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コミック「鬼滅の刃」を一気に全巻購入して2日で読んで涙しながら感動したことよかったと思ったこと 6つ

鬼滅の刃。アニメと映画を観て、最終巻である23巻が発売されたら一気に全巻買って一気に読もうと決めていたのだが、ついに12月4日に23巻が発売したので、一気に全巻買って、土日の2日間で一気に読んで、一気に泣いた。

もの凄く泣いた。23巻を読んだときはマジで泣きまくった。霞の呼吸が目の前で起きたんじゃないかって思っちゃったくらい泣いた。

というわけで、「鬼滅の刃」を読んで感動したところ、良いなと思ったところを6つ書いた。めっちゃネタバレ入っているので、まだ読んでいない人は以下読まないでください。文章始まる前の間に、最高のYouTube動画リンク貼っておきます。

はい。ここから文章をスタートさせます。良いと思ったこと6つです。


1.戦闘シーンにおける「思考」

鬼滅の刃の盛り上がるところは、やっぱり戦闘シーンです。正直、コッテコテ王道戦闘展開ではありますが、私が良かったと思ったのが多くの戦闘シーンにおいてピンチになった時、そのピンチを受け入れてどうすれば難局を乗り切れるのか、炭治郎が「思考」している点です。炭治郎は強敵の鬼を倒すための方策を、時には仲間の力とともに随所で「思考」しています。気合と根性と必殺技だけで乗り越えるのではない。どうすれば勝てるのか。冷静に、考えて、考えて、考え抜いて鬼と対峙しているのです。

私たちも現実を生きていると、スポーツや仕事などを行っている時など、さまざまな壁や困難にぶちあたりますが、とりあえず気合と根性でどうにかしようとするのではなく、常にそれら難局をどう乗り越えていくのか、「思考しそれを実行すること」が大切になってきます。戦闘シーンにおける炭治郎の「思考」のシーンを通じてその大切さを感じることができるのです。


2.コミック王道展開の中でもどこか漂うリアリティ

コミック王道展開の中でもどこか漂うリアリティ。これは特に最後の鬼舞辻無惨戦で珠世さんとしのぶさんたちが開発した薬によって無惨が弱体化することで、炭治郎はじめ鬼殺隊のメンバーが最強の力を持つ無惨に対抗できるようになるところにあったかと思います。大抵こういうところでは主人公が急激な覚醒をしてラスボスの能力そのものを超える、といった展開も考えられますが、その前から十二鬼月と闘いまくってすでに疲弊している主人公はじめ鬼殺隊がいきなり覚醒するというのはちょっと無理やりがすぎる。でも無惨そのものが「弱体化」することによって総力戦で挑めるようになったわけです。気合と根性、ご都合主義的な展開も随所にありますが、核として、無惨を倒す戦略と方法にはどこかリアリティがあってすとんと納得できるところがあります。
前述した「思考」をフルに用いて戦略を立てて無惨を倒す。必殺技の連発の中にもそういったリアリティのある戦いへの臨み方があるから、炭治郎がお決まりな感じの「覚醒」をしきれなくてもよかった。こういったどこか漂うリアリティのある戦い方が本当のよいなぁと思ったところです。


3.○○の呼吸の派生への言及とそのあり方

それぞれのキャラクターがそれぞれの呼吸法を持っているところがこのマンガの肝の一つですが、はじまりの呼吸「日の呼吸」から、それぞれの剣士に合った呼吸へと種類が分かれていったといった説明がありました。ここもよかったと思いました。強制的に特定の呼吸法を覚えなければならないのではなく、自分の身体や精神にあった呼吸法を編み出すこともできる。自分の得意とするところを引き伸ばして新たな技、可能性を作るといった、いわば自分にマッチしたスキルを追求できるところにこのコミックの良さがあると思いました。

現実社会においても、自分の身体や精神にあった能力だったり感性だったりを引き延ばしてそれを自分と人のために活用していく、といったことはとても大切なことだと私は思いますが、鬼滅の刃の「呼吸法」はまさにそれを端的に表したものだと思います。

自分にあったもの、自分の信じたい自分の能力や感性をもって、いろいろなものをつくったり可能性を探ってみたりすることの大切さを「呼吸法」は教えてくれている気がするのです。

4.煉獄さんの母、そして炭治郎と鬼・猗窩座の戦闘場面での台詞

私が大ヒットしている劇場版「鬼滅の刃」無限列車編を観に行って最も感動したところは、煉獄杏寿郎の母の杏寿郎へのメッセージです。原作コミックですと8巻に掲載されています。

「なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか。弱き人を助けるためです。生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者はその力を世のため人のために使わねばなりません~(中略)~弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」

そして、17巻において炭治郎と上弦の参である猗窩座(あかざ)との戦闘場面において、猗窩座が「弱者には虫唾が走る反吐が出る。淘汰されるのは自然の摂理に他ならない」と言ったとき、母の言葉を胸に戦い続けた煉獄さんの想いを受け継いだ炭治郎が、上記と同様のことを言い放つんですね。

「強い者は弱い者を助け守る。そして弱い者は強くなり、また自分より弱い者を助け守る。これが自然の摂理だ」

今は流行病による大変な情勢も影響してさまざまな観点から「断絶」というワードが世界中で飛び交っています。でもこの断絶を起こしている根源は、この煉獄さんの母と炭治郎の言葉の「在り方」が社会において減退しているからではないかと私は考えています。
例えばいくつかの先進国の教育環境を考えると、今は強き者が強くあることを守るためだけに、強き者をより強くするような環境になっているといわざるを得ません。弱きものを助けて助けられた者が強くなったときまた弱きものを助ける。この相互の助け合いの精神に則った社会を構築することが今世界で起きている断絶を低減させる鍵になるのではないかと私は考えているのですが、鬼滅の刃は、まさにその大切な鍵をつくるきっかけを与えてくれているような気がするのです。


5.14巻における鬼殺隊・恋柱「甘露寺蜜璃」のエンパワー

恋の呼吸法をつかう甘露寺蜜璃が十二鬼月の鬼と戦い、もろに攻撃をうけて走馬灯をみる回想シーンが14巻にはありましたが、ここが私は大好きだったので書きます。

17歳のとき、髪の色が特殊、筋肉の密度が常人の8倍、相撲取り3人よりもよく食べる、などの理由で「君と結婚できるのなんて熊か猪か牛くらいでしょう」と見合い相手にいわれ、それから髪を粉で黒くして、食べたい気持ちをぐっとこらえ、力も弱いふりをして、おかげで結婚相手をみつけることができた蜜璃。しかし、ここで蜜璃は「私、こうやって私は私じゃないふりをして生きていくの?私が私のままできること、人の役に立てることがあるんじゃないかな?私のままの私がいられる場所ってこの世にないの?」といった疑問を覚えるようになります。そして、その力を認めてくれたのが、鬼殺隊の当主である産屋敷耀哉であり、鬼殺隊の皆々だったのです。

「女の子なのにこんな強くっていいのかなって、また人間じゃないみたいに言われるんじゃないのかなって、怖くって力を抑えていたけど、もうやめるね」

14巻の戦闘において、蜜璃は「希望の光」としてみんなを守るための闘いに臨みます。自分が自分であるための力を、人の役に立てる力を奮うのです。

この14巻の蜜璃の一連のシーンは、自分の力を信じて、思う存分、自分の能力を発揮する女性のエンパワーメントが力強く表されていて、本当に素晴らしい巻であると私は思いました。
女の子だからって、現代社会においても構造的につきまとい、抑圧してくる「女らしさ」に無理に従った女の子にならなくてもいいんだよ。自分がどうありたいか、まずはそれを大切にして、というメッセ―ジが蜜璃を通じて伝わってくる14巻。とても勇気をもらえる巻だと思います。


6.つながる想い。続いていく想い。

この漫画でとにかく全編を通じて出てくるのが「家族」の物語です。育てる人、育つ人の関係の物語がこの漫画の核と言ってよいと思います。主人公の炭治郎と鬼になってしまった妹の禰豆子の物語を中心に、鬼殺隊のメンバーの家族、そして、鬼たちの家族の物語が必ずと言っていいほどこの漫画には盛り込まれています。
さまざまなかたちの家族の、さまざまな思いやコミュニケーションの在り方がひしひしと伝わってきて、一人ひとりのキャラクターのリアルがしっかりと見える構成になっているから、重厚感がとてもある鬼滅の刃。それぞれのキャラクターが家族や愛する人たちとどんなコミュニケーションをして、その結果どんなことが起きたのか。それら一つ一つを読み進めていくうちに、多様な家族のかたち、人と人との関係のかたちが迫ってきて、コミュニケーション、つながる想い、そしてそれらが連綿と紡がれて、私たちの生きる世界の未来がつくられていくということを深く感じることができるのです。

鬼滅の刃は、自分のいる家族やコミュニティの在り方を考えるきっかけ、コミュニケーションをつくりだすきっかけを作ってくれる力強くしなやかな作品だと思います。人と人とが対話できるきっかけをつくってくれる素晴らしい作品だと思います。

どんなに時代がかわっても、どんな過酷な情勢の中にいても、人と人とのつながる想い、コミュニケーションの大切さは変わらない。むしろ、今はさらに大切なものになっている気がします。そんなことを鬼滅の刃を読みながら思い、最終巻である23巻は涙を流しながら読みました。

とても、よい作品だったと思います。

今後のアニメーションにも、本当に期待しています!

ちなみに私はLiSAファンです!LiSAッ子です!


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