主体性のなさが問題の根幹(東京生まれ東京育ちの若者)
東京生まれ東京育ちの若者が、地方転勤を言い渡され、絶望してますね。
主体性のなさが問題
エントリーを読むと、一番の問題は、主体性のなさにあると感じます。ざっくり要約すると、「なんとなく流されて生きてきて、地方に来てしまったけど、つまらない」というもの。それはつまらない生き方でしょう。
記事では、東京にいれば楽しいと書かれています。それはそうです。受け身の人間にとっては、娯楽が溢れていて、街を歩くだけで楽しみが見つけ出せます(本屋、図書館、カフェしかり)。でも、それは、本人にとっては良くないことかも知れません。流されて地方転勤のある会社に入社したと書くように、自分で考えて選択していません。まさに、東京で暮らしている様子と同じではありませんか。
なんとなく入った会社で、楽しいことがあると思いますか? 答えは、あります。そして、ありますと答えられた人は、自分から、面白さを見つける力があります。見つけられる人は、どこに行っても楽しめるでしょうね。
地方・田舎の暮らしでは、人工的に与えられる楽しみは少ないでしょう。それもそのはず、人も少なければ、人工物も少ない。都市に出れば人工物に触れることができますが、東京ほど密ではない(それもそのはず、電車生活と車生活の違いがありますからね)。東京のように簡単に楽しみを与えられると思ったら大間違いです。
自分から楽しみを見つけにいかなければ!
田舎には、田舎の特色があります。都会とは違う特色です。人の生態だって、少なからず違うでしょう。その違いを認識し、生活様式を変えなければ、いつまで経っても「つまらない」と嘆くばかりです。
山の中に入って、登山をしろとまでは言いませんし、畑仕事しろなどとも言いませんが、その土地でしか、存在しないものや特色を発見し、楽しむことが大切でしょう。そしてそれが、その人の特徴にもなるのです。
都会の同期が東京でバリバリ仕事をしていることを羨んでいますが、そうではない経験を積んでいることにも価値があるのです(とはいえ、本当にそれを望んでいるなら、その人の絶望をとることはできませんが・・・)。地方転勤後に、さらに花開くための経験をどのように積むかは、自分次第のところがあります
それなのに、転職エージェントにその未来を委ねていいんでしょうか?
転職エージェントがおすすめすることをやって、それで人生がうまく行くと思っているのでしょうか。
転職エージェントは、本人の給与のために、転職支援をしているだけで、手数料がうまいところに送り込めさせすれば良いのです。
そんな人間に任せて、いいんでしょうかね?
ホリエモンの話をここで差し込むのは、気が引けますが、堀江貴文さんが実刑判決を受けて、刑務所に服役していたとき、ただただつまらないと絶望していましたか? そんなことはありません。暇だから本を読むなど、その間も前に進める行動をとっていました。
(パッと思いついた事例ですので、他意はありません)
記事の投稿者にとって、転職が、前に進む一手だとしたら、それを応援しますが、転職という鞍替えすることでうまく行くことを望むより、自分から主体的に、楽しむことができるようになるのが良いのではないかと思います。
地方出身と東京生まれ
ここから先は余談です。
そういえば、地方出身のクリエイタと話した時、地方だと何もないから、自分で遊びや創作を考えて楽しんでいたと話していました。クリエイタになった人ですから、どこにいても、創作していた可能性はありますが、何もなかったからこそ、芽吹くものがあるということも無きにしも非ずですね。
娯楽に溢れていた東京に生まれたことが、この人にとっての、呪いだったのかも知れません・・・。かしこ。