Chapter.07 Spring
【第7章 2022春のはじまり】
2022.March
10.
ずっと捨てられなかったベランダに置いたままになっていた灰皿をやっと捨てた。
12.
フジワラと近所の花屋で花を買い、
スーパーで野菜を買い、
夕方までは各々過ごし、
カフェで一緒にチーズケーキを食べ、
「ドライブマイカー」を映画館で観た。
隣の大学生は爆睡していたが、
本当に素晴らしい映画だった。
16.
前へ前へと進んで行く友人たちの流れに乗って、
自分も前に進むしかない。
周りを見渡すと頑張っている友人しかいない。
負けてられないよ。類は友を呼ぶだからさ。
一生懸命頑張っていればそういう人が周りに集まるはずだし、自分はずっと、そういう人たちの中で生きていきたい。
17.
高熱を出しながら徹夜をした。
仕事を引き継ぐことの方が、自分で仕事をやり続けることよりも億劫に感じた。
19.
他人から見たら、本当はこんなボロボロの私でも
満ち足りた生活をしているように見えるのだろうか。
22.
わたしは彼がいた生活をどんなだったか覚えているだろうか。質感として、わたしは日に日に忘れていっている。忘れるのは怖い。でも忘れた方がラクだ。自分を守るために忘れる。忘れることが一番なのだ。
何度も一緒に歩いたのに、
何度も好きだと言ったのに、
どんな気持ちがわたしの好きだったのか。
いやまだ覚えてるよ。
でも忘れた方がいいのだ。
最近のわたしはもう
輪郭だけにすがっているような気がする。
そうだった気がする、朧げなかたちに
まだ行かないでとすがっている。
本当に縁が濃い人とは、
ベストなタイミングで
また会うことができる。
だから不安にならなくて大丈夫。
縁が無いなら時が経てば
なんの感情もなくなるから大丈夫。
手放すものが大きいほど、
大きいものを新しく手に入れられる。
23.
17歳の頃に絶対だと思ったものは
27歳の私にとってはどうでもいいもので、
だからきっと27歳の私にとって大切なものは
37歳の私にとってはどうでも良いものなのだろう。
人生はそういうもの。
26.
友人と褒めあう会をした。
久々に終電近くまで外でハシゴしてぐだぐだ喋った。「あなたのために頑張って元気に生きようと思う」と言われて、そうじゃん、私だって友人のためにって思ったって良いんだと気づいて嬉しかった。別に、家族や恋人のために生きなくたって良いのだ。今自分の周りにいてくれている人たちのために生きよう。
27.
お気に入りの中華屋で、フジワラとルームシェアを延長するか否かの話を唐突にした。正直ルームシェアが今年の夏で終わることや、夏に自分がどうなっているのか、ちょっと先の未来のことからずっと目をそらしていた。ずっと恋人と一緒に住む話をしていたから、どういう気持ちでひとりで暮らせばいいのか全く分からない。
7月末に会社を辞めるとしたら、そこでルームシェアも終わって一人暮らしになって、職がない状態で次の仕事を探すということを前向きにやれるメンタルがその時のわたしにはあるだろうか。
2022.April
3.
「あんたはそんなに弱くない」
友人に言われ頭をぶん殴られた気持ちだった。
仕事上の予期できる不安をぶちまけていたら、呆れられた。予期できるということは自分次第で回避できるということだ。何をわたしは守りに入っているのだ。全く予期せぬ唐突な失恋を乗り越えているのだから、わたしにはこれ以上辛いことや乗り越えられない困難などないはずなのに。
8.
早起きして打ち合わせに行き、
久々に会社の先輩たちとランチをした。
陽に当たって散歩したからかご機嫌になったので
ケーキを2つ買って帰る。
10.
フジワラとコンビニでカフェラテとイチゴサンドを買って近所の公園で簡易ピクニック。シャボン玉してたら隣にいた男の子が楽しそうにしてくれて癒された。
13.
唐突に「この人たちの仲間になりたい」
と思える会社を見つけてしまった。
なぜだか呼ばれている気がする。
この直感を信じてみたい。
14.
炊き込みご飯を3杯も食べて、
スタバのクリームドーナツとクッキー食べて、
日記を書きながらチーズケーキと
生クリームをクレープ生地で包んだ
意味の分からない食べ物を食べている。
意味がわからない。
フジワラが本当に苦しそうにしているのに、
全然救ってあげられない。
仕事でここまでつらい時、私はどうしてたかな。
こういう時にどうしてあげたらいいのかな。
とにかくこの家の気の流れが
1月末からずっとおかしくなっている。
ルームシェア終了まで、そろそろ100日を切ってしまう。
二人ともこんなにも余裕がないままで
日々が過ぎていってしまうのは良くない気がする。
18.
出国間際の親友と学生時代から通った地元のサイゼで6時間喋り倒した。中学時代、27歳の私たちがこの場所でこんなことを話す日が来ると想像できただろうか。今年は二人とも人生の分岐点で、大きな変化の年だな。どうにでもなっていける自分たちの人生が楽しみで仕方がない。
母親と映画を観に行った。
わたしのことを人生でほとんど褒めたことなどない母親が唐突に、
「後ろ姿がかっこよくなったね」と言った。
色んな意味が含まれている気がした。
地元のイオンで1足千円の靴下を買ってもらって喜んでいる私を見て、
東京で働く27歳ってそれで大丈夫なの?と心配していた。
美味しいものを食べさせてくれたり、物を買ってくれたり、
そういう形でしか示すことができない、
不器用な親の愛に気づけるようになった気がする。
19.
社長に、退職の話をした。
こわいくらいあっさりと話がまとまった。
「今、仕事は楽しいし、充実していると思えているんです。」
と社長に言えたのは大きな成長だ。
こんなことを口にできる日が来るとは
誰が想像できただろうか。
23.
久々に男の人と2人でご飯を食べに行った。
多分わたしはこの人のことは好きにはなれない。
だけど、もう一回くらい会ってもいいかなと思うのは見た目がタイプでかっこよかったからなのだろうか。
それにしても殺伐とした性格を出してしまった。
あまりにも相手のわたしへのスタンスや、価値観の話が嫌すぎて、わたしは誰かに養ってもらおうなんて思っていないし、自分を絶対に裏切らないのは自分だけじゃないですかって、言ってしまった。強い女すぎるだろう。
めずらしがられてしまったよ。そりゃそうだ。
あの感じの人は苦手なのだ本当は。なのに、別れ際に言われた、「ひかりさんみたいな人タイプなんです」って言葉が弱りきった心にこんなにも響いている。誰かに肯定されたという気持ちがここまで自分をぐらつかせる。数年前だったら好きになれてたかもしれない。でも見た目だけじゃもうだめなんだね。どれだけ見た目がタイプだなと思っても価値観が違うことを今の自分はこんなにも拒絶している。でもありがとう。今の私をそんなふうに言ってくれて。わたしはわたしのままでいいのだと思える力になったからありがとう。そのことはこんなにも嬉しかったのだ。自分がのめり込まずにいられる恋愛が1番いいって分かってるけど。だめだった。
直感が違うと言っているから。
ああ、またこうして過ぎ去ってゆく人。
24.
やっと自分に自信が持ててきた、自分の見た目のことも好きかもってやっと思えてきた。という話を友人にしていたら途中から泣けてきて、それを聞いていた友人も泣いていた。
彼女はずっと前からわたしのことを肯定してくれていたけれど、自分では心からはそう思えていなかったから。ダメダメなときからずっと彼女はわたしを励ましてくれていたから、ずっとわたしの自己肯定感をあげようと支えてくれていたから、本当に感謝している。わたしはこの2か月、彼女なしでは乗り越えられなかっただろう。
26.
なぜか、欲しいものがすんなり手に入っていく気がしている。
30.
ゆとりある時間、ぼんやりする時間は
美しさに必要不可欠で、
ぎゅうぎゅう詰めにされたものは個々が
どれだけ素晴らしくても総合したら
美しく見えなくなったりするわけで。
だからどんなことにも余白が必要なのだろう。
自分の人生を美しくするために、
余白の時間も効果的に作っていくことは必要なことだ。
気持ちの空白をつくる。
バランスをとって生きるとはそういうことだね。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?