見出し画像

【けいおん!!】練習もしてないのに、また一緒に演奏したいは草も生えない(第20話 またまた学園祭)

 クオリティが高く、総合評価は悪くない京アニの「けいおん!!」ですが、見ていて不愉快になる箇所がいくつもありましたので、今回は、特に意味のわからなかったところを取り上げてみましょう。

軽音をおざなりにした涙

 第20話は、唯たち3年組と2年の梓が学園祭で演奏する話が展開されます。3年は劇の練習で、演奏の練習ができなかったから、泊まり込みで練習をすることになりました。そして迎えた当日、いつもの唯のグダったペースで笑いを誘い大成功を収めます。演奏を終えて部室に戻った5人は、次の演奏はクリスマス。それが終わったら初詣。次は新歓で演奏しようね。そしたらまた夏の合宿だ、と。未来の事を話します。

 もちろん、みんなの中には「卒業」と言う言葉が引っかかっていて、その未来は叶わないとわかっているのです。だから「またみんなで演奏したいよう」と涙を流す。

 非常に感動的なシーンじゃないですか…。

 これで感動しないなんて、心が腐ってますよね!?
 人間として終わってますよね!?
 動物以下のミジンコですよね!?

 ・・・。ご察しの通り(?)私は感動しませんでした。なぜなら、「また演奏したい」と言うセリフは、文化祭のために、一所懸命練習してきたからこそ、重みが出る言葉ではないでしょうか? 3年は、文化祭の前、クラスの出しもの「ロミオとジュリエット」の演劇の練習をしており、部活の練習はほとんどしていないと、梓自身が証言しています。

「部活のこと忘れちゃったのかな」と梓に言わせるほど、部活をサボっていたわけです。また、文化祭前の部室が使えない期間も、スタジオを借りて練習もせずにお茶をすするだけ。
 練習もしないのに、また皆で演奏したいなんて、どの口が言うんだゴルァあ! と言う気持ちです。

皆で楽しかったことはなにか?

 涙を流している彼女たちが、クズだとは思いません。皆と過ごした楽しかった日々が、来年になったらなくなるのです。その寂しさから涙を流すのは、納得感があります。

 結局の所、彼女たちが何に対して涙を流したかが肝心なのです。

 端的に言えば、皆でお茶をしたり、合宿したり、遊んだことに対して、涙を流しているのです。演奏したことだけではありません。演奏したことも要素として含まれています。しかし、それ以上に、皆でいた事や皆で行ったことーー皆と過ごした時間に対して涙しているのです

 これだと、納得感がありますよね。アニメでも、基本的には演奏・練習よりも、けいおん部の日常をクローズアップしてましたし、文化祭のあとに来るクリスマスも、お正月も、演奏はしておらず、パーティをしています。皆と過ごす時間がもうないという意味で「皆と一緒にいられない」と涙するのは、非常に理にかなっていますし、見ていて違和感がありません。

 だ け ど。

「また皆と一緒に演奏したい」は無いです。だってお前ら、練習してねーだろーーー!!! っと。

演出家のミス

 全体的には、良い出来ですので、些細なミスを揚げ足とっても仕方ありませんが・・・、文化祭の最後のシーンは「皆と演奏したい」と言うセリフをクローズアップするのではなく、「来年の新歓や夏の合宿が楽しみだね」と話している最中で、泣かせれば良いと思います。軽音部と言う趣旨からは離れてしまいますが、そもそも、アニメが軽音ではなく日常を取り扱っていますから、むしろ、演奏という要素を持ってくるほうが、違和感があります。

 何度も言いますが、お前ら練習してないのに、演奏したいってどの口が言うんじゃー! です。練習もしないで、演奏が成功したから、またやりたいというのは、ちょっと趣旨が違うんじゃないでしょうか。ステージが終わって快感物質が出て、脳内が酔っているだけです。
 例えば、素人が大勢の前でカラオケで歌って、周りが好意的にノッてくれたら多分その人も「もう一回歌いたい」と思うでしょう。彼女たちの「皆で演奏したい」は、今の演出ではその程度しか効果を発揮しないということです(注釈:私個人には・・・)。

 しかし、「また皆で過ごしたいね」うるうる・・・と泣かせるならアリでしょう。演奏だけでなく、皆で過ごした日常まで含まれてますからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?