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「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 書評

<概要>

関係性を重視する東洋人。個別の概念の本質を重視する西洋人。論理による対立よりも良好な関係性を重視する東洋人。討論を重視して論理の整合性を追求する西洋人。討論は避け、お互いの妥協点を探る東洋人。このように東洋人と西洋人の認知方法の違いについて社会心理学的見地から紹介した著作。

【東洋人の包括的思考】
人や物といった対象を認識し理解するに際して、その対象を取り巻く「場」全体に注意を払い、対象とさまざまな場の要素との関係を重視する考え方

本書260頁

【西洋人の分析的思考】
何よりも対象そのものの属性に注意を向け、カテゴリーに分類することによって、対象を理解しようとする考え方

同上

<コメント>

社会心理学(文化心理学)の手法に基づき、アメリカ南部人は「名誉の文化」を重視するとし、生まれ育った社会文化によって個人は規定されるという仮説をさらに発展させて、東洋と西洋の違いについて著者ニスベットが大胆に推論した著作。

ニスベットのいう東洋人と西洋人とは、

*東洋人=中国及び中国文化に大きな影響を受けた人(中国・日本・韓国など)
*西洋人=ヨーロッパ文化に身をおく主にプロテスタント系の白人  

なお、カトリック系(イタリア・フランス・スペイン等)や米国ヒスパニック系・アフリカ系については、本書でいう西洋人と東洋人の中間というイメージ。

さて「本当に東洋人と西洋人でこんなに違うのか」と本書を読むとその違いに驚きます。そして「確かに」と思ってしまう。しかもそのルーツは「西洋人は古代ギリシア文化」にあり「東洋人は古代中国文化」にある、というのも、その生態学的背景とも相まって非常に面白い。

■古代思想の比較

ここでは
「関係」によって個を規定する「東洋」
「属性」によって個を規定する「西洋」
という対比になります。

(1)東洋人=中国思想

中国では個人よりもまず氏族や村落、そして家族といった「集合体の一員」としての個人であり、個人が単独で存在する、という考え方がない。常に個は関係性の中で存在しているのです。古代中国人が理想とする幸福は、調和の取れた人間関係の中にあり、儒教においても家族から天下に至るまでのスムーズな状態こそが理想とされていました。なので組織や階層のシステムにしたがって定められた役割を全うすることこそが彼ら彼女らの日常。

中国人が世界を見るときの姿勢は、個々別々の対象物の寄せ集めとしてではなく、ひとまとまりのサブスタンス(実体)として捉えるということ。

例えば、中国の思想では抽象概念がありません。「白さwhiteness」という概念がない。代わりに白鳥の「白」、雪の「白」という「白」はあります。常に具体的な現実の姿を重視するので、抽象的な「原理」よりも現実的な「関係」として世界観を規定しているのです。

(2)西洋人=古代ギリシア思想

古代ギリシア人は、個人の主体性の観念に基づき、自分の人生を自分で選択したままに生きる、という考え方。

中国人のように自然と自分とは連続した塊(カタマリ)の中にある、という考え方とは真逆で、宇宙から人間と人間の文化を除いたものが自然であると定義し、客観的な外の世界と内の世界を区別。

特にアリストテレスの著作を読むとこれを実感できます。全ての対象物を分類し、カテゴライズして属性別に整理し、その上でそれぞれの対象物の目的を明確化する、そしてその目的に向かってアレテー(能力)を最大化していくことこそがあるべき姿だ、みたいな感じ。

現代の「ECサイトの構造」でも古代から続く東洋の「関係」と西洋の「属性」という認知方法の違いが生きているのは驚きです。中国ECは「ヒト軸」、つまりヒトの関係性の信用度合いからサイトが構成されている一方、西洋ECは「モノ軸」、つまりモノの属性=カテゴライズによってサイトが構成されているのです(詳細は以下)。

■思考の違いが生まれた社会的背景

(1)古代中国

中国は沖積平野が広大で、稲作によって支配と被支配の関係を形成する典型的な穀物国家。稲作ではお互いに協力しあって土地を耕す必要があるため、スムーズな人間関係=調和こそが最優先。どんな状況においても常に気を配り、権威者の様子を伺いながら生活していたので、さまざまな人間関係や義務の網の目の中に自己がいると感じていました。稲作社会で生きていくためには「集団の中の個」として生きていくこそ、幸せにつながるのです。

(2)古代ギリシア

ギリシアの国土は山岳が多く、海岸線付近まで山が迫っているため農耕に必要な沖積平野が狭隘。こうした生態環境では狩猟、牧畜、漁労、貿易(海賊含む)が生業となり、これらはあまり他者を必要としない仕事。したがってギリシア人は、

他者との関係に縛られることなく、他者を含めた対象物や、それに対する自分の目的に注意を向けることができた。収穫のプランを立てたり、羊の群れを移動しさせたり、羊の群れを移動させたり、新しい商品を売ったら儲かるかどうかを調査したりする際に、他者に相談する必要はほとんどなかった。だからこそ対象物の属性に焦点を当て、カテゴリーに分類し、対象物の動きを予測したり制御したりするための規則を見出そうとするようになったのかも知れない。

本書49頁

■各種心理学の知見に基づく東西の違い

東洋人と西洋人の違い、つまり、東洋の関係を重視するのか、西洋の属性を重視するのか、が明確に分かれるという実験結果が多数。

(1)子供向け初級読本の違い

①アメリカ
「ごらん、ディックが走っている。ごらん、ディックが遊んでいる、ごらん、ディックが走っている」
 →関係性よりも個の動きに焦点を当てている

②中国
「兄は弟の面倒を見ます。兄は弟を愛しています。弟は兄を愛しています」 
 →個は常に関係性の中にある

(2)日米の母親の振る舞いの違い

 発達心理学者アン・ファーナルド&ヒロミ・モリカワの実験。おもちゃを使った母と子のコミュニケーションの実験。

①日本人の母親
実際におもちゃの受け渡しを子供とすることによって「ありがとう」という感謝の言葉を教える。礼儀などの社会的な約束ごとを教える回数がアメリカ人よりも2倍多い。

②アメリカ人の母親
おもちゃを指し、その名前を教え、その属性について説明(車には車輪があるというように)。対象物の名前を言う回数が日本人よりも2倍多い。

(3)関係とカテゴリーの対比実験

発達心理学者リャンファン・チウの実験。「牛」と「鶏」&「牧草」の絵を見せ、牛と一緒にするとしたらどっちか尋ねる。

本書159頁より

 ①中国人  :牛と牧草を選択 →関係で世界を見ている
 ②アメリカ人:牛と鶏を選択。  →カテゴリーで世界を見ている

このほか、社会学者渡辺雅子によれば、日本の教室では「HOW」という質問がアメリカの教室の2倍発せられるが、アメリカの教室では「WHY」という問いが日本の教室の2倍近く発せられるらしい。ここでも状況思考型の日本に対し、目的思考のアメリカということで、関係と属性の対比が見事に当てはまります。

■その他、東洋と西洋の違い

(1)言語の違い

これも面白い。属性やカテゴライズに関心のある西洋人の言語は「名詞」主体に言語が構成され、関係性に関心のある東洋人の言語は「動詞」主体に言語が構成されているといいます。

(2)企業の見方の違い

日本だけの雇用形態=メンバーシップ型雇用は、戦前の大企業が西洋の軍隊組織や官僚制度を民間企業に適用させたことにそのルーツを持ちますが(小熊英二)、元々東洋人にとっては馴染みやすい制度だったとも言えます。

世界中のあらゆる資本主義形態を分析したという「七つの資本主義」著者ハムデンターナー&トロンスペナールスによれば、中間管理職に調査した結果、東洋人と西洋人で以下のような違いがあるとしました。

【東洋人】
企業とはそれ自体一つの有機体である。企業における人間関係は、物事を一つに束ねる上でなくてはならない要素と考えられている。
【西洋人】
企業とは別々の職能を発揮する人々が寄り集まった原子論的なモジュールの社会


こうやってみると「ジョブ型」は見事に西洋人の見方に近いので、現時点においては企業は西洋型にシフトしていかないと立ち行かない、ということなのかもしれません。

以上、東洋人と西洋人の認知方法の違いは、古代にはじまって未だにその違いが継続しているわけですが、過去に紹介した政治体制についての分析も、全く社会心理学の成果と同じ結論。「関係」の中国VS「個」のヨーロッパです。

そして翻訳者の村本由紀子が最後に面白いことを言ってます。

皮肉なことに「西洋VS東洋」という二分法的なモデルを用いることは、ニスベット自身がやはり分析的な思考の持ち主であることの現れでもある。

本書263頁

本書も西洋人ならではの成果物ということなのでしょう。



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