性犯罪は死ね
今思えば、僕は割と幸せだったのかもしれない。
家族や親せきが唐突に死ぬようなことはなかったし、おじいちゃんは数年前に心臓の病気で亡くなったけれど、平均寿命で亡くなったのは自然なことだった。
小学二年生の頃、同級生の女の子の母親が亡くなったというのが一時期話題になった。
僕が生まれる少し前に、叔父の友達が川でおぼれたらしい。
中学でとてもお世話になった先輩が、僕が20歳のときに交通事故で亡くなったと聞いた。友達同士でドライブしていて、田舎の道で事故ったのだろう。それが僕にとっての一番身近な人の死だった。
テレビを見ていたらいろんなニュースが流れてくる。今日も火事で人が死に、交通事故で学生が運ばれた。
煽り運転はもうあるあるだし、ひき逃げとか高齢者のアクセル踏み間違えもよくあること。
日本では拉致や銃殺さえないが、"ずさんな"人間が今日も事故を起こしている。
僕は幸せなのかもしれない。虐待とは無縁の世界で育ち、兄弟喧嘩でしか暴力を加えたことがない。それもローキック程度のもの。
船が横転する事故に巻き込まれたこともないし、放火犯によって火事に巻き込まれたこともない。ずさんな経営によって不利益を被ったこともないし、詐欺に遭ったこともない。
家系にはがんの人もいないし、酔っぱらって暴れる人もいなければ、人間関係に支障をきたすような人間もいない。
だから、彼女が犯罪に巻き込まれて許せない人ができた今、僕は幸せだったんだと思った。
某教会の事件は根深く、夏に起こった銃殺事件から半年たった今でも報道番組の多くの時間を占めている。
世の中の様々な理不尽なものを見ていて本当に腹立たしいし、この腐った世の中で許せない人間がいくつもいることをそのたびに痛感する。
しかし、結局はどれも他人事で自分がその渦中にいることはなかった。「この人はつらいだろうな」とか「自分がこの立場だったらこうするな」なんて外野から眺めているだけで、本当にその人の気持ちがわかるはずなんてなかった。
たとえば高齢者にひき逃げされたとき、それが事件となってテレビで報道され相手が逮捕されて賠償金が支払われても、心の底から納得できるだろうか。
たとえば、親が新興宗教にはまって家のお金が無くなり、自分まで引き込まれて家族が崩壊した時、憎むべきは何なのか。
たとえばおばあちゃんが詐欺に遭って、多額の、しかしテレビでは報道されないような額のお金を振り込んでしまったとき、そして相手が捕まらず泣き寝入りするしかないとわかった時、どうすればよいのか。
そんなもの、考えるだけ無駄だった。だって自分は現にその目に遭っていないから。
しかし、自分の彼女が性犯罪に巻き込まれたとき、精神的にも肉体的にも深く傷ついたとき、彼女が不安の中毎日を過ごすとき、僕はどうしよう。
遠距離の彼女を助けるためにできることはする。この重犯罪を起こした人間を逮捕してもらい、我々を苦しめた人間に制裁を加えてほしい。
しかし、このどうしようもない怒りと悔しさと屈辱と悲しみ。起きてしまったことだからどうしようもないが、「起きてしまったからどうしようもない」で片付けたくない。
この重犯罪を起こした彼には、このことを一生後悔し惨めで哀れな救いようのないゴミクズ人生を送ってほしい。
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