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SHIN-Materialism(非-人間中心主義としての唯物論)

ーーかつて唯物論というものがあった。ーー
精神や観念は物質である肉体や、脳や、自律神経や環境などに大きく左右されるので、物質的な健康、安寧な状態を優先させるべきだという考えである。
唯物論(materialism)とは、精神よりもそれが宿る肉体、生理などの物質の根源性を重視する考え方。対義語は唯心論、観念論である。

ーーーそして最近の非人間中心主義。ーーー
「自分たちのことを霊長類の頂点に位置するものとして、一人の人間の命は地球より重い」という言葉もあったような気がするが、人類はすべての動物の頂点に立ち、地球や宇宙をも支配することができ、ほかの惑星を植民地支配するための研究も着々とすすめている人間中心主義は、ヨーロッパのルネッサンス以降脈々と続き、この価値観は、アジアやほかの地域にも撹拌してきた。
現在、この「人間中心主義」を反省する考え方が出ている。「人新世」という概念だ。地球の地層の年代区分をその時代に繁栄した生物で区分していたが、現在は、地球上で一番繁栄している生物は人類だとする考えで、なおかつ、人類の繁栄は人為的に地球の環境を悪くするものだから、人類の繁栄、人間中心主義を、見直さなければならないという考え方も、この呼称には込められているようだ。「人新世」という地層年代の呼称は、正式にはその種の学会などでは完全にはまだ、認められてない考え方ではあるようですが。。。。

人間中心主義
唯物論
構造主義
ポストポスト構造主義(クァンタン・メイヤスー 『思弁的実在論 Speculative Realism』、グレアム・ハーマン 『オブジェクト指向存在論 Object-oriented ontology』)
以上の西洋哲学の流れがあった。
唯物論までは、人類の幸福のために自然やものは人間の意のままに開発すべしという考え方であったが、構造主義あたりからこの価値観は変わってきた。これにあわせて、古代から世界中にあったアニミズム、自然を人智を超えたものとして敬う近代西洋の価値観とは異なる思想も受け入、構造主義以降の哲学研究の積み重ねもあって、「非-人間中心主義」という概念が生まれた。人間と、もの、自然が対等に関わり合う世界観を尊重するSDGsの価値観がひろまっている。いつか人類は、地球に住めなくなる時が来るかもしれない。それまでにほかの星に住めるようになるのかどうかはわからない。地球と共に地球上の生物は滅びるかもしれないが、なるべくそに時期を遅延させるためにSDGsの考え方が必要だというわけだ。いってみれば、これも人間が生き延びるための考え方とも言えるわけで、相変わらず人間中心主義とも言えるとおもう。「非-人間中心主義」と人間が言うことの自己矛盾は予めあるわけだが、それでも、限りなく人間の能力を信じ、人間の力で世界をより良く変えていくことができると言う思想よりも、自然を恐れ、自然と共に生きる道を模索することが重要だと考える。

『SHIN-Materialism』
私はここで、『SHIN-Materialism』と言うコンセプトを提案したい。
心や観念より物が重要という唯物論をさらに展開し、物は人間のために存在するわけではなく、物はものとして自立し、物は予め隠し持っているさまざまな性能を発揮し、人間と物は対等にこの世界に存在することが肯定されると言う考え方です。

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