見出し画像

ポリヴェーガル理論によるからだの理解と自己調整

ごきげんよう、ぐだミーのぐみちゃんです。

先月、ポリヴェーガル理論×ゲシュタルト療法のワークショップに参加してきました。
ポリヴェーガル理論についてはみれいちゃん(上谷実礼さん)主催・まひとさん(津田真人さん)講師のzoomセミナーに2回参加、まひとさんの難書?『「ポリヴェーガル理論」を読む』で自己学習をしてきました。
その他にも”ポリヴェーガル理論”と名のつく書籍は読み漁りましたが、ぐみちゃんはまひとさんのご著書を偏愛。
まひとさんの多岐にわたる知見がこころの学びを始めたばかりの私には新鮮で、読んでも読んでもわからないことがたくさんあって、読んだ分だけ新しい学びがあって、面白いことこの上ありません。
他の書籍では説明されていないことが詳しく書かれているので、からだとこころと社会のつながりを理解していくことができます。

なぜか惹かれて継続的に学んでいるものの、
ポリヴェーガル理論は理論であって、セラピーではない。
私はセラピストをしているわけではないので、実際に理論をどう活用するのかは全然理解できていないと思っていました。

先月のワークショップではももちゃん(百武正嗣さん)がファシリテートしたワークを、まひとさんが解説。
まひとさんの人としての大きさとか愛とかいうものに触れ、大好きな人がまた1人増えてしまいました~。

さて、ここからが今日の本題です。

これはワークショップの1週間ほど後に職場で起きたことです。

エピソード

早退して戻ってきた新入社員が仕事をしている場面(退勤しているので勤務時間外)に遭遇し、私の交感神経のスイッチがON(*1)
新入社員に「退勤後なんだから仕事しなくていいんだよ」と伝えた。
新入社員は、自分の仕事を進めたい事務職員に頼まれて仕事をしていた。
私の発言に対する事務職員の反応を私は不服そうに感じた(*2)
帰宅時、事務職員にあいさつをするも返答はなく、悶々とした状態のまま帰路についた。
職場から自宅までは車で20分ほど。
途中で中間領域(ゲシュタルト療法の気づきの3領域のうち思考のこと)をぐるぐるしていることに気がつき、意識的に外部領域(五感を使って感じる自分の外側の現実)にコンタクト(*3)
運転席から見える景色をぼーっと見るのではなく、ひとつずつしっかりと気づきながら見る。ただそれだけ。
そうして外部領域にコンタクトしているうちに、自宅についたときにはすっかりぐるぐる思考から解放されていた。

解説

ここから先の解説は、特に出展を記載していない場合、『「ポリヴェーガル理論」を読む(著:津田真人)』から学んだことをもとに、自分に起きたことを解釈した内容となっております。

*1 交感神経のスイッチON

私たちのからだは外部からの刺激と内部からの情報により、その時々に適応的な自律神経のスイッチをONにする。
これはポージェス博士のいうニューロセプションという機能で、判断と行動の2段階からなる。
判断は無意識的に行われ、安全、危険、生の脅威の3つの振り分けられる。
行動は判断に基づき、
 ー 安全なら腹側迷走神経複合体の友好的な向社会的行動
 ー 危険なら交感神経の闘争か逃走の可動化する防衛的行動
 ー 生の脅威なら背側迷走神経複合体の凍りつきの不動化する防衛的行動
をとる。
同じ状況におかれても、ニューロセプションがどう判断するかは個々人の生育歴等により異なる。
だから他者がいくらここは安全だよと説明しても、その人のからだが交感神経や背側迷走神経複合体の反応を示した場合には、その個人にとっては安全ではないのだ。
また、これは私個人の経験であるが、認知的には安全だとわかっているのだが、からだが防衛的な反応を示すことがある。この場合、いくら思考で自らに安全と言い聞かせても無意味なのである。そしてこの認知とからだの反応の不一致が起こると非常に混乱し、自分を責め出してしまう。
ニューロセプションのミスマッチが起きている場合には修正が難しいと感じているが、ワークを繰り返し行うことで軽減する可能性があると思う。またすぐに修正ができなくとも、仲間の力=腹側迷走神経複合体によるつながりによってしのぐことは十分可能だと、私は経験した(これについては次回)。

このエピソードの時、その時点においては認知的には危険だと考えていたわけではないが、からだに起きた反応から危険だと感じていたのだと思う。危険というと大げさであるが、守らなければならないという無意識の反応が起きた。
私に起きた反応は、肩から背中が緊張し、下腹部のあたりに力が入り、血圧が上がっていくような感覚があった。視界は狭まり、焦点を定めたもの以外が背景にぐっと入り込んでいった。
言葉が乱暴になるわけではないが、声の調子は力強くなっていたと思う。
このどの反応も交感神経が活性化している状態がもたらしていたと考えられる。
この瞬間に交感神経系へとシフトしていったことが自覚できており、特には肩の緊張と血圧上昇感で実感していた。

*2 相手の不服そうな態度

交感神経のスイッチが入ると防衛的になっており、外部からの刺激に対しては色眼鏡がかかった状態となっていた。
自分を守るために必要な(正当化する)刺激ばかり集めている状態といってもいい。だからいちいち相手の些細な反応にも無反応にも敏感になるのだ。
そして相手から偏った情報を集め、防衛が強くなっていくと柔軟性や友好的な態度からかけ離れていく。そうなると自力でスイッチをOFFするためには外部からの更なる別の刺激か、自らの状態に気づいていくことしかない。

特定の情報に意識が行くということは、
 1つとしては視界が狭まっていること
 1つとしては聴覚が緊張状態となっていること
から、他者が示す友好的なシグナルをつかめなくなっている状態かもしれない。

このエピソードの時は、相手の声色を不服そうだと感じ、相手の体の向きや視線が私を避けているように感じ、挨拶に対しての無反応に意識が向いていた。

でも!
それを理解した上でも、相手のあの時の反応はいつもと違っていたよな~、と振り返ってみて思う。
交感神経のスイッチON状態に気がついている分、無意識の反応に飲み込まれることなく、出来事と自分の反応に気がつき、冷静に観察することができていたかな~と。

*3 外部領域へのコンタクト

とはいえ、相手からのネガティブと思える反応に不安や恐怖が走り出した。 
 ー 相手は何を思ってるのだろう?
 ー これから先の仕事がやりにくくなったらやだな。
 ー でも私が言ったことは間違ってないよね。
 ー でも正しいか間違いかの問題じゃないよね。
この時の特定の感情や思考に支配されている状態は、交感神経と背側迷走神経複合体がブレンドした凍りつきの状態と考えられる。

そして思考がぐるぐるしだして私が感じていた恐怖は、居場所の喪失。”私がいないほうがいいんだ”というビリーフが根底にあるから、現実で起きた出来事から次々と最悪の妄想が膨らんでいった。
途中で、現実の出来事以上の不安にかられていることに気がついた。
ゲシュタルト療法では“特定の領域にとどまることが、問題を作っている”と考える(と思う・・・)。
そこで中間領域から抜け出すために外部領域への視点を移動した。
図地反転まではいかないけれども、固着した図から解放された。
すごく単純なことだけれども、すごく効果的。
人は一度にひとつのことにしか気づくことはできない。
そうして外部領域へコンタクトしていくうちに、不安と恐怖に駆られた防衛状態(このときは交感神経と背側迷走神経複合体がブレンド)から抜け出すことができた。
防衛状態から抜け出しても現実は何も変わっていないし、多少の不安は残るものの、不必要な妄想が消えてなくなり、からだに腹側迷走神経複合体による平穏が訪れた。

自分に起きていることに気がつく=ゲシュタルト療法
自分のからだの反応を理解できる=ポリヴェーガル理論
の2つによって、自らの力で回復することができた。

まとめ

今回のこの出来事を書いていくことで自己調整をしていたのだという気づきがあった。

「自己調整」(self-regulation)の能力(相互調整できる相手なしでも、自分の生理的状態や行動を自分で調整できる能力)

「ポリヴェーガル理論」を読む からだ・こころ・社会
著:津田真人(星和書店)
P290

自己調整の能力が増すにつれ、たとえ自分に激しい反応が起きても、そのあとに、自分で調整し回復することができるようになります。

セラピーのためのポリヴェーガル理論 調整のリズムとあそぶ
著:デブ・デイナ、訳:花丘ちぐさ(春秋社)
P97

私は感情に気づくのが苦手であるが、そんなときであってもからだは正直に状況に応じた反応をする。
ポリヴェーガル理論を学んだことで、自分のからだに起きていることを理解できるようになった。
ゲシュタルト療法を学んだことで、自分のからだに起きていることに気づけるようになった。
私にとってはどちらか一方では足りなくて、2つを学んだことが自己理解へと繋がっている。
そしてこの自己理解は、反応的な行動ではなく主体的な行動の選択を可能にし(=自己調整)、自由を手に入れることに繋がっている。

自分の外側で起きている事と自分のからだに起きていることに気がつき、からだからのメッセージを理解できると、自分がどうしたらいいのか・どうしたいのかを感情に飲み込まれることなく、感情の表現や行動を選択していくことができる。それが私にとっての自由の1つ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?