考えると、マネジメントを理解していないマネージャーがいるのは仕方がない。

とあるバイトの話。
行政も関わってる系のバイトを先日経験した。
その業務は複数の業者が関わっているのだが、請負元業者の質がそれほど良くない。少なくともマネジメントとしての理想から外れている企業なのは、働き方ですぐに想像できるレベルで笑うくらいにダメすぎる。その原因は彼らが「仕事おもしろくない」と感じているからだろう。自分の言動の先にどんなゴールがあるかもわからないまま現場に投入されたというか「腐敗した世界に落とされた」感がある。

そんなのだから、まともに挨拶をするなど初対面に近い人々とうまくやる能力がありそうな人が自分の観測範囲では4名中1名。あとは・・・酷い。彼らを責めることは簡単だけれど、その要因は彼らの上司、さらにその上長にある。業務行動の先にある目的やゴールを明確に示す意識が無いからだ。つまりマネジメントの土台を持っていないのだ。

何を目的にどんな行動をするかがわかれば、人はけっこう最適化を計りやすくなるのだけれど、その目的があやふやだから議論することも難しくなり、よくわからない自分の満足を満たすことを欲求してくる人が出現しやすくなる。

ゴールがないのに、道を作ることができるわけがないにもかかわらず、道を作れという。そりゃ無駄な動きが増えるわな。ゴールがないからPDCA(Plan Do Check Adjust)が回らない。

PDCAサイクルについては
・Plan 計画
・Do 実行
・Check チェック・見直し
・Acction 改善
とのことだが、あえてAdjustにしている。つまり見直し最適化して次のPlan計画を策定することが重要と考えるからだ。

「こうなったら良い、理想的な物語」が目的・ゴールとなるからこそ、適切な業務や言動を策定できる。それが無い中では基準があやふやになり、長期間になるほど、現場が迷う要因を作りやすくなる。なぜなら長期であればあるほど、利害対立が生まれやすくなる。真面目な人が自分の好き嫌いから外れた人を責めて満足しようとする。阿呆である。
そもそもの基準の素となるゴールが無い状況であるから、正当性の有無関係なく喧嘩になるのだ。

このゴールのなさは随所に現れている。発注元の人々の言動も含めて観察しているのだが「お疲れ様です」などの挨拶ができない人が非常に多い。対応も人によっては雑に思われたりするケースも散見される。おそらく誰も「こうなったら良い、理想的な物語」を知らないのだ。まあ、存在していないからだろうけれど。

さまざまな関連情報を見ると「こうなったら良い、理想的な物語」はありそうなのだけれど、全く共有がうまくいっていない。さまざまな要因があると思うが、もう少しなんとかできると思う。しかし、残念ながら現場の誰も「こうなったら良い、理想的な物語」を知らない。知っていても現場レベルでそれを暫定的にでもゴールとするような発言をする酔狂な人はそうそういない。
そこまでの責任を負っていないということもあるし、その行動を行うほどのインセンティブが職場に無いからだ。

そんな過酷な状況でも健気に頑張っている人はいるもので、その行動を見ると健気な人が阿呆どもが生み出したわけわからん事態をなんとか修正しようと踏ん張っているのだなと尊敬の念を持って見ている。

ここで一番述べたいことは企業の代償関係なく、マネジメントをするはずの人たちのマネジメントの不理解だ。確かに今働いている企業からは、学習する意義を与えられていないのだろう。

お前らはそんな凡夫なのか? そうじゃないだろう? さあ今こそ魂の奥底に潜めた牙を今こそ剥き出して、獲物を飲み込むアナコンダのごとく、マネジメントの基礎くらい勉強するのはいかがだろうか?

学ぶことで自分を守ることになる。というのは、今後、おそらく法制度がよりマネジメント側に欲求を強める方向になると予測されるから。今、自分が考えもつかないことで懲戒解雇になりたくなければ、勉強した方が良いと思うし、勉強したことを実践すると自分だけでなく、一緒に働いている人も今よりもハッピーになるかもしれない。

立て! 立てよ! 凡夫のふりをしている者ども!

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