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待ち時間のえちゅーど3

時間調整のため飲食店に入った時のこと・・・・

自分の席から見て斜め左、通路を挟んだ向かい側の席に、田舎の母親と同じ年齢くらいの女性グループを見掛けた。最初は特に気にもとめてはいなかったが、料理が運ばれてくるまでの間、なんとなくそちらに目を向けていたら聞き耳を立てていた。

人間ウォッチングと言えば聞こえはいいが、とどのつまりは盗み聞きだ。

通路を挟んで斜め向かい…なわけだから、よほどの大声でないと話の内容は聞き取れない。そして彼女たちは、大声で話すタイプのおばちゃん集団ではなく、口元を抑えて笑うタイプの上品な奥様方だった。よって聞き耳を立てるか、そちらに意識を集中しない限り、なにを話しているかなど解りはしないのだ。だからこそ、気になったのかもしれない。

じっと見てはいけない…と思いつつ、しかしながら目が離せなかった。

もし田舎の母だったら・・・・

きっと、

・大きな高笑いが聞こえてくるはず

店員を呼び止めるときも、

・周りに聞こえるような響く地声で

立ち去る店員に対しても、

・友だちのように話し掛けるかもしれない

まぁ、想像に難くないおばちゃんあるあるだ。しかし。

これだけ並べると、自分の母親が世間的に迷惑な老害のように感じるかもしれない。だが、店内に見知った顔が少なからず存在する田舎の飲食店では通常運転だし、あくまでも「あるある」なのだ。それを正当化するつもりもないが、多分彼女たちが同じようにわたしが入った飲食店にいたのなら、おそらく目の前にいる上品な奥様たちのように聞こえない声で話すだろう。それは電話に出るときのような「よそ行きの声」を使うことと同等だからだ。

少々話はそれるが、自分は常々、この「おばちゃんあるある」という現象は一種の「照れ隠し」や「開き直り」だったりするのではないかと思うのだ。全部が全部そうというわけではない。中には本当に「老害」の類の人種もいるかもしれない。
それに「照れ隠し」や「開き直り」というのも自分の個人的見解に過ぎないので、それを「そうだ」と言い切るつもりもない。けれど自分や自分の妻が「おばちゃん」と呼ばれる年齢になった頃から、なんとなく妻がそれと似た感情に動かされていたような気がするからこそ、そう思うのだ。

さて、なぜこの奥様方が気になったか…なのだが、最近妻が古い友人たちと連絡を取り合うようになったことに理由がある。

子育ても落ち着き、例えば進学で「地方でひとり暮らし」を始めるだとか、恋人ができて「同棲」または「結婚」など、親元を離れる時期がやって来た。または、まだ学生だとしても夕飯時から深夜にかけ親がいなくても自分のことは自分で始末できる年齢になると、親の出番というのは必要書類だとかお金のこと以外なくなるもので、それに伴い子どもの行事に時間を割くことがなくなった妻は、似たような境遇の友人たちと「今後の自分」の話をするようになったからだ。

そこに、夫である自分の存在はない。
僻むわけでもなく、それが自然だった。

だから、目の前で楽しそうに話す奥様方を見て、将来の妻を思い浮かべた。

髪は短いだろうか
白髪染めはいつ頃までするのか
少しふくよかになっているだろうか

若い頃の妻は「前髪命」で、毎朝洗面台を占拠しては時間をかけ、時代に伴いクルクルドライヤーやアイロンを駆使して必死に伸ばしていた。なぜなら妻は若干くせ毛の傾向にあり、雨の日や湿気の多い時期などは前髪が雷様のようになってしまうからだったが、結婚して子どもに時間をとられるようになると、前髪は横分けになり、全体にパーマを当てたりして洗面台に立つ時間も短くなっていった。
いつから髪を染めていたのかは解らないが、この頃は生え際が白くなるのも早くなってきたように思う。それはお互い様なのだが、年相応のことなのだから、そんなに頻繁に美容室に行かなくてもと思ってしまうのは、女心を分かっていないからだろうか。
人間の体系はずっと同じというわけにはいかない。特に女性は出産を経験するあたりから肉付きや骨組みに変化が生じる。こちらも筋トレが趣味でもない限り、加齢による中年太りやら、運動不足の反動やらで動きが鈍くなったりしているが、女性ほどそれを不自由だとは思わない。
考えてみれば、見てくれに関して女性は、恋をしている頃から考えすぎるほど気を使っていて大変だなぁと今さらながらに思う。

目の前にいる奥様方も、そういった過程を経て今があるのだろう。すっかり真白になった髪をキレイにセットし、皺やしみを気にしながら化粧をしているのだろうか。女性はいくつになっても大変だ。
たとえそれが自分のためじゃなかったとしても、そういった女性の行動を「かわいい」と思う。そんなことを言ったら「バカにしてるのか」と怒られてしまうそうだが。

この場に妻がいたらどう感じただろうか。まず「見るな」というだろう。そして、自分が今感じたように、将来友人たちと和やかに話す自分の姿を想像したかもしれない。
巣立っていった子どもたちの話、旦那の愚痴、お嫁さんの話なんかをするのかもしれない。いや、もしかしたらまったく関係の無いくだらなくも重要な、女性特有の会話かもしれないな。あるいは健康…。

楽しく談笑する奥様方に、もう少し歳を重ねた妻の姿を重ねてみる。
その時、留守番をしているだろう自分は、まだ仕事をしているだろうか。それとも邪魔にされながらのんびりとリビングのソファに座っているだろうか。出掛ける妻を見送って、さみしい思いをしているだろうか。それとも、存在すらなくなっているだろうか。

それ以上考えると落ち込みそうだからこの辺でやめておこうと思う、待ち時間のエチュード。そんなちょっとした即興。



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