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【子育て】「隠れて何かをするのは悪いこと」か?

 ある子育て風景を見ていて、聞こえてきた言葉です。

絶対にすべきではない

 タイトルに「?」がある通り、疑問を示す立場にいます。「隠れて何かすることは悪いこと。絶対だめ」という言葉が全様ですが、確かに子供が隠れて、お菓子を食べている様子を見ると、お菓子を食べる時間でないのに、それをするのは、まずいことだと思います。それゆえに、親たちのその言葉も、一部は頷けます。

 しかし、絶対だめなことでしょうか?

 世の中には、絶対というものはなかなか存在しません。0と1の間には、小数点で表される世界が、無数に存在します。それなのにも関わらず、絶対という言葉を利用し、子供の思考を束縛して良いのでしょうか?
 親子間で、おやつの時間以外におやつを食べるのは、NGと取り決めがあったなら、確かに約束を破った子供が悪い(可能性がある)。そうだとしたら、おやつの時間ではないのに、食べたこと=約束を破ったことを咎めるべきでしょう。その際も、「絶対に約束を破っちゃダメ」というのではなく、「約束は破っちゃダメ」と絶対を取り除いて叱った方が良いと思います。

 子供は柔軟な嗜好を持ってますから、絶対という言葉を鵜呑みにして、完全に束縛されることはありません。しかし、場合によっては、それが束縛になる場合があるでしょう。例えば、何度も、何度も成人するまでの間に、〇〇は絶対にダメと脳髄に深く突き刺さるほどの楔を打ち付けられたなら・・・? それは、それは、可哀想なことになるでしょうね。

中庸

 世の中には、絶対は存在しない(数学などのようなものは除く)。隠れて何かをすることが絶対ダメか? と問われれば、そんなことはないでしょう。
 何か、が何かによって、変わってきます。

①例えば、殺人は絶対にダメかと問われれば、確かにその通りですが、では、死刑執行する人間は、間接的に殺人を犯していないのか、絶対にダメなら、死刑制度自体ダメなのでは・・・。

②例えば、学校・職場で、何か悪いことをした人がいた場合、みんなの前で吊し上げる様にして、叱りつけるのは正しいのか? 場合によっては、誰もいない教室・誰もいない会議室で、叱りつけた方が相手の自尊心を傷つけずに、悪いことをしたと自覚させることができるでしょう。

③例えば、仕事で事前にネゴっておき、承認会議で、承認に回ってもらうのは、悪いことか?

 などのように、生きていくと、ケースバイケースに何度も出会うわけです。それなのにも関わらず、絶対ダメであると、凝り固まった親の思考で、子供の思考を縛って良いのでしょうか。

悪いことをしてはいけない?

 同じように、「悪ことを絶対にしてはいけない」というのも、引っかかります。それはその通りではあるものの、直面するケースによって、自分はどの様に行動しなければいけないのかを考えて、答す方が良いのではないでしょうか?

 悪いことだと思っても、何かをやってしまうことはあるでしょう。

 例えば、自転車は基本的には車道の端を走らなければならない。しかし、車道が狭く、明らかに危険であったなら、人通りが多くても歩道を走るでしょう(徐行)。
 他にも、悪い犯罪グループに入り、そのグループの犯罪を事前に通報することは、グループにとっては悪いことですが、警察から見ると、悪いことではありません。つまり、自分が立つ位置によっても「悪い」というものは、変わります。

 もし仮に、親に「悪いことを絶対にしてはいけない」と言われ続け、しかし、運悪く(気が弱いとかで)詐欺グループに入らされ、詐欺を働かざるを得なくなったとしましょう。グループ内の倫理からすると、自分たちの行動を他にばらすのは、悪いことです。しかし、そのグループがやっていることは、社会から見ると悪いことです。さらに視野を広げてみると、例えばバックにもっと大きな反社がついていたとしましょう。その反射から見ると、そのグループの行為は、悪いことではなく、自分たちの利益になるかも知れません(社会の倫理などクソ喰らえと思っているかも知れませんね)。

思考法

 というように、結局、単純に「〇〇は絶対ダメ」という答えだけを子供に教えても、直面するケースによっては、判断を変えなければならない場合があります。つまり、なぜダメなのかと答えを出せるための、思考法(思考力?)を子供が持てるように指導するのが、適切なのではないでしょうか。

 自分が、絶対にダメだと思っていることをした人間に、赦しを与える柔軟さを持つためには、その人間がなぜその行為に及んだのかを知り、理解することが必要です。頑なに、ダメ、絶対と考えているうちは、他者に歩み寄ることすらできないのではないでしょうか

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