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2:ランニングと自己発見

目が覚めると時計は8時50分。
時差のせいで眠れないだろうなと思っていたが、思った以上に眠ていたようだ。

キッチンに向かうとキムが朝食の準備を、トムは息子のセイガンを保育所へと連れて行くところだ。
少しバタバタとしていたので、邪魔にならないように朝食を済ませる。

UBCのキャンパス内を少し散歩してからレイチェルの家に向かう。
バスで10分ほどと走っても行ける距離だが、迷うといけないので余計なことはしないことに。

予定よりも少し早めにレイチェル家の前に到着。程なくして「Hi」と玄関からレイチェルが出てくる。
ジョグではあるが、ランニングシャツ、ランニングパンツとかなりの軽装だ。
フルマラソン2時間26分の記録を持つ彼女は(2019年名古屋ウィメンズで走った当時はカナダ記録)、現在アキレス腱の手術から復帰過程だ。
ここ数年は大きなけが、出産などもありレースからは遠ざかっている。

年齢も36歳と長いキャリアを持ち、国際レースの経験も豊富だ。キムへの駅伝の研究を勧めたのもレイチェルだと言う。
またHettasという女性向けのランニングシューズの会社でも働く。

レイチェルの準備ができたら早速スタート。
こちらのランナーはゆっくりしたジョギングを「Easy run」と呼ぶことが多い。
会話できるペースの強度のことと思ってもらえればいいだろう。

自分なら大体誰かと話しながら走る時は1kmあたり5分-5分30秒くらいだ。相手にもよるが大体この辺りに落ち着くと思う。なので勝手に自分のいつものペースを想定した。

「あれっ、なんか速いな」
そう思いながらペースを合わせてビーチまでの約1kmくらいの大通りを進んでいく。一旦ビーチ沿いの拓けた道に着くとペースは一段と上がる。
苦しいようなペースではないが、話しながらだとちょっとしんどいかな。
GPSでは1km4分15-20秒くらいになっている。1mileあたりのペースで話すことが多いのでkm換算するのにやや時間がかかるが、大体1mile7分でeasy runを走るというレイチェル。kmあたりだと4'20くらいなのでいつもこのくらいのようだ。
と言ってもこちらは少し質問して、あとはレイチェルのトークが止まらない。

アキレス腱の怪我をして、なかなか治らない状況の中で子供を産むことを決めたそうだ。出産後に走り始めると今度は手術をしないといけないほどにアキレス腱が悪化。
4年間ほどまともに練習ができない状況が続いている現在。それでもまだ走り続ける原動力はなんなのだろうか。

怪我をすると練習を中断しなければいけない。その間代わりにできることはあるにせよ、メインの練習ができない以上は体力の低下は免れない。
練習を積み上げた期間が長く、いい状態に仕上がっているほどに中断することはショックなことだ。ゲームのセーブデータが消えたり、積み上げたブロックが目の前で崩れていくような感覚だ。実際にはそれよりも酷い感覚だが。
怪我の繰り返しはやる気を削いでいく大きな要因でもある。
ただそれでも何度も何度も立て直す人たちもいる。

大学の同期で実業団選手の友人と走るモチベーションについて、学生の時のように「〇〇に負けたくない、この記録を出したい、この大会で入賞、優勝したい」などと思うことが少なくなってきていると話したことがある。かといって走ることへの意欲がなくなってきているわけでもない。
キャリア、年齢を重ねるなかで変化していくモチベーションの変化。これは誰もが経験するものだろうか。

今年の4月に久しぶりに10kmのレースを走ったそうだ。怪我以前の時のように走行距離や設定タイムを決めたインターバル走、ペース走を行っていたわけではなく、ジョグの後半にペースを上げてたりとその日の調子に合わせて走るだけだったという。それでも36分51秒で走れたそうだ。
この結果には驚いたようで40分くらいの想定だったという。

出産後は出産前と比べると感覚が違うようだが、それはいい方向へ、よりパワーを与えてくれる変化のようだ。
新しい状態の中で「次はこのくらい練習したらどうだろうか」などと考えがあるようで、話を聞いていると自身の新たな可能性の探求に興味を持っているように思えてきた。

大きな目標は練習する意味を明確にしてくれるがそれだけでは十分ではない。目標を目指すと同時に探求して自己発見を楽しめるかどうか、それはライフスタイルと練習の調和に不可欠なのかもしれない。

今は1人で練習をするが、以前のコーチは日本に滞在して日本のランニングを見て他ことがあるという。自分の周りでもそうだが海外の練習方法などに興味を持つ人がいる。
表立って出てくる練習例を真似したくなるのはわかるが、誰でも合う合わないはあるようだ。それは練習の内容だけでなく、チームと自身の性格、コーチとの相性など色んな要素が混同する。練習に正解がないのは「何をやるか」だけが大切ではないからなのだろう。
レイチェルもコーチとうまくいかずに練習環境を変えたこともあると言う。

誰と、どこで、どのような生活リズムの中で練習を組んでいくのか、やり方は人の数だけある。

足がもう少し良くなって練習量も増やせるようになったら、コーチをつけたり、練習パートナーを探したりする案もあるそうだ。
そんな想像を膨らませながら、練習の過程を思い描いていく。これも楽しみの一つかなのかなと思う。

ハーフマラソン、マラソンの自己記録は共に日本でマークしているため、日本での練習ではいい印象があるようだ。だからまた日本のレースに出たい欲もあるという。

会話をしながらだと時間が経つのもあっという間だ。
「日本のレースを決めたら連絡するから」

今後の彼女の復帰に期待したい。

バンクーバーの観光名所の一つスタンレーパーク。
外周は8.8kmの遊歩道がありサイクリング、ウォーキング、ランニングを楽しむ人が目立つ。公園内部は緑豊かで広大なスペースがある。北アメリカの都市公園の大きさではトップ10に入るようだ。


夕方はこのスタンレーパークで知人のランニングクラブの練習に参加。
コーチのケビンとは10年前にバンクーバーの色んなレースで勝ったり、負けたりするうちに知り合うようになった。

18時10分に集まりだし、18時30分に練習がスタートする。練習には男女15人ほどが集まった。5km/10kmグループ、ハーフマラソン/マラソングループに分かれたメニューがあり、それぞれの目標に応じて練習を行う。
日本のランニングクラブのように走力ごとのグループ分け、ペース設定があるわけではない。メニューの距離に合わせて自分に必要な刺激を考えペースを決めていく。
スタートは全員一斉だ。

この日はマラソングループの練習に参加。メニューは6km+25分坂道走(約250mの坂道を上って下ってを繰り返す)。
2人のランナーが1kmあたり3'30/kmで走ると言うので、そこについていくことにする。他のクラブに参加する時は自分の練習の最適化を最優先はしないようにしている。クラブの雰囲気を感じることを大切にしたい。必要とあればちょっと無理しても前のグループについていく、ペースを落として後ろに合わせる。
練習中は学びの姿勢でいることが大事だ。この時間だけは自分の考え、意見は極力持たないようにしている。
他のクラブのいい点を学び、どう自分のスタイルに取り入れるのかを考えるのは練習が終わってからだ。

スタートを切ると海峡沿いの歩道を進んでいく。ものすごくきついペースではないが、しっかり集中していないといけないペースだ。終始楽しむとはいかないが、海峡沿いのコースから眺める景色は和みとなる。

フライトや環境の変化の疲れを懸念していたが、身体はわりかし動いている。
給水をとると坂道走に移る。5km/10km組はすでに坂道走を開始していた。

「あのJapanese treeが折り返しだ。日本人ならわかるだろ」
スタート前にメンバーの1人が教えてくれた。
が「Japanese treeとはなんだ」、というのが正直なところ。あいにく木には詳しくないうえに、彼らもそう呼んでいるだけで実際の木の種類が何かは知らないようだ。
細かいことは気にせず、1本目は後ろについてコースを確認することに。

約45秒ほどで木に辿り着く。ゆっくり下って戻ると1往復約2分となった。と言うことは12,3本くらいで25分となる。ランニングをやっているせいか、このような計算をすぐに行なってしまう癖がある。または小学生時代にそろばんをやっていたことで色々と暗算をする癖がついたのかもしれない。
この癖は役に立つと思うこともあれば、変に考えすぎて長いと感じてしまうこともある。

ついていけないペースではないが3本目くらいから両ふくらはぎにやや痙攣の兆しが。一時的かと思っていると4,5本目には股関節周りまで及んでくる。
6本目では踏ん張ろうとすると痙攣が強くなり、ペースを落とすことに。
どうやらここらでやめた方が良さそうなので上り切ったところでストップ。
大丈夫と思っても意外なトラブルが出ることもある。指導の場で「体調に合わせたペース配分」の大切さは伝えたりするものの、改めて自分の身体を知ることは難しいと感じる。

最後まで一緒にできない残念な気持ちを残しながらケビンの元へ。
クラブの指導についてケビンの考えを聞かせてもらう。
ケビンとしては走りたい人は誰でも迎え入れる考えだそうだ。
競技者出身の彼はエリート選手の指導もしたい気持ちがある一方、スポーツの価値は能力によって分けられるものでもないと言う。
「私は足が遅いから、ついていけないから」
中々スタートを切れない、クラブへの参加を躊躇をしてしまう大きな理由かもしれない。
グループ分け、ペース設定をせず、自分の練習に集中する。
必死にやる姿勢は走力関係なくお互いを刺激し合う。速い人が影響力を持つのではなく、個人の練習に臨む姿勢次第で誰もが影響力を持つことができるのだろう。

「土曜日も練習来るんだろ?」とケビン。
「練習前にウォーミングアップのレクチャーをしてくれないか。他のクラブがどんなことをやっているのか気になっているランナーは多いんだ」

一瞬、自分にできるだろうか。うまく意図を伝えながらレクチャーできるだろうか、そんな不安がよぎる。
「Sure」
ここは新たなチャレンジと思って。

練習後にはケビンがメンバーに自分が土曜の練習でウォームアップのレクチャーをすることについて話す。
これでもう引けないわけだ。

練習が終わると4人ほどのランナーがダウンジョグ(ハードな練習の後に心身をリラックスする目的で行うゆっくりとしたジョギング)で街の方まで走っていくそうなので、一緒に走ることに。

みんな日本の駅伝、実業団制度については多少なり聞いたことがあるようで、興味津々に色んなことを聞いてくる。
興味あることについて話す、結局これが一番英語の上達に役立ったことを思い出した。
興味あることに取り組むメリットは取り組むことの上達だけでなく、色んなことに派生していくものだと。10年前のバンクーバーでの日々学んだ一番のことかもしれない。

今日の経験を糧に自分は今後どんなことができるのかを考えながらバスに乗りキムの家に戻る。

明日はバンクーバーから北へ約1時間のスコーミッシュの町へと向かう。

日常からの学び、ランニング情報を伝えていきたいと思います。次の活動を広げるためにいいなと思った方サポートいただけるとありがたいです。。