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『人はどこまで合理的か』 論理の限界とその対策

ここからは『人はどこまで合理的か 上』における個別の知見について。

一応、著者は初心者向けに解説してくれているのですが、対象者は「大卒レベルぐらいのアメリカ人」をターゲットに事例を作っていると思われ、われわれ日本人にはイメージしにくい事例が多く、正直いってわかりにくい。なので他の専門家の知見も加味しながら自分の頭の整理含めて以下メモります。

今回は合理性のうち「論理」についての知見。

論理とは、真である「前提」から、真である「結論」を導き出すこと。

哲学の世界では、すでに論理の限界は明確になっていて、古代ギリシャ時代にソフィストがいかに相手を説得するか、に論理を使って自分に都合の良い結論を導き出したり(これを詭弁という)、日本ではオウム真理教が世間を騒がせた時代に「ああ言えば上祐」という、流行り言葉もあったぐらい。

論理の限界について、本書では経験論者ヒュームの「論理的命題と経験的命題が根本的に異なること」や、

ヴィトゲンシュタインの家族的類似性、いわゆる私たちの意味理解は家族に見られる身体的類似性と同じように「言語ゲームの単位ごとにに共通する人々のやり取りに依存していること」などを事例に出して論理の限界性を紹介。

したがって私たちは合理的思考は重要でありつつも、誤った論理(「誤謬」という)には気づく必要があると著者は提言しています。

■論理の検証「形式的再構成」

形式的再構成とは、論証を分解して一式の前提と条件文へと解読すること。そうすれば、論理の飛躍や命題そのものの欠陥に気づくことができるといいます。

例えば本書第3章のアンドリュー・ヤンという民主党の大統領立候補者によるベーシックインカム導入のための論法を著者が要約。

別にベーシックインカムを著者が否定しているわけではないのですが、以下の論法は、疑わしい内容と論理展開がいくつか、あります。

① 今、世界で最も賢い人々(※1)が、12年後にはアメリカ人の3分の1が自動化によって職を失う(※2)と予測している。

② アメリカの現在の政策では、この危機に対応できない。

③ アメリカ国民が収入源をもたなければ(※3)、先行きはかなり暗いといわざるをえない。

④ 消費税を財源として、毎月1,000ドルを支給するベーシックインカムを導入すれば、すべてのアメリカ人が自動化の恩恵を受けられる。

※1:世界で最も賢い人々
 
世界で最も賢い人々が予測したからといって未来に起きることは事実にはならない(アインシュタインも近未来の予想を間違えた)。
→「世界で最も賢明な人々が何かを予測するならば、それは事実になる」という条件が必要

※2:自動化によって職を失う
自動化によって職を失っても新たな産業が生まれ、新たな職につける可能性もある。

※3:収入源をもたなければ
果たして収入源はベーシックインカムしか方法がないのかどうか疑わしい。
→論理の飛躍。あるいは、収入源はベーシックインカムが最も有効な手段という前提が必要。

このように一つ一つ論理を分解して個別に検証する癖をつければ、その論理に説得力があるかどうか、判断しやすいというのが「形式的再構成」。

■非形式的誤謬かどうかの検証:藁(わら)人形論法の事例

次に著者が紹介するのが非形式的誤謬。非形式的誤謬は論理的には一見正しくみえ、なんとなくそうだなって思ってしまいがちな論法。

非形式的誤謬は、様々な形でウェブ上で公開されているというので、日本における一覧表ないかなと思ってググったら、公立函館みらい大学の作成した一覧が一番わかりやすかった。

その中でも、ひとつ時例をあげると「藁人形論法(ストローマン)」が面白い。

藁人形論法とは、相手の主張を不当に言い換えて攻撃する論法。

最近統計学の勉強でお世話になっているYouTuber「謎解き統計学:サトマイ」によれば、ひろゆきがよく使う論法とのこと(以下動画は、なんと260万回以上の再生実績!)。残念ながら、というかピンカーの説明よりサトマイの説明の方が100倍わかりやすい。

藁人形論法をサトマイの事例で紹介すると、ある番組での「ひろゆき」と「とろサーモン久保田」とのやり取り。

「ドラマや映画で主演者が不祥事を起こした作品そのものを止めるべきか」というお題に対して、
久保田が

作品そのものに罪はないし、関係者にも金銭的損失が出るから、止めないべき」

と主張したのに対し、ひろゆきは

「殺人をした人がでたら映画の興行成績がよくなるけど、そうやって金儲けてしていいんですか?

と反論。

これが「わら人形論法」です。ひろゆきは「犯罪を犯したことで注目を集めて興行成績を上げることは許される」という架空の藁人形を召喚して藁人形に釘を刺したのです。

久保田の「作品に罪があるかどうか、損失が出るかどうか」という論点を提示したのに対し 「 殺人者を出して儲けているかどうか」という別の論点(=藁人形)を出して論点をすり替えているのです。

その他本書では「つまりあなたが言いたいのは論法」「ゴールポストを動かす論法」「お前だって論法」「衆人に訴える論法」「権威に訴える論法」などなどを紹介。

■非形式的誤謬かどうかの検証:権威に訴える論法

特に「権威に訴える論法」に関して、ある人が12人のノーベル賞受賞科学者が唱えた非合理的な説を列挙したところ、その中には「優生学」「占星術」「特殊なハーブ療法」「科学的人種差別主義」などなど、数えきれないほどの非合理的主張が含まれていたといいます。

つまりノーベル賞受賞科学者であっても完全ではなく、特に自分の専門外のことに関しては、われわれ庶民とほとんどそのリテラシーは変わらない、ということです。

これは私も実感していて、この前某有名大学の経済学教授の方と話したのですが、自分の専門は非常に詳しいんでしょうが、資産運用などの一般的な金融の話を私がすると全くの門外漢で、全然分かってないんですね(=経済学者であっても経済学の一部のはずの金融リテラシーは低い)。


専門家は、自分の専門以外は「ただのおじさん、おばさん」と変わらない場合が多いのです。

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