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「反穀物の人類史」人間の家畜化

引き続き「反穀物の人類史」から。

⒈定住社会の誕生は「人間の家畜化」をもたらした

この説も非常に興味深い。「人間の家畜化」には2パターンあって

(1)定住社会における、人間と動植物の共進化による人間の家畜化
(2)原初国家における、人間(支配者)による人間(被支配者)の家畜化

(2)国家誕生後の「人間の家畜化」については、近代以前の国家(=専横のリヴァイアサン)とは一体何だったのか?の全く新しい斬新な視点で、これもちょっと唸らざるを得ない仮説なので別途展開しますが、

今回は(1)の国家誕生前の定住社会=ドムスの人間の家畜化について紹介。

この家畜化概念は、人間も生物の一種であり進化の法則からは逃れられないことを意味しています。

人間も動植物も生物学的には遺伝子の継承とその増大こそが目的である以上、ドムスの枠組みの中で、家畜化によってその目的を達成しようとしてきたのです。ドムスは、いわば人間と動植物の共進化のための舞台

ちなみに自然科学的思考は事実を紡ぐ思考なので、この説は人間含む生き物が意志を持って共進化したのではなく、たまたま家畜化種の方が、野生種(原始人&動植物の野生種)よりも環境適応できたという説になります。

哲学的には「これは善いことなのか悪いことなのか」という「価値観の視点」と自然科学的思考の「事実の視点」のせめぎ合いとして認識しても、面白い思考実験になります。

⒉人間の家畜化によって不幸になった人間

定住社会では、人口圧によって飼い馴らし(農耕や牧畜)の比重を増やさざるを得なくなって以降、人間は不健康になってしまいます。特に肉や木の実中心から穀物中心の食生活になったことで栄養不足が常態化。身長は低くなり、骨や歯が弱くなり、鉄分不足で貧血気味に。

ちなみに最近里山での農業生活が自然に親しむ生活として人気がありますが、そもそも人間は生物学的には狩猟採集に適した身体構造なので、腰をかがめて作業するなどの農作業には向いていません。農作業は非常に不健康な労働であり、山中や草原を動き回って狩りや山菜取りをする働き方の方が本来の人間身体に適応した労働。

著者曰く、

ホモ・サピエンスが農業へと運命の一歩を踏み出したことで、わたしたちの種は禁欲的な修道院に入ってしまった。そこでは、いくつかの植物と(とくにメソポタミアでは)コムギまたはオオムギに組み込まれた注文の多い遺伝子時計が、つねにわたしたちの勤行を監視している。

本書第2章

として農業という名の不健康な生業の始まりを嘆きました。とはいえ、種の保存と繁栄という生物の法則にしたがえば「人間の不幸よりも人間の繁栄を優先する」ので、不健康な生活になったことで人間は人口を増やすことが出来たのです。生物学者の更科功的には、これは「残酷な進化論」の典型的な事例。

⒊植物による人間の家畜化

一方で、家畜化された動物や植物を主語にしてドムスを見てみるとどういうことになるでしょう。作家のマイケル・ポーランは、

庭いじりをしていて突然、忘れがたい瞬間に、この見方が閃いたと記している。ジャガイモが元気よく育っている周囲の雑草を抜き、鍬で土を掘りながら、ふと、知らないうちに自分がジャガイモの奴隷になっているように思えてきたという。

本書「第2章」

動植物は、人間に育てられやすいよう遺伝子を組み替え、形質転換することで、種の繁栄を謳歌しているのです。例えば穀物の野生種は、

頭部が小さく、すぐにはじけて自分で種をまいてしまう。不均等に成熟するし、長い間休眠していた種子でも発芽する。多くの器官・・・はどれも草食動物や鳥を諦めさせるためのもの

同上

ですが、これでは人間に育ててもらえません。そこで穀物は人間が育成しやすいよう適応進化します。

農民は穂がはじけないでそのまま収穫できる穀物、生育期や成熟期が決まっている穀物を求める。・・植物として種皮が薄いもの、一斉に熟するもの、脱穀が容易なもの、間違いなく発芽するもの、そして包皮や付属帯の少ないものが、並はずれて収穫に貢献する。

同上

穀物は、野生種のままの品種よりも、人間が育てやすい農産物の品種に適応進化することで種の繁栄を謳歌。実際、今でも小麦・米などの穀物は人間に食べられやすいよう進化したことで、最も繁栄している植物種の一つになっています。

逆に人間の方は、穀物が融通のきく農産物になったことで、穀物(上記のジャガイモも)によって人間は家畜化されてしまいました。

著者によれば、人間は穀物によって、コムギ・オオムギのメトロノームに合わせるように人間生活が統制され従属させられたと表現。

例えば日本でも、農民は、お米が順調に育つよう、田んぼを耕し、灌漑し、種を蒔き、雑草を抜き、猪やカラスを追い払い、収穫し・・・と見事にお米の奴隷と化しています。宗教生活や歳時期もお米の育成に合わせて執り行われ(鍬入れの儀式・収穫祭など)、人間が生きていくためには、我々は、100年前に化学肥料が開発されるまで(1913年「ハーバー・ボッシュ法」以降)、お米の言いなりになるしかなかったのです。

⒋動物による人間の家畜化

動物も同じです。人間に家畜化されることで種の繁栄を謳歌します。そして人間も逆に動物の面倒をみることで家畜化されてしまう。

イヌやネコ、さらにはブタがどのようにして狩猟民やドムスに引き寄せられていったかは間違いなく理解できる。そこには確実に食べ物があり、暖かさがあって、獲物が手に入ったからだ。こうした動物は強制的に駆り集められたのではなく、程度の違いはあっても、とにかく自発的にドムスにあらわれた。

同上

動物は人間に強制的に家畜化されたのではなく、人間を怖がらず、人間に親和的な遺伝子をもった種が、人間の生活世界=ドムスに近寄り、更に適応するよう進化したことで、家畜化したともいえます。

この辺りは、ジャレド・ダイアモンドの世界的ベストセラー「銃・病原菌・鉄」に詳しいですが、家畜化した動物はもともと野生種の段階で、家畜化されやすい特徴を備えています。

群れで行動すること、そしてそれに付随する社会的序列があること、様々な環境条件に耐えられること、食餌の幅が広いこと、密集生活や病気への適応力があること、監禁状態でも繁殖能力があること、そして最後に、外的な刺激に対する恐怖ー逃走本能が比較的弱いこと

同上

この結果、家畜化動物は、進化の法則からは最も成功した種の一つになったのです。

地球の陸生脊椎動物の全生物量に野生動物の占める割合はたった3%ほどでしかなく、四分の一は人間、ほぼ四分の三が家畜だ。

「ママ、最後の抱擁」第7章

このように家畜(食肉の場合のみ)は、人間に食べられることで種の繁栄を謳歌し、家畜になれなかった野生動物は、アフリカの端っこの方で細々と生きるしか、または絶滅するしかありませんでした(日本列島では、ニホンオオカミは絶滅し、オオカミが家畜化したイヌは、850万頭でますます数を増やしている)。

食用家畜の場合は、寿命を全う出来ずに人間によって屠殺されてしまうという不幸な生き物であると同時に、生物学的には最も成功した幸福な種ともいえるのです(これも「残酷な進化論」ということか)。

*写真:ニュージーランドの牧羊(2018年撮影)
    ニュージーランドの総人口約500万人(2020年7月現在)、そして羊の数
    
はなんと約2670万頭。家畜化によって種の繁栄に成功した羊です。


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