失うことと大森靖子
1人で外に繰り出す時ほとんどイヤホンが必要になる。普段雑踏のなかにいるからだろうか、自由な時間は自分が選んだ音だけ聞きたいことが多い。曲は気分によって決めたり自分の中で流行っているものを選んだりしている。好きな曲やハマっている曲は熱狂的に繰り返し、やがて聞かなくなる。
それでももう何年も定期的に聞く音楽もある。
例えば、失恋や寂しい気持ちになると私は必ず大森靖子を聞く。
魔法使いはニ度死ぬ、君に届くな、呪いは水色、きゅるきゅる、cunter culture、ムゲンライセ
選ぶ元気がない時は頑張って大森靖子のページまで辿り着いてランダムで再生する。
出会いや思い出、別れ方、その人その人によって違うのに、どうしても行き着く先の孤独と選ばれなかったという事実と絶望感は似通っている。
思えばもうあの日から5年は経ったが、真っ当に好きという気持ちが持てないでいる。
大体自分のことを好きでいてくれる異性と何回か遊び流れで付き合って、そこから時間かけて色んな側面から『私も好き』という感情を固めていく。地道な作業で、それが完成するまで特に好きじゃないから恋愛ごっこがおざなりになってしまう。でも楽しく満たされはして、そしてそれがようやく完成した時に、相手がそうじゃなくなってしまって振られてしまう。
「やっぱりそうか」といつも思う。やっぱりどんなに好きでもそれがずっと続くということは無いんだなと。恋愛は消費で、私は相手の何かを擦り減らしていたんだなと。
自分が盛り上がってステージにやっと立てる状態になったと同時に幕が引く。閉ざされた向こうで私はどんな顔をしていればいいのだろう。何をしたらいいんだろう。なかなかステージを降りられず、俗に言う傷心状態になる。
そんな時大森靖子をかける。幕は上がらないが、舞台は華やいで暗くてぐちゃぐちゃしていて、ちょっとかわいくて美しいものになる。
震えた声で私の今を、言葉にできない感情を、抱えたくない悲しみを、しんどくていまにも居なくなってしまいたい焦燥感をステージで私の近くで歌ってくれる。
感情の輪郭をなぞってくれて、やっと理解していく。涙がでる。この時間がそれぞれの失恋でちゃんとあったから私は生きているんだと思う。
今も失恋をして、絶賛大森靖子強化月間であって。この文章にその人が出会うかどうかは分からないけれど、もう2度とできない手紙のお返事をこんな雑なnoteと一緒に書いてしまおうと思う。
拝啓友へ
言われるまで気持ちの変化に目を瞑っていたこと本当にごめんね。実は気づいていたけれど、私のことがすき、私もすき、そんな状態が続けばいいのにと巻き込んで独りよがりしてました。優しさに甘えてごめん。そしてたくさん悩んで困らせたと思う。その分今度はそういったものを私が預らせてもらうね。今までちゃんと抱えてくれてありがとう。
一緒に飲んだウイスキー、行った旅行先、テレビで出てくる君の職場のCM、部屋に飾られた枯れない花束、日々に君がいて正直辛いです。あの日友だちの関係を試すように壊してしまって悪いのは私だったなあと。こうなってしまったのはやっぱりしょうがないよね、と頭では分かっています。寂しいです。
人を好きになるということは本当にすごいことだと思います。エネルギーがあって、眩しくて。そんな素敵な春の門出にやっぱり私は相応しくなくて。まあ泣くけども潔くここで私はリタイアした方がいいなってちゃんと思えています。
プレゼントを消耗品にかえて、手紙を奥底にしまって、履歴を消して、自分でできるところから始めてるよ。酒には溺れてるけれどどんな時もちゃんとかわいいです。私に関する心配はもうしなくて大丈夫。たくさん食べてますし、寝てますよ。
どうせ吐く二酸化炭素なら私に対する『ごめんね』より、好きな人に伝える『すきだよ』だと思うし。私もいつか虎と馬を飼い慣らして、克服して、ちゃんと恋ができるように、しばらくは休みながらちゃんと生きようと思います。
元気でね。好きなことをたくさんしてね。
どうか生きてね。
p.s.結婚式は呼んでね。花嫁より多分目立ちますが笑
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