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連載『あの頃を思い出す』

   9. 間違えた場所・・・4

 朋李(ともり)の手術も無事に終わり、3210gの元気な男の赤ちゃんが生まれた。
「ねぇ、まだ浮腫んでる?」
「もう平気じゃない?」
「ちゃんと見て!」
「わかんないよ…」
(気にするところそこじゃないと思うんだけど)
 手術後の朋李は血圧が低く、体全体が見たこともないほどパンパンに膨れていて、一瞬怖い思いをした尚季(ひさき)だった。だがそれをそれと告げることも面倒になると思い、
「そんなことよりもう少し看護師さんの話聞きなよ」
「聞いてるけど?」
(聞いてたらここに来るまであたしがナースセンターに引き留められることもないと思うけど…)
 朋李は術後の痛みに耐えられずに5分おきにナースコールを鳴らしては看護師を困らせていたという。だがそれを追及したところで、あ~でもないこ~でもないと話が長くなるのでそれ以上の言及は控えた。
 尚季は小さくため息をつき、
「結局、名前はどうするの?」
「それがさぁ…。てっきり女の子だとばっかり思っていたから…」
「考えてないの?」
「だから悩んでるんじゃない」
「あるあるだね」
 尚季は朋李の病室で穏やかに笑っていた。それまでに起きた余計なことを忘れられるくらい、赤ちゃんは心を優しくしてくれた。
「あたしの時は『太郎』と『花子』なんてふざけてたくせに、自分の時は悩むんだ」
「あ~そんなこともあったわね」
「ノリ君はなんて?」
「考えてはいるみたいだけど、ノリが思いつく名前は身近にいる人の名前ばっかりで…」
「随分前から考えてたんじゃなかった?」
「ベビーの顔を見たら、全部違ったんだってさ」
「ふふ。幸せな悩みだね」
 朋李も務めて出産当日の話はしなかった。
 あの日以来尚季は経場(けいば)とは会っていないのか、出かけた先で瀬谷とどんな話をしたのか、気になることは山ほどあった。だが、とても聞けるものではなかった。微笑みながら話す尚季はいつも泣いているように見えたからだ。
「退院までに考えないとね。…それじゃ、子どもたち迎えに行ってくる」
「あぁ、もうそんな時間…」
「また明日くるね」
「毎日来なくてもいいよ…」
 とはいうものの、おそらく「一人でいたくないのだろう」と察する。どんな言葉をかけても、尚季を安心させてやれる気がしないのだ。


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