見出し画像

トイレにまつわるえとせとら

あなたは学校で、アラレちゃんのおもちゃ💩を排泄したことがあるでしょうか?
便秘なわたしでも、1、2回はあるんです

ちなみに、それをネタにいじめられたこともあります


それは小学校高学年の時でした
なんだよ、またトイレの話かよ・・・・と、思われるのはごもっともでございます。わたしも我ながら「しょうもないな」とも思いますが、なんとなく幼い自分の傷ついた心を解放してあげたかった…とでも言っておきましょう ⇐ 結局自己満

子どもが産まれてから一緒に観ていた教育番組で「我慢しないで」とか「恥ずかしくないよ」なんてタイトルで、学校で💩してもいいんだよ…的な人形劇やら、知育番組なんかを頻繁に目にした時、昔はそれほど大っぴらにやってくれなかったよなーなんて思ったものでした

当時はまだまだ声高に「💩が大事」とはだれも言ってはいなかった。少なくともわたしは、教えて貰わなかったと思います

しかも! 子どもの頃のわたしは「便秘」なんて言葉も知りませんから、排泄そのものが「悪いこと」のように感じていましたし、毎日同じ時間にトイレにこもる父親を、そういう「病気」なんだと思っていたほどでした
それが、本当は「毎日の自然現象」なのだと理解したのは、高校の修学旅行の時だった。毎朝友だちがトイレで苦悩している姿を見て、ようやく自分がおかしいのだと気付いた

そんなの言われなくても解るだろ・・・・って思いますよね? でも、幼少の頃から便秘だったわたしの中では、朝「顔を洗う」ことのように、毎日アラレちゃんのおもちゃを排泄することが当たり前ではなかったのです


話がそれました('◇')ゞ

さて小学生自分、トイレにこもる所業を「病気」か「悪いこと」くらいに思い込んでいた恥じらう乙女はどこに向かうのか・・・・それは、特別教室のある校舎、または(辺りを見回して)教職員トイレ、でした

わたしの小学校は、田舎でしたので、都会のように校舎がA棟とかB棟、もしくは特別教室棟なんて小分けに建ってはおらずに、横長にど~んでした。そして特別教室は端っこに集中しており、1階の家庭科室の前か、2階の理科室の前、または使用されない時間帯の体育館が穴場だったのです

当時のわたしには、仲がいいけど学校クラスでは一緒にいれない親友…の存在がありました。その子はとても賢く、男子にも人気があり、わたしのような「落ちこぼれ」が隣にいるのはおかしいと、要は別な友人のヤキモチや束縛から、わたしは蚊帳の外に追い払われていたのです
彼女とは密かに交換日記をしていた時期もありましたが、それもヤキモチ妬きの友人に阻まれ続けられなくなっていました。女子の交友関係は、彼氏争奪並みの陰湿なものがどよめいているのですね~

でも時々、隙を見ては微笑みあったり、口パクで挨拶を交わすなど、それなりに彼女とのコミュニケーションは取れていたのです

ある時わたしは、給食のあと、ただならぬ腹痛に見舞われ、どうしようもない状態にありました。その時、いち早く異変を察した親友が、特別教室の前のトイレの話を教えてくれたのです
わたしは「いいことを聞いた」とばかりに、真っ直ぐと特別教室に急ぎ、人気のないトイレに入りました。事なきを得て、いざ教室に戻ろうとした時、トイレの外で笑い声がしたのです
なんと! 親友とヤキモチ妬きの友人が後をつけてきていたのです…(´TωT`) わたしはトイレから出れずに、音も立てずにその場をやり過ごしました。でも教室に帰ると、意地悪な男の子が「おまえ💩だべ」と、わたしを罵ったのです

当時のわたしは結構ふてぶてしい子どもでしたので、断固として否定し、なんなら「おまえだろ」と、そいつを罵り返すくらいの根性は備えていました。でも、わたしが特別教室前のトイレに行ったことを知っていたのは親友だけでしたので、酷い裏切りを感じ、💩呼ばわりされることよりもそっちの方がショックでたまりませんでした
おそらく親友がわたしに話しかけたことが気に入らないヤキモチちゃんが、彼女に問いつめたのではないかと思うのですが、最後まで聞けずじまいでした

まぁ、小学生にはありがちなやつですね。でも当時は結構へこんだものです


そんなことがあったものですから、自分の子どもが学校に通うようになってからはだいぶ神経遣いましたよ。息子はともかく、娘はbabyの頃からすでに便秘症で、それはまぁ小さい頃からアラレちゃんのおもちゃチェックは欠かしませんでした。だからそれなりの心の準備もあったのでしょう…心配するほど我が子は神経質にはなりませんでした





この記事が参加している募集

いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです