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あちらが建前なら、こちらは本音

リレー・エッセイ『あぁ、愛しのコンプレックス様』にて、自分のコンプレックスと向き合う機会をいただきまして、わたしなりに思いの丈を切々と綴った…の、で、す、が・・・・
そう、やりきったはず!…が、実はその奥底に潜むもうひとつの自分の澱と改めて対峙することになりました・・・・

と、いうのが『コンプレックスのその後』に向き合うテーマです

コンプレックスを語る…とひとくちに言いましても、実際に今、抱えている問題であったなら、多分簡単にひとに話せることではないのだと思います。だって現実に苦しんでいるんだもの、それをさらしたところで解決するどころか余計落ち込むのじゃないかしら? 
だからね、口に出せる〈コンプレックス〉は、自分の中である程度かみ砕いて解消されているか、あるいは解決策が見つかってどうにか消化できそうな内容でなければ、おいそれとは公表できない…ということですよ

結果『よく、ジブリに出てる?…と言われる』は、今だから言える笑い話となるわけです

そう考えると…
あらわたし「もうDEBUなんてどうでもいいの?」って、本当は「そこまで思い詰めてもいないの?」って振り返りができるわけです。まぁ、実際のところあきらめが一番強いのでしょうけれど、出掛けられないほどの問題ではなくなった…ということでしょうか
会社を辞めてすぐのころ、自分の醜態のあまりの恥ずかしさに後輩の結婚式の招待を蹴ったことまであるので、その当時を思えば今はまし…と

じゃぁ、なに? DEBU以前になにを気にすることがある?…ってなりますよね? そこにはプライドとか、見栄とか、そういう醜いものが渦巻いているのですが、それこそひとに話すことでもないのかもしれないけれど、わたしなりにちょっと前進したいなって思ったわけです

だってお盆だったし、会っちゃうわけですよ身内に。わたしを散々DEBUの呪縛に縛り付けた叔父叔母に! 従妹従弟たちに!

ここでお気づきでしょうか? 従妹従弟、つまり私の上にはだれもいないんです。わたしは父方でも母方でも事実上の初孫だったので(^^;)

わたしはこの「なんでも初めて」という自分の置かれた立場がとても嫌でした。はじめての入学に始まり、はじめての受験、はじめての結婚…は先を越されましたが、とにかく常にセンター…ではない「先頭」であることに物凄いプレッシャーを感じていたのです。それこそ年頭のあいさつに始まり、お礼、謝罪、気配りと、なにかにつけ「一番大きいんだから」と言われることが多く、個人の性格や羞恥心、自尊心を無視したそれらの「先頭」「先陣」であり、加えて「できて当たり前」「やって当たり前」の体制が苦痛でしょうがなかった
(余談ではありますが、それらを克服し気持ちよく先陣を切って当たり前のように生活できるよう、そんな思いをしなくていいように我が子を育てました…が、これはまたあとのお話ということで)

先に生まれたから、先に学校に行ったから、先に勉強したから、なんでもできるわけじゃないんですよ。なんでも知ってるわけじゃないし、頭がいいわけでもない!…のに、なぜか「完璧」でなければいけなかった。そうなんです!「完璧」なお手本を求められていた。だから・・・・

わたしはできるおねぇさんでいたかった・・・・

ということです

ゆえに貶されたり、馬鹿にされることが「先頭」であることの恥であり、そのあとについてくる「一番大きいのに」「おねえちゃんなのに」という冠的言葉が怖かった
先に生まれたからって、先に勉強してたからって、別にそれをわたしがひけらかしているわけでもないのに、自動的に大きなプレッシャーとなって返ってきた。もちろんそれは(今となっては)単なる思い込みでしかなかった。勝手なわたしの解釈、勘違い。でも! わたし自身も「一番大きいから」「おねえちゃんだから」なんでもできなければいけない、なんでも知っていなければならない、なんでも率先してやらなければいけない…と自分で自分に縛りを課していた。そういうものだと思っていた。わたしの世界はそれだけ狭かった。実に頼りない特攻隊長ですよ

そら、天狗にもなります。できなくても「できる!」と思われているんですもの。なんでも「こなせる!」と思われてるんですもの。でもこの「先頭」「先陣」冠、DEBUを理由にまるでバカ殿に一変ですよ

そしてなにより、わたしはずっと周りから「嫌われている」と思っていたんです。従妹や従弟たちに。おそらく今も「嫌われている」のだと思っているんです。だって、結果・・・・

できないおねぇさんだったから・・・・

まぁ、ある意味、刷り込みからくる思い込みです、これも

実際はみんな知ってるんです。本当はわたしがどれだけ頼りなくて、周りの期待ほど「できない」ことも、わりと常識的なことでもそれほど「知らない」ことも、不器用で度胸なしなわたしが全然卒なく「こなせない」ことも、本音ではみんなが知っている。だからこそわたしはできるおねぇさんでありたかった。できるおねぇさんになりたかった。それをDEBUというカテゴリーがすべてを台無しにしている!…と思っていたわけです

もうここまでくるとかわいそうなひとでしかないですね・・・・
いやいや、本人は、それほどでもないですよ(#^.^#)

そこで先日、いつも通り身内の集まりに顔を出します。ここも「行かなきゃいいのに」って思うかもしれないけれど、なんでしょう? わたしはМなんでしょうかね? 律儀に出掛けて行くわけです
相変わらず「デラックス」と言われ、座る席も余裕のある所に鎮座。そして「動かないひと」扱いで、笑いの種です。散々わたしを動かしたあとに、だれよりもわたしの名前を呼んだあとに・・・・
なんでしょうか皆さん、そんなに毎日嫌なことがあるのか、ここまでくるとそんなに笑いが必要なのかな…とさえ思ってしまう。これも一種の「お家芸」と、わたしもいちいち大仰にリアクションは取りませんけれど、それなりにいつものスタイル

お盆行事の集まりのあと、わたしが「岩盤浴」に行くと言いますと、従妹が「あたしもつれてって」といいました。この彼女、3ヶ月違いのひとつ下の従妹ですが、数年前にグループLINEの「いとこ部屋」に写真を添付してきたおそらく一番わたしを「恥ずかしい」と思っているんじゃないかと思われる参謀です
彼女は我が親族きっての「痩せぎっちょん」で、なにかにつけわたしをディスってくる従妹です。わたしとはまるで正反対の「体育会系」で「姉御肌」の実に男前な、加えてとても優秀で実質なんでもひとりでこなせる輩です。その彼女、実は「おひとりさま」がダメなんだとか・・・・

ほえ?( ゚Д゚) な、な、なんと・・・・?

岩盤浴なんて、ひとりの方が楽なのに…と、ちょっと意外でした
団体行動には欠かせないリーダーシップ抜群の、毎度「学級委員長」で末は「生徒会長」や「応援団長」までやってのけた彼女が、社会に出れば常に「班長」「主任」「リーダー」とそれなりの肩書を選挙の襷の如く着ているような彼女が「おひとりさま」はダメなんだそうです。再びの、

ほえ?( ゚Д゚)・・・・からの、ふ~ん( 一一)

以前、いやおそらく10年前わたしが30年以上慣れ親しんだ土地を離れ、今の生活を選んだ時のこと。わたしは彼女らに聞いたことがありました

わたしはおねぇさんでありながら、今まであんたたちにとってあまり頼りにもならず、いなくてもいいんじゃねぇかなって思ってる…だから今後、もし戻らないことがあってもさして影響はないだろう

と・・・・

だが彼女は「それは違う」と言った。たとえどんなに貶そうとも、顔を合わせるたびにディスろうとも、やっぱりおねぇさんはおねぇさん、それなりに需要があるのだ…と。それは別れ際の激励的な気遣いだと思っていた

そして今に至る・・・・

端々で「やっぱ姉だな」という言葉が聞こえるようになった今日この頃…。一番は3年前のわたしの父親のお葬式が効いているらしい。うちには男手がなく、長女で嫡子のわたしはそれはそれは身を削った。たった数日間のことに、わたしは不謹慎ながらもどうしても「父の最期を立派に送り出したい」という気持ちから、それこそしなくてもいい準備をしてその日を迎えた。お陰様でお葬式はわたしの気持ちを置き去りに、素敵に幕を閉じたのですが、その行為がわたしの株をあげたのでした

「おひとりさま」がダメだと言って、結局わたしは従妹と一緒に岩盤浴に行きました。内心「本気で一緒に行くのかな?」と疑い、とても不安で…。別に取って食われるわけでもないのに、身構えて・・・・
昔とは違って子育てやら親の話やら、昔話に花を咲かせつつ、お互いのことを語り合いました。でもなんだろう? この違和感。なんだかとても変な感じだった。「肩すかし」そんな言葉が一番しっくりくるような、そんな時間だったんです

30歳を過ぎればみんな同級生…とは、敬愛する桃井かおり女史のお言葉。実際、大人になって対等な立場になったら、いやむしろ対等でもなく追い越されている場合もあり、上とか下とかではないんだよなぁと思う
わたし自身上下関係を気にするわけでもないし、むしろ部活も仕事もなんとなくすり抜けてきたわたしこそが、実は一番「無礼」なんだけれど、しかも気にしないと言いながら、本音は一番しがみついていたんじゃないかと反省しきり・・・・

ひとはわりと「本音」は口にしないから、いろいろ誤解されたり、それこそ勝手に勘違いしてみたり、厄介だね。本当は最初から、わたしが感じているほど、嫌われてもいなかったのかもしれない。でもこのプライドとか、見栄とかっていうひとをひとたらしめる行為こそが、自分を形成し成長させてくれているのかな? だったら〈コンプレックス〉ってウィークポイントではなく、チャームポイントなんじゃないかな。少なくともひとは、なんらかの形で〈コンプレックス〉を克服しようとする。自分を満喫できるよう、なんとか立ち向かおうとする。結果がどうではなく、その過程が大事なのかな?

なんだか、ますますわからなくなってしまった・・・・

あれ? こんなはずじゃなかったのに…これはまだまだ、学習しなくてはいけないみたい?(;^_^A もっとすっきりする内容になるはずだったのに、さらなる疑問を残してしまったぞ!? あれ? こんなんでいいのかな?

ドラえも~ん・・・・えも~ん・・・・~ん・・・・

いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです