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眠れないプリンセス

【ナナ江と天嶺たかね


普段は髪をおろしているナナ江だったが、この日は美容室からの直勤だったため、美容師に頼んで軽くアップにしてもらっていた。
だが、あまり感情を露わにしない年上の彼氏は、案の定気づいて、、、、いるようなのにそのことに触れてはくれなかった。

(いつものことだけど…)

それが大人の恋なのだと思い込もうとした。

少しは関心を持ってほしい。
もっと自分を見て欲しい。

ようやっと結ばれた恋心は、片思いよりも胸が痛い。
満たされているはずなのに、自信を持てずに不安ばかりが募り、気持ちががさつく。まるで、心が風邪をひいているようだ。

締め作業が終わっても、なんとなく帰りそびれていたナナ江は、カウンターで作業する店長天嶺の脇でポップを書き始めた。

「あれ?」
それは天嶺たかねが、本社行きの破棄書類の仕分けをしている時だった。

「どうしたんですか?」
なにか不備があったのかと心配になり、彼の手元を覗き込む。

「いや。…ユナちゃんて、ゆなほっていうんだ」
それは友人乾 由菜歩いぬい ゆなほの予約伝票の控えだった。

「え、そうです…けど」

ユナ、、、だけだと思ってたから」
ナナ江の顔を見て微笑み、手元に目を戻す。

「あぁ。いいんですよ、ユナで」
ナナ江は、含んだようにうなずき「あの子、署名するときもユナで通してますもん」と付け加えた。

「でも。珍しいな、フルネームで書くの」
「へぇ…そうなの」

いまいち「しっくりこない」といった彼の返事に、なにやら心がざわついて、
「なんで?」
気になってしまったら、自分の作業に集中できない。

「いや。なんで?」
こっちの方こそ「聞きたい」といった様子で、天嶺は質問を返す。

「あー」
ナナ江は少し考えるようなしぐさをし「乾家、、って、知ってます?」と、不本意ながらに口を開いた。だが、
「あの…」
と、説明しようにもどう話したらよいものか、言葉に詰まる。

「乾って…。あの?」
「そうです、あの、、乾です」

「へぇ。ホントにいるんだ…初めて会ったよ」
「わたしもです」
「じゃぁ、弟も…?」
「です、ね」

「だから腹違い…」
天嶺は、妙に納得したように頷いた。
「でもなんで…」
だが、珍しい家系ゆえ、好奇心を抑えることはできない。

「だったらバイトなんてしなくても暮らせるんじゃないのか?」
「わたしも詳しくは知らないけど、男と女では扱いが違うみたいなんです」
「へぇ」
「多分、弟と一緒に暮らしてることも内緒なんじゃないかな」

ナナ江は正直、これ以上天嶺に友人由菜歩に対する興味を「持ってほしくない」と思っていた。ただでさえ最近の天嶺店長は、目に見えて彼女に絡む傾向にあるため、気が気じゃなかったのだ。

「乾家の一部の子どもは『あゆむ』という字が付けられるらしくて。解るひとには解ってしまうから、よっぽどじゃない限りはあまりフルネームを公表しないようにしてるみたいです」

「いろいろと難しい家みたいだからな…」
有名な家柄の噂は、誰しも一度は耳にしたことのある話だった。だが現実に「縁者」に出会うことは稀であるし、その内情を詳しく知る者はまったくといっていいほどいない。

「わたしから聞いたって言わないでくださいね」
言ってしまったものの、本人の許可もなく話したことに罪悪感を覚える。

「あぁ。まぁ…彼女と話すこともないしね」
その言葉には「嘘」がある、とナナ江は思った。
大人の男性との恋は、自分を子どもだと主張するようで、言えないことがどんどん増えていく。

結局、会話はそこで途切れてしまった。
思うようにふたりきりの時間を楽しめないナナ江は、いつも天嶺の顔色を窺うばかりだった。

「店長。…今日、行ってもいいですか? お宅に」
昼間の喧騒とは違い、静まり返る店内で、それは精一杯の勇気だった。

「あぁ、構わないけど。まだしばらくかかるぜ?」
「手伝います。ぁ…それとも、先に行って食事でも作りましょうか?」

一瞬手を止め、
「いや。一緒に帰ろう」
そう言って微笑む彼の顔が「いちばん好きだ」と思うナナ江だった。

「はい」
自然と顔がほころんでしまうのは仕方のないこと。
そしてそれを「かわいい」と思うのは、男の本音。

ぎこちないナナ江の初めての恋は、こんな風にいつも綱渡り。
それを天嶺はどう思っているのか、つかめないでいるのだった。


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