座右の書_愛するということ

愛は技術である

人間のもっとも強い欲求とは、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である。

孤立を避けるもっとも一般的な方法は集団の一員となることです。みんなに同調してさえいれば、孤立を免れることができます。簡単ですね。自我などそっと寝かしつけ、永遠に起こしてはいけません。個性は殺してしまいましょう。

あれ?駄目ですか?みんなと同じですよ。えっ、個性がないのが嫌ですか?

仕方ありません。では愛されキャラを目指すというのはどうでしょう。みんなとは違う。特別。愛されるというのは、人気があるということです。富や権力を追い求め、外見を磨き、面白可笑しく話しましょう。常に好感を持たれるように気を配ります。

これは簡単ではありませんが、うまくいけば友人や恋愛相手を手に入れられそうです。よし、もっと頑張ってみましょう。

おめでとうございます。努力が実りました。あなたの人気に引き寄せられ、友人がわんさか増えました。さらに心ときめくパートナーとの奇跡的な出会いで恋に落ちました。愛されキャラ最高です。

最高?本当に??

いや確かにその瞬間は最高でした。それなのに、孤独を解消した愛されキャラのはずなのに、なぜだか今は息苦しい。

恋の相手と親しくなるにつれて刺激は薄れ、出会った当時ほどのときめきがありません。徐々に愛されることも失くなり、むしろ反感や失望が増殖してます。あの奇跡的な出会いは何だったのだろう。疑念は深まるばかりです。くそっ、もう駄目かもしれない。

せめて友人だけは失いたくありません。さらに権力を強め、これっぽっちの不快感も与えないように、より注意深く立ち振るまうことを決意します。

どうにか友人?…友人?を引きとどめてはいるものの、ちっとも気が休まりません。人気に群がる彼らは、少しでもその陰りを察すると瞬時に散り去って行きそうです。アイツラときたら全く油断なりません。

はた目にはちっとも孤立しているようには見えないのに本当のところは怯え続ける毎日なのです。どうして孤独の不安が蘇ってきたのでしょうか。

多くの人にとって愛の問題は、いかに私が愛されるかというかたちで捉えがちです。受動的な対象として私を見ています。しかし愛する主体はあくまで他人、私ではありません。どんなに望んでも相手が自分を愛するかどうかは相手が決めることなのです。

自ら意志の自由を縛りつけ、愛されたいという受動的な動機に支配されることは、他人の感情の奴隷になるということに他なりません。

愛について私たちができることはただ「愛する」ということだけなのです。学び実践すべきは愛の技術なのです。

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『愛するということ 新訳版』
エーリッヒ・フロム

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