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No.8 グアテマラの先住民と関わって見えたもの

このnoteは、中米グアテマラを愛する日本人がバトンをつなぐ、エピソード・リレーです。このリレーは「新型コロナウイルスの影響を受けたグアテマラの貧困層への食糧配布プロジェクト」を応援するために企画されました。

↓グアテマラってどこ?と思った方はこちらから↓

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Hola!みなさん!
佐野さんからバトンを受け取りました、第8回目担当の久保瞳美です。

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(私は右から2番目です)

私は、委託養鶏事業MAYSOLのインターン生としてグアテマラに滞在していました。

今回は「食糧支援プロジョクト」の支援地域であるウィタンがどんな所か、私のエピソードを交えてお伝えします!

ブログリレーNo.5の織田さんが紹介する地区とは異なる、ブエナビスタ2(1と3もあるそうです)という地区で私は生活していました。

①トリリンガルの人が結構いる

生活し始めてまず驚いたのが、時々英語で話しかけられることでした。グアテマラの公用語はスペイン語です。ウィタンに来る前にはグアテマラ第2の都市、ケツァルテナンゴ市に住んでいましたが、英語で話しかけられたことはありませんでした。

私が空いたバスで一番後ろの座席に座っていて、わざわざ隣に座って英語で話しかけられたときは、笑ってしまいましたね。好奇心旺盛!!

ウィタンの方々はマヤ系先住民でマム語を母語とします。小学校でスペイン語を勉強して話せる方もいるため、英語を加えると三カ国語話せることになります。すごい!

実は、英語で話しかけてきた方は全員男性で、アメリカへ出稼ぎに行った経験があったのです。出会った方で、一番長くアメリカにいた方は23年間。一時期、一緒に働いていた方は、向こうで出会ったスペイン人との間に子供を授かりましたが自身が帰国しなければならず、妻子はアメリカにいるそうです。「いつか絶対にアメリカに戻る!」と言っていました。またご家族に会えることを願っています。

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こちらは宿屋のご主人で出稼ぎ経験者。スペイン語で話しかけても英語で返されます!部屋を訪ねてきて、「日本に帰国したらこれと同じ物を買ってきて。」と頼まれたときの写真。シマウマ柄にラインストーンの着いたベルトでした。

ウィタンでは多くの家庭から家族の誰かが出稼ぎに行っています。

出稼ぎ経験者の方の話によると、アメリカへは陸路で30日程かかり、費用は10,000USドル。当然払えないので、アメリカに着いてから1年間はその返済のために家族に仕送りはできなかったそうです。仲介する人によって金額は変わると思いますが、あまりにも高くて驚きました。

農村部から出稼ぎに行く人が多く、山岳地帯にある他の地域でも同様に英語でたくさん話しかけられたことがありました。

みなさん、家族のために命がけでアメリカへ行き、働いています。

②水が出る時間が気まぐれ。場所によっては出ないけれど

地区によって差があるそうですが、私が当時住んでいた地区では早朝から午後3時くらいまでは水が出ますが、終日出ないことや、夜7時まで出ることもありました。次に住んでいたところには水道が通っていなかったため、週に数回、貯水槽に給水し、かつそこから給水タンクに遷す作業が必要でした。

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給水の様子。オレンジのチューブの先が貯水槽です。落ちてくる雨水も逃しません!

時々水が切れましたが、その度に本当に水は生活に必要不可欠で大切なものだと実感しました。服はドラム缶でまとめて洗うなどして節水に努めていました。

ウィタンに住み始めて2日目、水を貯めていない状況で終日水が出ませんでした。しかし、心の声が届いたのか(日本語ですが・・・)、その夜、近くに住む家主が「水ないんじゃないの?これ使って。」と壺いっぱいの水を持ってきてくれたのです。

そして翌日の晩は、

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誕生日会に呼んでくださりました!家族は20人くらい。
ケーキに顔を突っ込んだお父さん。還暦のお誕生日でした。

来たばっかりの外国人の私を気にかけ、大事な家族の誕生日会に呼んでくれ、なんて心が暖かい人たちなんだろう!と思いました。

ちょっとくらい不便でも、こうやって助け合えるのがウィタンです。


③サウナで身を清める

ウィタンでは各家庭にある、テマスカルと呼ばれるサウナで体を洗います。古代のマヤ人もサウナに入っていたらしく、古くからの文化が受け継がれているようです。

写真がないので絵でお伝えします!

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こちらが私が入ったテマスカルの内部です。高さは120〜140cmの間でしょうか。身長155cmの私が腰を曲げて入る必要がありました。

明かりは蝋燭一本。熱した石、水、お湯が用意してあります。そして庭で取った葉付きの枝。出た時に体を覆うコルテ(民族衣装の巻きスカートで、広げるとかなりの大きさになる)。

熱した石にお湯をかけて蒸気を発生させ、内部を温めます。ジュワッと蒸気が出てなかなか暑いです。

石鹸を泡立てて体を洗い、熱湯と水を混ぜて丁度いい湯加減にして使います。そして、葉つきの枝で体を叩きます。私もたくさん叩いてもらいました!

とても温かく気持ちがいいですが、長く入っているとのぼせてしまいます!私はテマスカルから数十メートルの所に住んでいましたが、のぼせてコルテを巻いたまま運ばれたことがあります。「歩けない」と何度口にしたことか・・・。みなさんもお気をつけてくださいね!

私がよくお世話になったご家族は、週に一度このテマスカルに入っていました。

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ちなみに髪の毛は、このピラと呼ばれる流し台で、石鹸を使い洗います。標高が高く朝晩冷えるので、日中にここで洗えば風邪を引かずに済みますね!


④薪は生活必需品

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ウィタンでは薪を使って生活している方々が多いです。

料理やテマスカルの準備に、薪は欠かせません。薪割りも大切な仕事。13歳の彼女も薪割りがとっても速いです。ちょっと照れくさそう!

私もやりましたが、かなりきついです。斧を振るのではなく、下ろすイメージ。ブログリレーNo.1で加藤さんがウィタンの人々の肉体について触れていますが、子供の頃からの薪割り・薪運びの習慣も肉体を強化させているのではないかと思います!

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これはオコテという、脂を含んだ松の木です。火を付けると暫く燃え続けるため、着火剤として使われています。近所の方が分けてくださりました。ありがとう!

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各家庭にはこのようなか竈(かまど )があり、この中で薪を燃やします。煙突が付いており、煙は屋根から外へ出るようになっています。私も挑戦してみましたが、慣れていないため、薪に火を着けるのが大変で、頑張って口で空気を送っていました。

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この竈を使って料理を作ります。私もスペイン風トルティーヤ(オムレツ)を作ってみました。火力の調整も簡単にできないのでとても時間がかかりました。

ウィタンの夜は寒いので、竈は暖を取るのにも使えます。
料理をしながら暖を取れて、一石二鳥です!
不便に感じる薪生活ですが、竈の前で家族団欒で過ごすのもいいですね。


⑤他人を助けたり、誰かと分け合う優しさを持っている

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滞在中は、とてもたくさんの方に助けられました。

ある日、車が溝にはまって2時間近く動けなかったことがありました。試行錯誤しましたがうまくいきません。途方に暮れていると突然、草むらから男性が現れて指示を始めました。渋々、指示通りにしたところ、あっという間に車が動けるようになりました。

道で数匹の犬に襲われそうになった時は、近くの家から住人が現れて石を投げつけて追い払ってくれました。

他にも、坂道の途中で車の荷台に私を乗せてくれたり。

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「かき氷〜かき氷〜」の音と共に、かき氷屋さんが近づいてくると「ヒトミも食べな!」とかき氷を買ってくれた同僚。ティエンダ(日本でいうコンビニのような商店)へ行ったからと、他の誰かのためにもお菓子やジュースを買ってきてくれることもしばしば。いつも一緒に働くみんなのことを考えてくれていました。

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女の子がたくさんのナッツやフルーツをくれたことも。

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「ちょっと寄っていきなよ。」と招待してくれる近所のお母さんたち。当時は一人で住んでいたので、こうして気軽に声をかけてもらい、近所の方と仲良くできたことはとても嬉しかったです。

実は数年前、ウィタンで住民の暴行事件が起き、警察が対応したところ、警察署が放火されて火事になりました。それ以降、ウィタンは危険地域とみなされ、現在は警察が常駐できていません 。それに加え、コミュニティはとても閉鎖的で、非先住民のグアテマラ人さえも受けつけないと聞いていたので、外国人である自分がここに住んで大丈夫なのか?と少し不安に思っていました。しかし住んでみると、みなさんとても穏やかで、本当にたくさんの方が良くしてくれ、顔見知りになったら声をかけてくれるようにまでなりました。

これは、ウィタンの方々が心優しいのはもちろんのことですが、現地出身のマネージャーが日々の仕事で、会社と滞在している私たち外国人の信用を作ってくれたことも一つの大きな理由ではないかと思います。

グアテマラの他の地域もそうですが、他者を助けたり、誰かと分け合う優しさを持っている方がとても多いと感じます。


⑥実はパワースポットがある

ある日、ウィタン出身のマネージャーに、見せたいものがあると言われ、ここに連れて来られました。

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この丘は、ウィタンの人々にとってとても大切な場所だそう。
登っていくと、

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赤、黄、黒、白、緑、それぞれの色に意味があるマヤの十字架が立っていました。

なんとここは、16世期にスペイン軍と戦って負傷し、ウエウエテナンゴ(グアテマラ北西部の県)からウィタンに逃げてきたマム族の王様、カイビル・バラムのお墓なんだそうです!離れたところにご家族のお墓もあるそうです。

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今でも儀式に使われているらしく、煤がたくさん付いていて煙も出ていました。

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「はい、トルティージャ!」

みんなで記念撮影!

マネージャーによると、ここは「母なる大地」で特別な場所。不思議な力があるらしく、このあたりを工事しようとすると事故が起きたり、出てくるはずのところから水が出なくなったりしましたが、ここできちんとお祈りをしたら、あっという間に水が出てくるようになるなど、不思議なことが起こったそうです。

とても忙しいマネージャーですが、わざわざ時間を取って私達を連れて案内してくれました。非先住民であるMAYSOLの社長もここに案内したそうで、彼がマヤ人の末裔として、そしてウィタンの人としての誇りを持って生きていると感じました。

ついでに、別の地域にあるマヤの祈祷場所で撮った写真がこちら。

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何枚かがこのようにボヤけてしまいました。後ろに穴があるのですが、その辺りだけきちんと写っています。

マヤ民族が古くから信仰している神の影響かもしれません・・・。

⑦年に2回、遊園地がやってくる

ウィタンには6月と12月に移動式の遊園地がやってきます!これは、通称フェリアと呼ばれるお祭りです。

マネージャーに「私は興味ないけど、行きたいなら連れて行ってあげるよ。」と言われました。半年に一度しかない機会なので連れて行ってもらうことに。

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いつもこの通りは商店が並んでいるだけですが、この日は屋台がたくさん出ていて賑やかです。奥には何やら観覧車のような乗り物があり、人が並んでいます。

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あれ?マネージャー?満面の笑み!
彼が一番楽しそうでした!!

グアテマラの観覧車は、高速で回転する上に、座席は前後に揺れ、捕まる物は手前にある一本のバーのみ!安全ベルトはついていません!

私は観覧車に乗る勇気がなかったので、もう少しゆっくり動く乗り物に勇気を出して乗ってみましたが、

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マネージャーの弟さんに大変お世話になりました。一緒に乗ってくれてありがとう!

大人も子供もとても楽しそうで、また半年後のフェリアをきっと心待ちにしていることでしょう。ウィタンには、この地域から出たことがない人もいるそうなので、このように遊園地がやってくるのはとても嬉しいですね。


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ウィタン最後の日。近所の人が窓の中まで顔を入れて別れの挨拶をしてくれました。いつもオフィスの前で元気一杯に走り回る子供と、そのお母さんたちからはたくさん笑顔をもらいました。


みなさん、遠い日本の裏側で生活するウィタンの人々の暮らしや人柄が少し想像できましたか?
ブログリレーNo.1とNo.5にもウィタンのことが書かれていますので是非お読みください!

本ブログリレーを通して、少しでもグアテマラに興味を持っていただけばと思います。

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新型コロナウイルスの影響を受けたグアテマラの貧困層への食糧配布プロジェクト」の詳細はこちら↓

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このnoteでは、この国に関わる様々な日本人による、魅力いっぱいのグアテマラ情報を発信しています。ブログリレーの他のエピソードはこちら↓

次回は、ここウィタンと同国有数の観光地アティトラン湖周辺に滞在していた石田彩華さんが、約6ヶ月の滞在中にグアテマラ人から学んだ大切なことを伝えてくれます。一体何を学んだのでしょうか?是非ご覧ください!

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