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小説「オーストラリアの青い空」13

 8月中旬で、ヨシオとキョウコのオーストラリア滞在は5カ月を過ぎた。
 神戸には、炬燵を据えたままの自宅が旅立った3月中旬のままに残っているだろ。区役所で手続きをしなければならない国民健康保険や介護保険料の見直しなども、手つかずのままだった。
 一方、同居する娘夫婦のヒロコとユウジは、新しい仕事に取り組むため、毎日忙しい日々を送り始めた。

 そんな折、思わぬ異常がヨシオを襲った。尻から太ももにかけて、体験したことのない痛みが出たのだ。じっと寝てれば大丈夫だったが、起きがけに立ち上がると差し込むような痛みにしゃがみ込むほどだった。
 クリニックに行くと、背骨から出ている神経が加齢などで圧迫され、痛みやしびれが出ているとのことだった。痛み止めの薬は処方されたが、根治は手術するしかないといい「とりあえず様子を見ましょう」となった。医者の決まり文句に国境はなかった。
 
 日課の散歩もできなくなったヨシオにとって、ブロードウォーターの浜風や鳥たちとの語らいが、一気に遠のいた。コーヒーショップのジェイクと、毎日のようにあいさつを交わすのもままならない。
 それより、そんな脚で帰国のため、重いリュックを担ぎパンパンのキャリーバッグを引いて空港まで行けるのか……。
 薬で痛みを抑えることはある程度できるものの、広い国際空港を移動するには、シニアなりに万全の体調が必要だ。
 よたよた歩きの旅行者は、このコロナ禍、あちこちでセキュリティや医療スタッフの関心を集めること間違いない。コンディションが悪いと、余計なリスクを抱え込むことになりかねない。スリや置き引き、忘れ物、手続きミス、事故、そして感染症。

 日本からは、40度を超える猛暑のニュースが連日入っていた。感染者の増加は治まる様子はない。
 ブリスベン日本総領事館メールは、日豪間ただ一つの直行便となっている全日空のシドニー・羽田便が、9月中の運航継続を知らせてきて、それ以降は見通せないことから、早めの帰国を促していた。
 ヨシオとキョウコは、暑さのピークを避けて、9月の帰国を具体的に検討し始めた。
 直行便で羽田に着いた後、14日間の自己隔離は、東京にいる息子ヒフミ宅でしのぐしかない。ヒフミはそのあいだ都内の妻の実家に移り、居室をヨシオらに提供してくれると言ってくれていて、便がある内の帰国を勧めてきた。
 世界の航空会社は、歴史的な赤字にあえぎ、航路がいつ止まってもおかしくない。
 ヨシオの脚の痛みは、薬で何とかコントロールできる。治療は日本で受けた方がいいに決まっている。体調とパンデミックが、これ以上悪化しないうちに踏み切らないと……。

 実は、日豪直行便ではないが、シンガポール航空はブリスベンからシンガポールのチャンギ空港経由で関西国際空港とを結ぶ便を飛ばしていた。
 航空事情に詳しいユウジは、以前から帰国便として調べてみてはどうかと、ヨシオに教えてくれていた。関空着なら、自宅までレンタカーかハイヤーで1時間ほどだ。
 帰国者は自己隔離を終えるまで、タクシーを含む公共交通機関の利用を禁止されているが、ハイヤーは認められていて、関空を検索すると業者のリストが出てきた。

 そのシンガポール航空便には、ハードルがあった。チャンギ空港で乗継ぎに10時間の待ち時間があリ、ブリスベンを発って関空に到着するまで丸一日がかりとなる。国際線にありがちな遅れや検疫などを含めると、シニアにはかなり厳しい旅になることが予想された。このため当初、ヨシオは検討対象から外していた。
 しかし、シドニー・羽田便にも、少し心配な点もあった。
 シドニー空港と一口に言っても、国内線と国際線が鉄道駅で一つ離れている。ゴールドコーストから国内線で州境をまたいでシドニー空港に行き、バスかタクシーで国際線の空港まで移動しなければならない。国際線の搭乗手続きを経て出国検査となる。
 シドニーはメルボルンほどではないが、新型コロナウイルスのホットスポットは複数あって、州政府などによる規制は日々変わっている。オーストラリア国内の感染は、ほとんどが感染多発地域から州をまたいだ旅行者によって広がっており、旅行者に「この14日間はメルボルンのあるビクトリア州には滞在していません」、という宣誓を求める州もあった。

 ヨシオは、念のためシドニー空港での移動について全日空に問い合わせてみた。ゴールドコースト空港からシドニーの国内線空港まではバージンオーストラリア航空を利用して、シドニーに着くと専用バスで国際線まで案内するという。そのバスチケットは、ゴールドコースト空港のバージンオーストラリア航空窓口でもらえる、とのことだった。
 この情報は全日空のホームページにも載っていて、シドニーの路上を自前で動くリスクは、とりあえず避けられることは分かった。
 ただ、羽田や成田への帰国者情報によると、空港に到着したもののPCR検査待ちのため、機内で何時間も留め置かれ、さらに降りた後でも廊下で立ったまま長時間待たされるケースが相次いでいるようだ。
 
 中には、おにぎりを渡されただけで半日ほど放っておかれたというのもあり、検査結果が出るのはは「数時間から2日後」という情報もあった。
 ただ、7月末から、唾液によるPCR検査が導入され、待ち時間は短くなっているようだ。
 また、東京で自己隔離を終えても、神戸まで新幹線か飛行機で帰ることとなる。
 直行便で羽田に帰り、東京で2週間の自己隔離と新幹線での帰宅を選ぶのか、直行便ではないがチャンギ空港での10時間を我慢して関空から1時間で帰宅するのか。
 以前、羽田から直接レンタカーで神戸に帰り、自宅で自己隔離することも検討したものの、体力的にリスクが大きいため、その行程は選択肢から外していた。

 シンガポール・チャンギ空港経由には、安心材料もあった。
 まず、ヨシオらがいるゴールドコーストとブリスベンは同じクイーンズランド州内で、ブリスベン国際空港までバスと電車で2時間ほどの距離だ。ブリスベン国際空港で出国手続きを終えることができる。そのまま、国際線の枠の中でチャンギから関空へ帰る。
 シドニー空港の場合、もし何らかのトラブルに見舞われて羽田便に乗ることができなくなってしまったり、突然の運休となったら、ヒロコ夫婦宅に戻ることはできない。
 なぜなら、クイーンズランド州はシドニーを含むニューサウスウェールズ州からの入境を認めていないためだ。
 ブリスベン空港なら、もし問題があれば、すぐにヒロコ宅に戻って立て直すことができる。

 チャンギ空港はアジアのハブとして、トランジットには定評のある空港だ。ヨシオがホームページで調べると、コロナ危機下で自由には動けないが、指定されたエリアで休んだり食事したりすることはできるし、トランジット客が仮眠できるホテルもある。
 ただ、シンガポールでは外国人労働者を中心に5万人以上の感染者を出している。シンガポール空港内で、トランジット客の安全対策が徹底しているかどうかが問題だが、シンガポールに入国する訳ではないし、ホームページによると、一般客とは厳しく区分されているようだ。

 空港のロビーで雑魚寝もいとわない若いバックパッカーなら、成り行き任せも、旅の楽しみかもしれない。だが、脚の痛みを抱え、成人病の薬も欠かせないヨシオやキョウコにとっては、安全策の裏打ちがないと、旅ではなく、このコロナ危機下、暴走か迷惑行為になりかねない。
 迷惑行為で済んだらいいが、言葉もよく分からないまま、寝不足などによる体調不良から検疫に引っかかって隔離されたりしたら、ダメージが大きい。

 ヨシオとキョウコは、帰国に関してあれこれ思いをめぐらせてはため息をついた。
 ――いや、もうしばらく待てば、待ったなしの経済対策のために、国際社会と日本は規制緩和に踏み込まざるを得ないのではないか。関空との直行便が復旧すれば、楽に帰れる。
 ――いや、逆にパンデミックがさらに拡大して、残っている航空便すら運休してしまうのではないか。
 ――いや、安全なクイーンズランド州で、様子見をするのが、ベターかもしれない……。

 カササギたちは相変わらず、ノーフォークマツの梢で脳天気に鳴き交わし、空を飛び回って遊んでいた。ペリカンたちはブロードウォーターのビーチで、羽づくろいをしながら暖かい日差しを浴びていた。

シニアの旅に挑戦しながら、旅行記や短編小説を書きます。写真も好きで、歴史へのこだわりも。新聞社時代の裏話もたまに登場します。「面白そう」と思われたら、ご支援を!