哲学者「東浩紀」&温泉旅館「松本本箱」
松本駅からバスで30分の浅間温泉に行ってきました。
ちょうど「松山市の道後温泉」「上田市の別所温泉」「甲府市の石和温泉」みたいな位置づけで、温泉って鉱泉のように掘れば出る場所にあるわけではない(地質学的には断層の裂け目や火山の近くに出やすい)と思うのですが「都市と温泉→日常と非日常」の地理的位置づけが、非常に面白い関係ではないかと思います。
かつては、道後温泉と同じように市街と温泉地を結ぶ路面電車が走っていたそうですが、1960年代に廃線になったそうです(今は1時間に1〜2本の路線バスが走るのみ)。
さて、1年半前に東浩紀の「観光客の哲学」を読んだのですが、松本十帖の宿泊施設「HOTEL松本本箱」は、東浩紀の観光客の哲学のコンセプトを見事に具現化した宿泊施設ではないか、と思ったのです。
「見たいものだけ見る」という行動経済学でいう確証バイアスが、ネット環境のフィルター機能によってますます強化され、アメリカを中心に分断の世界を誕生させて久しいですが、彼のいう「観光客」という概念は、一旦確証バイアスから離れて「偶然性」に身を任せてみよう、という概念。
「見たいものだけ見る」のではなく、違う環境に自分の身をおいて普段みないものを見るにあたっては、温泉地での環境とともに松本十帖のブックストア松本本箱は、まさに普段見ない「知」を体験するにはもってこいの環境。
松本本箱の本を選書&ディレクションした「BACH 幅允孝」によれば、
との如く、あらゆるジャンルの良書を、来訪者にビジュアルプレゼンテーション(VP)していくことで、偶然が引き起こす新たな知の発見をしてもらおうというコンセプト。
宿泊して、4時間ほど松本本箱に滞在したのですが、私が新たに発見したのは、つげ義春の「貧困旅行記」。
ここで購入して、すっかり「つげワールド」にハマってしまいました。
【哲学関連書籍について】
松本本箱では、現在進行形の哲学としては、私の見た限り、最先端の哲学だと個人的に思っている竹田青嗣や西研などの哲学者グループの本が1冊もなく(別棟のカフェ「哲学と甘いもの」で平原卓の本が1冊のみ)、彼らが相対主義と呼んでいる、ポストモダン系の書籍が幅を利かせているのは、やはり過去にポストモダンの世界が建築から芸術や文学まで幅広く展開された影響か。
なんとなく「ポストモダン→おしゃれ」というイメージがあるので、本施設来館者のような業界系の人にウケやすいからかもしれません。でもそれでは彼ら彼女らに「偶然の発見」ができないことになってしまう。哲学書に関しては選定の再考を願いたいものです。
ちなみにカフェ「哲学と甘いもの」では、哲学書を静かに読むカフェというコンセプトなので、利用客は読書者のみで、とても落ち着く素晴らしい空間です。
*写真:松本十帖「カフェ哲学と甘いもの」&「HOTEL小柳」
(2022年2月撮影)
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