Ryomitsu Hoshiba 干場良光
Bricolage-β Declaration : or about the relationship between by Chance・Quoting and Creation ブリコラージューβ宣言:あるいは偶然・引用と創作の関係について <要旨> 日々、制作を重ねているうちに、創作はブリコラージュによって成されると考える様になりました。ブリコラージュは一般的には日曜大工仕事という意味が定着しているので、創作法としてのブリコラージュを「ブリコラージューβ(bri
2007年、ゴールドスミスカレッジにおいて、ブラシエ、ハミルトン、ハーマン、メイヤスーが提唱。 speculave スペキュラティブとは、思弁的、思索する、推測する、俯瞰するなどの意味がある。 スペキュらティブデザインとは、未来のシナリオや可能性を想像することに焦点を当てたデザインのこと。
これで行けるか ポストミニマリズム:もの派とオブジェクト指向存在論 もの派、大乗仏教のことはよくわからないけれど、 オブジェクト指向存在論は非人間中心主義、人新世と親和性があるという意味で、今を考える時にふさわしい哲学なのだと思う。 オブジェクトとはもののこと、人間も道具も宇宙も哲学もエネルギーも全てものだ。 普通、ものというと人間に対するものということで、人間は主体を持つことができて、ものは人間に従うものということになります。主体と対象物の関係にあると考えられている。世
徐々に書いていけるといいけれど
菅木志雄のもの派と李ウーハンのもの派のちがい
人新世の時代のアートは、人にとって不要な物が、中心の作品になる。
芸術の価値は、それを観ることによってい、モノの見方が変わるところにある。見方が変わることは現状の問題点の解決の策を発見することに繋がる。西洋美術に価値があるのはルネッサンス以降、現代のポストコンセプチュアルアートまで、主題が神、美しい人間、普通の人、色々な人。現代は工業製品や大量生産品になっている。 崇拝する価値あるものは神、人間、物とヒエラルキーを下げている。 モノが主題というところに、ポストヒューマンアートがあり、オブジェ指向存在論的価値観は反映されているのだろう。 こ
ーーかつて唯物論というものがあった。ーー 精神や観念は物質である肉体や、脳や、自律神経や環境などに大きく左右されるので、物質的な健康、安寧な状態を優先させるべきだという考えである。 唯物論(materialism)とは、精神よりもそれが宿る肉体、生理などの物質の根源性を重視する考え方。対義語は唯心論、観念論である。 ーーーそして最近の非人間中心主義。ーーー 「自分たちのことを霊長類の頂点に位置するものとして、一人の人間の命は地球より重い」という言葉もあったような気がするが、
非-人間中心主義としての、SHIN-Materialism
contextは、bricolage-β。 conceptは、非-人間中心主義としてのNEW-Materialism
偶然性とは、主体不在の自然の摂理による必然性のことだ。
模様は世界や自然の構造を表徴したモノ。
ブリコラージュで調和にとれた作品を作るのでは無く、自己ツッコミ的≒第三者的違和感を持たせる作品を作ることが、創作に繋がる。
自己ツッコミ能力
「差異」という言葉は、ただ違うというよりも、同じ部分もあるけれどもちがいもあるということだ。全く違うものをくらべて、差異があるとはいわない。 「世界のすべてのものは、同じ部分もあるし違うところもある。」原子や衛星や宇宙も含めてそうである。☜「同じであるけれども違いもある」この、矛盾することが真理である。 構造主義の構造も、内包する差異によって、時間と共に、また、周りの影響も受けて少しずつ変形する。このことが、脱構築というポスト構造主義の意味である。 リゾーム;中心も持たず、上
脱構築ー偶然性ーブリコラージュ 偶然性を含むブリコラージュ的な思考法によって、それまでの構造支配から脱するための脱構築の思想が可能になる。 「ドゥルーズの差異」 既存の構造も、差異によって少しずつ変形する。