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「読み解き古事記 神話編」 書評

<概要>
古事記上巻を中心に、日本の神々から皇統に至る神話の数々を、丁寧に解説した新書。

<コメント>
古事記の専門家、三浦佑之さんの著作は、1年前に読んだ「古事記神話入門」以来。

最近は、ギリシャ神話と日本の神話をパラレルで勉強しているので、その類似性について一度整理してみたいと思っています。

そして最近感じるのは、神話というのは、全てがフィクションというわけでもなく、過去にあったエピソードを面白おかしく整理して、誰もが楽しめるよう編纂されたもの、つまり今でいえば歴史小説みたいなものではないかと思いますが、歴史小説ほど史実に近いかどうかはファジー。

実際には、神話だと思っていたものが歴史として記録される事例も多い。ギリシャ神話のトロイ戦争もそうですし、漢代の歴史家、司馬遷が書いた史記も当初は全て神話に過ぎないのではないかと思われていましたが、調査すればするほど史記を裏付ける内容がぞくぞく発掘されているというから、古事記においても今後史実として歴史学の世界で扱われる内容も増えてくるのではないかと思います。

三浦さんの著作の面白いところは「実際にはこうだったんじゃないか」という調子で書いてあるので、神話としての物語性はもちろん、その物語に隠された「ほんとう」にタッチできそうな感じを読者に提供してくれるところ。

そして三浦さんによれば、古事記はヤマト政権が列島を制圧する過程を神話にして後代に語り継がれていくよう整理された物語ではないかとしています。

例えばライバルだった出雲政権を国譲り神話として、あたかも従順に従ったみたいに書いてあるだとか、本書では触れられていませんが、ヤマトタケルの東征も神話として語り継がれるよう、面白おかしく脚色しているように感じます。

一方本書では、因幡の白兎の神話も出雲政権が因幡地方、つまり島根県が鳥取県を侵略して制圧する物語。「ヒメをもらう」という行為も、国譲り同様、その地方を制圧するという喩えではないかと著者は推論しています。そして出雲政権は翡翠を求めて新潟県の姫川まで進み、上流を辿って安曇野経由で諏訪湖まで到達します。なので島根県から北陸三県、そして長野県諏訪市に至るエリアは、オホクニヌシ系統の神々が信仰されているというのも面白い(別途、東京都・埼玉県界隈も氷川神社として)。

例えば諏訪大社は、オホクニヌシの息子のタケミナカタ(建御名方神)が祭神です。

そして日本は湿気の多い温帯モンスーン気候であることから、「生」は草のように、雨後の筍のように、生まれてくるという。したがってわれわれ人間も古事記では「植物から誕生した」というのも、砂漠気候で誕生した一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)よりも、同じモンスーン気候のヒンドゥー教に近い(=多神教)のではないかと思います。

明治維新政府は、記紀神話をベースに近代国家のナショナルアイデンティティを確立しようという一環で、フィクションとしての神話を現実=リアルにマッチさせようと、橿原神宮を整備したり、高天原から神々が降臨したという高千穂や、ニニギやホヨリ(ヤマサチヒコ)の墓を整備する中で、鹿児島県と宮崎県がお墓をどっちに設置するかで揉めたというのも、今の時代からみれば微笑ましいエピソードです。

私からみれば、神話の世界なので、むしろリアルがどこかは神話の中でのストーリー性の想像力が膨らむような場所であればどこでもよく、よりストーリーにマッチした場所であれば、アニメの世界の聖地巡礼みたいで面白くなったのではと思います。

■哲学的には
①ストーリーの面白さや文化としての「神話=物語の視点」(共同的確信)
②三浦佑之さんの「神話に基づく史実の推論」(共同的確信)
③考古学的成果に基づく合理的推論としての「歴史学の視点」(普遍的確信)=史実と言われる領域
複数の視点(=コード)を意識しつつ、頭の中でコードを切り替えながら愉しむといいかなと思います。

*写真:鳥取県 米子城跡&中海


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