戦争シーン

『ぼくらワールド解体新書』(18)戦争ってなんだろう?

戦争と聞くと軍隊と軍隊がマシンガンや戦車、戦闘機などで戦うイメージがあります。昔は槍や刀、弓矢などで戦っていたイメージですね。

戦争ってなんなんでしょうね?

古いことわざで「隣の芝は青く見える」という言葉があります。自分が持っていないものを友だちが持っていると、ああ良いなあ! って思う気持ちのことです。友だちのお母さんが優しいと、自分の母が鬼に見えるようなものでしょうか? 子どもの時に親に向かって「ぼく/わたし○○ちゃん家の子どもになる!」って言ったことのある人っていると思います。(友だちのお母さんが優しいのは、結局他人だから気をつかっているだけだったりします)

おおざっぱに言うと、隣の国や社会が持っているもので「良いな〜」と思うものを武力で奪おうとしたり、隣の国や社会から武力で守ろうとした結果、戦争は行われます。隣の国や社会が持っている土地や水源、鉱物や木々などの資源を奪うためとか、誰のものかわからない土地や資源を自分のものにしようとして争うとか・・・。

つまり戦争とは土地やその土地にあるモノをめぐって、民族や国などの間で行われる命を奪いあう争いのことです。ぼくらホモ・サピエンスは狩猟採集時代から武器を使った争いを繰り返し繰り返し行なってきました。狩猟採集時代は、そもそも少人数同士の争いが多く、戦争というよりも殺し合いといった方がイメージがつきやすいかもしれません。そんな殺し合いや戦争をぼくらホモ・サピエンスは今も続けていて、世界のどこかで武器が毎日使われています。

なので戦争って軍隊がなくなればなくなるものでもないし、武器がなくなればなくなるものでもないです。武器がなければ拳で殴りあうでしょう。
なぜなら戦争の目的は軍隊を動かすことでも、武器を使うことでもないからです。

繰り返しになりますが、戦争の目的は民族や国、などにとって必要なモノや何か得になるものの確保だったりするからです。その必要な物や得になるものがなんなのかは民族や国によって変わります。

例えば・・・

交易や貿易でやり取りできるものも多いですが、農地や港など土地そのものを奪わないと手に入れられないものもあります。自分の持っている土地では得られないものなどを、交易や貿易で得る代わりに戦争を行います。つまり戦争は自分たちに必要なものを確保するための手段のひとつなわけです。

現代では少なくなりましたが、昔は他の民族や国の土地を奪うことで、民族や国を豊かにしようとすることが多かったのです。かんたんに勝てそうな民族や国には、戦争をしかけ、勝つのが難しそうなら隣の国などと同盟を組んだりして争っていました。

戦争を繰り返して、どんどん領土を広げて行く国もあります。戦争にはお金がかかりますし、色んなものが破壊のためにどんどん消費されます。兵士として戦争に行く人々の命が消費されますし、兵士の空腹を満たすために食糧や水も大量に必要になります。昔は戦車の代わりに騎兵が用いられましたが、騎兵が乗る馬にだって飼葉や水が必要です。現代は騎兵はほとんどいないでしょうが、代わりに戦車や戦闘機などがあります。これらのマシンには飼葉ではなくガソリンなどのオイルが必要です。

戦争を行うと、食糧や水だけでなく武器もどんどん消費されます。戦争は相手から土地を奪うか、何か貢ぎ物を得るかしないと、ただただお金がなくなり人がいなくなって行くだけです。

当然、戦争が長引いたり、戦争をたくさんするほど、人やお金がどんどん出て行きます。その出て行く量が、戦争で得られるモノよりも多くなると国はどんどん貧しくなっていきます。そうなると戦争をやるどころではなくなっていき、その民族や国は下手をすれば滅びます。

戦争って負けたときの損害は大きいです。たとえ勝ったとしても、その戦争が原因で社会がめちゃくちゃに悪くなってしまい、結局民族や国などが衰退して行く原因になることもあります。

さて、次回は国が滅ぶ時について考えてみようと思います。

それではまた次回

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