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観光系ウェブメディアを立ち上げた話

今日は、自分のキャリアの中で、思い入れのある仕事の話です。所属していたツアー会社で、ウェブメディアを立ち上げました。まっさらなゼロから、一つのメディアを作った経験です。

事業の方針が変わったこともあり、現在は担当から外れましたが、1年と少しの期間、運営に携わりました。その間に起きたことを記録に残しておきたいと思い、このnoteを書いています。

実績としては大きなものではないです。業界向けの小さなウェブメディアが、やっと一定のPVに到達するかどうかという段階だったので。それでも、既存のものとは違う価値があると思えたし、本業とのシナジーの可能性も感じていました。

右往左往の3ヶ月

2022年の春、社長直下のプロジェクトチームがつくられました。ツアー事業、地方創生事業など毎年新しいことに挑戦してきたので、今年はこの案件がテーマになるんだなと思いました。

プロジェクトリーダーが選定され、私はメンバーの一人として選ばれ、この事業に携わりはじめました。観光ガイドや観光業に関わる人たち向けのメディアとだけ決まっていましたが、それ以外は走りながら考える形でした。

記事を書くだけでも文字数、文体、画像の配置、図の作成、出典を入れるかなど決めていく必要があります。記事だけではなく、どんなスケジュールで進めるか、どんなフォーマットを使うかなど考えるべきことが山ほどありました。

優先度をつけながら、進めていたものの、リーダーがより重要性の高い事業に配置転換されたり、記事の共通イメージがなかなかまとまらなかったり、思うように進んでいませんでした。産みの苦しみですね。

結局、私が一番担当する期間が長くなったこともあり、記事の構成、執筆、編集をはじめ、社内デザイナーとの連携、外部ライターへの記事確認も含めて、全般的に任されました。業務・進捗管理、マネージメントの経験を得るきっかけになりました。

ライター的な仕事はいつかやってみたいと思っていたので、とても嬉しかったですね。ただ当時は3ヶ月かかって、やっと1記事を完成させた段階でした。そんな中で、次の3ヶ月までに40記事ほど投稿可能なステータスにするようを命じられたときは、「おお…」というなんとも言えない気持ちにはなりましたね。やるしかない。

さらに3ヶ月後、ひっそりとリリース

そこからはけっこう夜遅くまで、時には土日にも書き続ける、きつい時期に入りました。上層部から、ああでもないこうでもないと、フィードバックをもらいながら、一つずつ記事を仕上げました。

数名の業務委託の方やインターン生たちと協力しながら、記事の量産しました。ただ、文体、情報の密度、観光業的な目線など細かい内容を詰めるのは、上層部のレビューの感覚を把握している私の役割でした。これがけっこう辛かったです。

ベンチャーらしく走りながら考えるスタイルだったので、各人によって変わる細かいイメージの差異を解消しなくてなりませんでした。構成のすり合わせ、どこまで詳しく説明するか、数字や漢字の表記方法など、毎回議論しながら、乗り越えました。

記事の内容としては、神社の案内方法、イスラム教の基礎知識、日本の世界遺産の見どころなど、インバウンド業界にいる人なら知っておきたい内容を、深い情報を提供しつつも、実用的な文章量でまとめるというバランス感覚が求められるものでした。

必死に頑張ったものの、完成させたのは30記事程度で、40記事には及びませんでした。でも、どうやら無理があるとは上層部もわかっていたようでした。「高い目標だったからこそ、ここまで来れたんだよ」と満足そうに声をかけられたときは、安堵した反面、もうすこしハードルを下げてくれても良かったのではと思いましたね。

そうして、プロジェクト立ち上げから半年後、リリースを迎えました。大体的な宣伝はせず、ちょうど出展した展示会で紹介をする程度で、ひっそりスタートしました。

重なる繁忙期

方針として、できるだけ早くPV数を稼ぐというよりは、質の高い記事をまとまって提供し、業界での認知度を伸ばしていくことを重視していました。

最初の1ヶ月は着実にPV数やメルマガの購読者も増えていました。週5本程度のペースで記事を公開しました。

しかし、リリース直後、それまで専任だった私の業務内容に変更がありました。メディアの運営に加えて、公募案件のツアー企画の業務も任されることに。次の半年間、超繁忙期を迎える業務を兼務する形でした。

このnoteの2022年で書いたように、

札幌、尾道、大津、鹿児島などに毎月のように出張をしながら、リモートワークで記事の執筆をしていました。どっちの仕事も大好きな仕事でしたが、どっちも120%の力を注ぐみたいな状況だったので、マジで全力で必死で、たまに悲壮感を漂わせながら働いていました。

さすがに、記事を公開するペースは、なんとか懇願して、落としてもらい、なんとかどうにか乗り越えて、公募案件は無事終えました。

試行錯誤と見えてきた勝ち筋

この時期はプロジェクトが立ち上がって1年、メディアをリリースしてから半年。かろうじて毎週記事を公開し続けることはできましたが、記事の分析や記事同士の回遊性を高めるなど執筆以外作業は後回しになっていました。それに応じて、記事の閲覧数やメルマガの伸びなども鈍化していました。

そこから、素人ながらに本やネット上の記事を読んで勉強しました。関連記事の整備、PV数に応じた執筆記事の選定、レイアウトデザインの変更、タグの見直しなど、週単位で分析と打ち手を繰り返しました。

外部要因による変動もあり、最初の2〜3週間はどのポイント見直すと、どのくらい成果が出るのかイマイチわかりませんでした。ただ、1ヶ月くらいになると、観光地情報や宗教対応へのニーズが高いことがわかりました。そこに注力してみると、記事取り上げた地域の観光協会やガイドの方からの反響が高められました。

一方で、上層部の記事へのこだわりはメディアリリース後から半年で、インフレしていました。図を精緻に作成せよ、あとがきの情報量を追加せよ、と求められるクオリティはどんどん上がって、正直疲弊していました。

この時期になると、だいたい指摘される傾向・パターンが予想できるようになり、レビューされそうなものは事前に対処したり、指摘される可能性はある箇所はコメントを残しておくなど判断基準ができていました。

達成感と課題感

メディア運営に再び集中できるようになり、右肩上がりでPV数が伸び、SNS上での口コミを見かけました。

一定の成果だなと感じたのは、特定のキーワードで検索すると執筆した記事が出てくるようになったこと。4〜5本はGoogleのトップページにランクインしていましたね。

メディアの立ち上げに関わり、ものすごい量の文章を書いて、ものすごい範囲の日本の歴史文化に学んだことは、ライティングの体力になりましたし、教養として血肉になった実感がありますね。

あと、得たものとしては、業界におけるイベント情報、ガイドのノウハウ、時事情報などが集積していて、中長期的に会社のブランディングに役立っている印象がありました。

ただ、課題感としては、運営の持続可能性は感じました。売り上げに直結するものではなく、人数が限られる中で、リソースを割くのは大変でしたね。これからちょうど人員拡大するタイミングではあったようですが。

それと、記事のクオリティの維持することの難しさは感じました。レビューの難易度が高くなり続け、レビューに耐えられる記事を書ける人は限られていました。外部への業務委託も検討されていたものの、徹底的な情報密度、一言一句までの文章へのこだわりは、なかなか慣れが必要なものでした。

ほかにも課題はありましたが、総じては本当にやりがいのある仕事でした。
もっといろんな人に読まれて、単なるメディアを超えた活動ができたなあと楽しみにしていたので、心残りはあります。運営する中で身に付けたことを今後の別の形で活かしたいですね。


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