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ツアー企画者の個人的な旅行 〜北海道8泊9日 〜

こんにちは。たにぐちです。

今年、2024年のゴールデンウィークに北海道にいってきました。8泊9日、1000キロを運転、海外旅行的な勢いで。とても良かった。

刺激的!楽しい!というよりは、しっとりと、じわじわと、人生の思い出に残るような旅でした。

その良さなんとか言語化したい、そして訪問順を整理したいという目的で、このnoteは書いています。8000字を超える大作です笑

地図データ©Google 2024

前置き

結論

簡単に結論というか、旅の感想を述べておきます。

・とにかく自然が圧倒的
・いろんな人たちと出会って「もっと自由に生きていいんなだなあ」と
・土地の広さ、成り立ちの歴史など、何もかもが違った
・人生で何回、こういう旅ができるかなと思った
・日常生活のいろんなことを忘れて、ゆとりが持てた
・じんわりと人生を変えていく旅行になりそう

この旅でいろんなことがスッキリしました。モヤモヤとか、複雑なもろもろとか、おおらかな風土に触れて、考えていたことすべてが、どうってことないなあという気持ちになりました。

そして、自分にとって幸せな生き方のヒントが見えてきました。急ぎすぎない生きるペースとか、ほどよく仕事とプライベートが入り混じってるとか、ちゃんと調べて実行すれば、だいたいのことは実現できるとか。

美幌峠

このnoteを書いている人

タイトルで「ツアー企画者」と書いたのですが、観光業界で働いています。
外国人向けのツアー会社で、ツアーのテーマやコースを考えています。仕事でももちろん、プライベートでもよく旅行をします。

あと個人的に、郷土史や政治・行政にも関心があるので、この後の内容は、ちょっと硬めのことにも触れていたりもします。

北海道(特に道東)を選んだ理由

知床


もともとは台湾一周やマレーシアへの旅を計画していたのですが、航空券の高さや安全面、言語などを考慮して国内に変更。

北東北や瀬戸内海の周遊なども候補に上がっていたものの、以下のような理由で北海道にしました。

・混まなさそう(実際、札幌以外では混雑はほぼなかった)
・何があるか想像がつかない
・でも自然がすごそう
・本州との違いを知りたい(アイヌとか、開拓の歴史とか)
・学校の授業やテレビなどで聞いたことある場所に行ってみたい(富良野、知床、釧路湿原とか)

いろんな要素も加えて、最終的な決め手になったのは、口コミですかね。

実際に行った友人の「良かったですよ」という素朴な感想、現地に住んでる同級生から聞いた話、以前に観光の展示会で会った道東移住者の熱意など。そういうの蓄積が意思決定の後押しになりましたね。

そんな感じで、行きたい場所と良さそうな宿を調べ、移動時間を考慮して、優先度をつけながら、出来上がったのが今回の旅程でした。ここからは、日ごとに振り返ります。

時系列の記録

4/27(土)1日目:千歳

航空券が安かった、夕方の便で新千歳空港へ。

青森〜函館あたりの上空で陽が沈んでいく景色

空港からバスで千歳市内のホテルへ。5月でしたが、気候は2月〜3月ようで寒さを感じました。北海道の奥地に行くほど、冷え込みは厳しい。冬の装いが必要でしたね。

新千歳空港にて。どことなく異国感のある一枚に


この日は宿に旅情をそれほど求めず、ビジネスホテルへ。新千歳ホテルウィングインターナショナル(リンクは基本はGoogle Mapです)へ。宿は、場所によってメリハリをつけていました。

ホテルの近くの居酒屋(魚と肴 居酒屋 専心)へ。普段出会わない、世代、職業の人たちがいて(どこの居酒屋でも当たり前なんですが、)旅先だからかより鮮明にそれを感じました。

ニシンの刺身を食べて、食感がよかった。普段食べないもの口に入れると、感動、驚きがありますね。

4/28(日)2日目:千歳〜夕張〜富良野

道内のいたるところで桜が咲いていました

朝起きてから少しだけ散歩。街のつくりが規則的なことや看板や広告の量が都会的でなく、逆に自分たちがいかに情報量が多いところから来たかをかんじました。

ホテルからタクシーへレンタカー店へ。タクシーの数が限られているようで前日から手配しておくことをおすすめします。ファミリーレンタカー 新千歳空港本店でレンタルしました。

サービスはさっぱりしている部分はありますが、その分、大手の会社よりかなり割安で借りることができました。

まだ旅も序盤でよくある風景も新鮮に映ります。車を走らせると、いかに畑と牧場が多いか。そして本州と比べていかに土地が広いか。それらに驚き、歴史や風土の違いを感じていました。

なかなか年季の入った市役所の庁舎

この日の目的地は富良野。道中どこに立ち寄るかとなったときに、私が一度見ておきたいと思ったのが夕張市。

2006年に財政破綻し、公共サービスの質が低下し、人口流出が進んでいると断片的な情報を見聞していて、現地の雰囲気を知っておきたいと訪れました。

夕張市石炭博物館へ。かつて石炭産業で栄えたが、経済状況が変化を受けて、観光へとメインの産業として転換。それがうまく回らなくなって、財政破綻を繋がったなど一連の街の歴史を知れました。

1階と2階で展示の情報を重複していたのが気になりましたが、全体的に興味深い内容

1970年には最多の11万6000人を数えた人口も、今は約6000人。産業基盤がなくなると、バスや電車など交通インフラも弱くなり、行政サービスの質の低下。住んでいる合理性がなくなると、人がいなくなっていくんだなと。


ただ、受けた印象は、想像していた絶望感とは違うものでした。

拠点複合施設りすたのようにおしゃれで、行政サービスを集約した施設があったことや、ゆったりできるレストラン(イタリアン空)があったり、

経済基盤に応じた規模縮小、ダウンサイジングをしたのが今の夕張なんだなと。人口減少は続くでしょうが、険しい山に囲まれた山村の過疎地域よりもまだまだ未来は残されているなと思えました。

そして富良野へ。山あいの地道を行きました。北海道、山に入ると、電波がまったくない場所もあるので、平地の道をできるだけ行くことをおすすめします。

12時くらいにお昼を食べた後にもかかわらず、北海道の食の魅力が私たちを襲いました。フラノマルシェで、ぶとうとニンジンのジュースを飲んだ後、有名店の唯我独尊でカレーをいただきました。

この時、15時。18時半から晩御飯が控えていました。この旅は本当に食べ過ぎで、体重が3キロほど増えました。胃を軽く痛めました。

罪深い15時のおやつ

この日のお宿は、ノーザン・スター・ロッジ公式サイト)へ。ロッジという名前を冠しているように、富良野の景観を楽しみながら、シンプルにくつろげる場所でした。

お料理が衝撃的でした。味付けが素晴らしいとかそういう良さももちろんあるんですが、体にスッと入ってくる感じがすごかったです。食材が体が馴染むというか。おおげさですけど、一生忘れられない感覚でした。

オーナーのご夫婦とお話させていただきましたが、とても素敵な方々で、将来こういうふうになりたいなと思いました。一つのロールモデルだなと。

旅行中、自分の生業(なりわい)を持っている人たちに出会ったのですが、50〜60代になると、人は何か完成された仕事ができるようになるんだなと。

経験と個性と想いが重なりあって、その人にしかできない世界観、美しさ、技のようなものが、たしかに存在するんだなと。

4/29(月)3日目:富良野〜美瑛〜北見

美瑛町の白金青い池など午前中は景色を楽しみましたが、午後からはひたすら移動。250キロくらい。イメージとしては東京からでも、大阪からでも静岡県の浜松あたりを目指すかんじです。ちょっと遠すぎましたね。

このあたりが一番ゴールデンウィークを感じました。白金青い池では駐車場に列ができていたり、撮影スポットでの順番待ちが。それでもオーバーツーリズムにはほど遠く、活気のあるなと感じる程度でした。

美瑛選果 本店のジュースとポテトフライを楽しみましたが、なんでも美味しそうでしたね。富良野~美瑛あたりは一般的にイメージされる北海道の魅力が詰まっていますね。

有名ではありますが、景観は圧倒的に素晴らしかったです。アクセスもわるくないですし、移住者もいたりと。北海道らしさが感じられる場所でした。人気なのもよくわかりました。


新栄の丘展望公園を訪れたあたりから、いろいろ普段の生活について反省するようになりました笑

道が広くて余裕があって、時間流れもゆっくりなこともあり、なんで普段はあんなにせっかちなんだろうな。

どうしていつもコスパばかりを考えしまうのかと。そういう日常で考えていることと、ほどよく距離が取れる時間が過ごせました。

お客さんが一杯でも、店員さんがそんなに焦っていないかんじが印象的でした

途中、旭川(旭川ラーメン 梅光軒 南店 創業店)でラーメンを食べて、あとは高速道路に乗って一気に北見を目指しました。

まだ温泉に入っていなかったので、日帰り入浴に立ち寄り(北見湯元のつけ乃湯)、宿泊先のホテル(コンフォートホテル北見)へ。朝食付き2人で5000円代と破格でした。

北見は焼肉で有名らしいのですが、この日は寿司の気分で、北海道の有名回転寿司店チェーン店(回転寿し トリトン 夕陽ケ丘店)へ。注文ごとに職人さんが握ってくれます。コロナを経て、実態として回転しなくなったみたいですね。

4/30(火)4日目:北見〜網走〜知床

旅行って実はけっこう疲れますよね笑。4日目くらいになると、頭のどこかで帰りたさもあったりします。もちろん楽しさも感じつつ。

北見駅では、電車の本数を見たですが、1~2時間1本とか、終電21時台とか、めちゃくちゃ少なくてびっくりしました。

網走監獄。興味はゴールデンカムイに登場していたところから。ただいろいろ館内をみていると、囚人に過酷な状況で開墾させていたり、労働環境や人権への意識が希薄だったんだろうと感じさせる資料がたくさんありました。

そういう社会の矛盾の果てに自分の人生はあるんだなと、なんとも言えない気持ちなりました。

道の駅にはカニがたくさん並んで、想像通りの網走
寒さから服を買いに。1990年代に台頭した路面店の名残をかんじるユニクロ
濤沸湖あたりから知床方面を望む

網走からは一気に知床へ。ますます、人口密度が低くなっていくんだなと。自然の方が前面に出ていて、人間が土地をなんとか整備して、住まわせていただいている。そういう気持ちを覚えさせる風土がありました。

あるいは、それまで知っていた日本とは違う印象。北米やオーストラリアに行ったときに感じる、住宅や街の距離感。土地の広さ。近代に開拓するまではここは日本ではなかったんだなと納得させるものがありました。

今回の旅行で唯一、2泊した北こぶし 知床 ホテル&リゾート公式サイト)社会起業家、まちづくり専門家として有名な木下斉さんがVoicyでも紹介されていたオールインクルーシブのホテル。(妻が推してくれました)

北海道に行くことが決まった時に、最初に目的地として選んだのがここ。建物の箱自体には昔のリゾートホテル感はありますが、顧客満足度を高める様々な工夫が凝らさせれいて、すでにまた行きたいとおもっています。

海が一望できる広い窓、東南アジアのリゾートを彷彿させる落ち着いたテイストの部屋のつくり。全国トップクラスサウナ付きの温泉、あと後述する(2泊目だったので)地元の食材を堪能できるビュッフェなどなど。

ラウンジ

あとはラウンジが素晴らしかったです。お酒の種類、サクッと食べられる軽食も素敵でしたが、本のセレクトがとてもよきでした。道東や知床にまつわる写真集やエッセイがあって、あらゆる角度から知床を体感できる場所。

ラウンジの本棚

1泊目は外食。OYAJI(協和漁業部)という不思議な名前ですが、地元の漁師で、みなさんから「オヤジ」と慕われてる方がやられているお店です。今まで食べたことのない魚料理を味わえました。

あとはなんといっても、「オヤジ」さんの人柄が惹かれてしまいますね。とってもフレンドリーで、パワフルな方で、居合わせた人たちと自然と会話が弾みます。

興味深かった話としては、熊との付き合い方。知床は熊が出没するエリアなのですが、地元は人たちは怖がる部分はあるものの、どこかある程度楽観的でもありました。

熊というのはこぐまの危険を感じたら襲ってくるものの、常にそういうことでもなく、必ず危ないわけではない感じでしたね。生活していると、遭遇することはよくあるそうで、私たちにはわからない不思議な距離感でした。

5/1(水)5日目:知床〜野付半島〜知床

斜里町/天に続く道

前日の網走あたりから雨、曇天が続いていました。晴れていなくてもどこか味わいがあって、これはこれで私は好きでした。

ただとても寒い。5月の北海道、特に道東はふつうにまだまだ冬です。山には雪が残っているし、風も強い。この日は野付半島へ。もっと重装備の冬服を持ってくればよかった、と後悔するくらいには凍える1日でした。

ポー川史跡自然公園歴史民俗資料館

ポー川史跡自然公園のあたりは、すこし立ち寄りました。世界遺産登録に向けて文化財の情報の整備をされていること、湿原が広がっている1時間~2時間ほど散策路があるそうです。

保存状態の良いの竪穴住居跡もあるそうで、なかなか発見ではあったのですが、なにせ寒くて資料館周辺を歩くだけで精一杯でした。

そば処 福住 総本店の蕎麦であったまった後、いよいよ野付半島へ。

地図データ©Google 2024

どう考えても、異様な形をしている半島。そもそも道があるのか。通れるのか。と不安でしたが、おもったより道幅は広かったです。道の両側に海が広がっているという不思議な景色をみることができます。

写真1枚だと伝わりにくいですが両側が海です
景観スポットまでは歩けますが、遠いのでトラクターに運んでもらうのがおすすめ。

なにもかも想像と違って、未知のものと出会う、楽しみと喜びがありました。遠いところまで来てしまったなあと、地の果てを感じられる景色でした。

この日に来た標津町(しべつちょう)や別海町のあたりからは、北方領土である国後島を臨むことができます。

標津町には標津町北方領土館があって、戦前の国後島の暮らしやビザなし交流の様子などを知れます。住民の思い出の紹介をみていると、そこに生活があって、それが奪われてしまったことが、より伝わってきました。

北こぶし 知床に戻り、ビュッフェをいただきました。よくあるバイキング形式とは一線を画すポイントとして、メイン料理のこだわりがありました。

寿司、パスタ、ステーキなどを注文する場所があり、スタッフの方が肉を焼いてくれたり、最後の盛り付けをしてくれます。

地物の刺身や和牛など、ここでしか楽しめないぞ、とおもわせてくれる逸品が用意されていて、美味しすぎて胃袋の限界に挑戦することに…。

朝ごはんに食べたハンバーグ
夕焼けがきれいなのも知床の魅力



5/2(木)6日目:知床〜羅臼〜弟子屈

6日目、よく晴れて、景色が最高でした。

知床のクルーズ船に乗りました。いろいろ気にするタイプなので、数年前の事故がありましたから、正直最初は知床に来ること自体に抵抗感がありました。

一方で、観光に携わる人間としては、そういう風評みたいものを気にしすぎるのもどうかなと思い、実際に乗ってみました。ゴジラ岩観光の2時間のルシャコースを利用しました。

別料金でしたが位置情報を発信する端末をレンタルできます

事故を起こした事業者以外は、もともと天候が悪ければ、船の運行を控えていたそうです。我々の3日間の知床滞在中でも、クルーズが運行したのは1日だけでした。

2022年の事故を踏まえて、さらに安全対策を強化されていました。遭難した時に備えて、位置情報を発信する端末を配るようになったようです。

小型船に乗り込むと、本当に岩場の近くで、知床半島の大自然に満喫できました。もう少し夏場の方が緑があふれていたり、見どころである熊との遭遇する確率も高いようです。でもさすが世界自然遺産、迫力が違いました。

船はかなり揺れることに加えて、ヒグマを見るために双眼鏡を覗き込むので、途中で気持ちわるくなる時間帯がありました。個人的には2時間で充分満足でした。

オホーツク海側の景色もすばらしいです

知床峠を目指す知床横断道路にも行きました。日本で最も開通期間が短い国道とも呼ばれていて、ちょうどゴールデンウィークは今シーズンの開通したてでした。

峠を越えて、羅臼町を抜けて、屈斜路湖などがある弟子屈町(てしかがちょう)を目指しました。

途中、毎年北海道を旅している人からおすすめされた多和平展望台に立ち寄りました。どの方角でもこれまで見たことのない景観が広がってましたね。

この日のお宿はぽらりす。東京で会社員していたオーナーが移住して始められたそう。素朴で優しいお人柄を随所に感じられました。

晩御飯のあとに、夜空をみながら、この時期の星座を紹介してくれました。私たち夫婦二人と星空をうまいあんばいで撮影してもらい、記念写真をいただきました。

部屋からも星空が見えて、この旅で出会った人たちといろんな風景を思い返しながら眠りにつきました。

いろんな生き方があって、今のように都市部で生きて、会社員でお金を稼ぐのはあくまで手段の一つなんだなと。文字で起こすと平凡ですが、とても感傷的な気持ちで、しみじみと、感じていました。

5/3(金)7日目:弟子屈〜釧路〜帯広

この日は、ぽらりすのオーナーにおすすめしてもらい、5時くらいに起きて、屈斜路湖を望む美幌峠へ。

朝日が差し込んで、すこしずつに晴れていく様子がたまらなかったです。この旅行で1番感動した景色です。

サルボ展望台

この日の目的地は釧路湿原。湿原のことをよくわかっていなかったのですが、思ったより草原で、思ったより沼感はなかったですね。展望台もわりと場所によって景色が異なる印象でした。

行った中では、細谷展望台からの景色がよかったですね。

湿原の中を走る線路

釧路市内でSAMAのスープカレーを食べたあと、3時間ほどかけて帯広市へ。ドーミーインに宿泊し、ジンギスカンをしのはらでいただきました。

5/4(土)8日目:帯広〜札幌

旅も終盤。この日は朝ごはんがスイーツ祭り。六花亭 帯広本店でマルセイアイスサンドを味わい、クランベリー本店でスイートポテトと紫芋ソフトクリームを購入。

帯広百年記念館で十勝地方が酪農で盛んになった歴史的背景を学んだり、十勝を開拓した晩成社の計画と実績がなんだかプランを盛りがちなベンチャー企業に見えたりしました。

お昼はローカルのカレーチェーンのインディアン芽室店に立ち寄ったり、旬のアスパラガスをどうしても持って帰りたかったので、ファーマーズマーケットや無人販売を探したりしました。

そして高速道路を利用し、一気に札幌まで向かいました。これまでがのどかな風景ばかりだったので、いかに札幌が北海道の中で都会であるかを、より際立って感じました。

最後の晩餐は居酒屋とラーメンをハシゴするという暴挙に出ました。

5/5(日)9日目:札幌〜新千歳

最終日は、音の響きだけとても気になっていたモエレ沼公園へ。イサム ノグチの晩年の設計、ゴミ処理場から転換した、個性的な建築など見どころ満載でした。

イサム ノグチの経歴の展示がありましたが、飛びぬけた実績をあげる人は、天賦の才能、鍛えられた感性、育った環境や教育などの複合で生み出されるんだなと。

あとは、前職のツアー企画でも以前来た、野外博物館 北海道開拓の村にも立ち寄りました。こんなかんじで近代建築を一気に見られるのはありがたいですね。

その後、レンタカーを返して、新千歳空港に向かいました。フライトの後、関西空港から帰路につきました。

まとめ

ツアー企画者という仕事をしているにもかかわらず、これまでの夫婦での旅行は、ほとんど旅先も宿も観光スポットも、リーダーシップのある妻が決める傾向にありました。

今回初めて、行先も巡る場所も、私が決めることが多く(宿は妻に決めてもらいましたが笑)新鮮な体験でした。

どの日を思い返しても、心を揺さぶるものがありました。一生残る旅でした。

これからの人生、まだまだやるべきこと、義務もあるんですが、今後何かあったとしても、この旅ができて、良い人生だったなと振り返られます。それくらい良い旅でした。

50〜60代でする仕事が人生の総決算だなと感じたので、そこに向かって、すこしずつ、今やっている仕事で日々信頼を積み重ねたいとおもいます。そして、新しい軸になりそうなものも見つけたいけたらなと。

8000字超えと超長文になりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

次回以降にやりたいこと

・稚内に行くこと
・釧路湿原でのカヤック
・電車での旅


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