トルコからみた世界『トルコ 中東情勢のカギをにぎる国』内藤正典著
<概要>
現代国際情勢におけるトルコの役割とその存在価値について、解説した著作。2015年出版なので情報は古いが、東西の橋渡しにして西側から見たイスラーム圏の窓口、そしてNATO加盟国という、トルコならではの独自のポジショニングが興味深い。
<コメント>
西欧列強からの圧力を自力で回避し、最後には民主的近代国家を立ち上げた、という点で、日本とトルコはよく似ています。
ところが、近代国家を成り立たせるために活用した大義名分が真逆というのが面白い。
近代化においては、西欧もトルコも、いかに宗教から脱却して民族アイデンティティーを主軸にした近代国家を成り立たせるか、が課題だったのに対し、日本の場合は、いかに宗教(=国家神道)を国教化することで民族アイデンティティーを醸成し、近代国家を成り立たせるか、というのが課題。
この後日本は連合軍に負けて「宗教的」近代国家から「民主的」近代国家に生まれ変わる一方、トルコは近年、民主化が進むことによって「再イスラーム化の方向に戻る」というのも面白い流れです。
以下、興味深かったエピソードをピックアップ。
▪️「宗教抹殺」を目指したトルコとフランス
西欧の中では、特にフランスがキリスト教の呪縛を完全に払拭する政策、つまり「ライシテ」という厳しい世俗主義を採用。
フランスは徹底的にカトリック教会を公の場から排除するために、1905年「国家と教会の分離法」を制定。個人が公の場に宗教を持ち込むことを禁止。
フランスは、シャルリ・エブド事件に代表されるように、イスラム教・キリスト教など宗教に関係なく、宗教への冒涜とも思える批判に関しても「積極的表現の自由」が保証されています。
日本人的には「そこまでやらなくても」と思うのですが「徹底的に宗教を排除する」という「ライシテ」的考え方は、今でもフランス国民の血肉となって生きている、ということだと思います。
一方でライシテ政策は、公の場には「宗教の自由」を持ち込ませない、という、ある意味「非民主的」な政策でもあるので、この辺りの整合性が、法律上どうなっているのか、は興味深いところです。
フランスのライシテ政策に倣ったのがトルコ共和国で、イスラームを公の場に持ち込ませないため、服装も女性がヴェールやスカーフを被ることは禁止し、昔のオスマン風の服装を着用することも禁止。日本の近代化政策:断髪の奨励、帯刀の禁止、名字の義務化などと同じです。
イスラーム教の自由は、私的な場でしか保証されず、公の場では宗教チックなことは禁ずることで、500年以上に及ぶオスマンの呪縛から脱却しようとしたのが、建国の父ムスタファ・ケマル(アタトゥルク)が目指した世俗国家としてのトルコ共和国だったのです。
したがって、民主化が進展すれば、当然ライシテ政策(トルコでは「ライクリッキ」)も後退せざるを得ず、「公の場でもヴェールを被りたい」というイスラーム教徒の自由はエルドアン政権によって実現。
イスラーム教徒が大半のトルコでは、民主化が進めばイスラーム教を公の場で表現する自由も要求されるのは当然のことでしょう。
▪️住宅問題の「イスラーム的」解決
メキシコや南アフリカなど、そこそこの中進国に旅行すると、大都市郊外に巨大なスラム街をみかけます。私たちのような観光客が絶対行ってはいけない場所で、ブラジルではファベーラが有名。
トルコにもかつて「ゲジェコンドゥ」というスラム街がイスタンブルやアンカラ、イズミール郊外の周辺の丘にべったり張り付くように存在。上記のような大都市では、ゲジェコンドゥ住民が人口の半分以上を占めていた、というのですから相当な密集地帯です。
他国ではいまだ未解決のスラム街ですが、トルコではイスラーム的方法によって完全に解決させてしまったのです。
イスラーム教には「富の再分配」の考え方があり、この辺りは仏教とも似ています。「儲けた人は儲けの一部を紙に差し出し、困窮している人に富を再分配しなければならない」という考え方。
喜捨はイスラームの中でも最重要の勤めのひとつ。コーランでは
具体的には、
とのように、エルドアン政権では政府直轄の公共住宅管理庁(TOKI)が、公有地に勝手に家を建ててしまった住民にその土地の登記簿を無償で与え、新しく建てた集合住宅に転居させその土地はTOKIが安く買い取る。買い取った土地には高級マンションを建てて不動産市場で売り捌く。
こうやって、スラム街を完全になくしてしまったのです。
▪️エジプトの軍事クーデタに反対しなかった米国
ミャンマーの民主政治を踏み躙ったミャンマー軍ですが、エジプトでも全く同じ構図。公正な選挙で選ばれた民主政権(モルシ大統領)がエジプト軍に踏み躙られてしまい、現在のシーシ政権に。
かつて利権を貪ってきた軍事政権(とその取り巻きたち)は、民主化によってその既得権益は奪われてしまうのですから、暴力でクーデターを起こしてまたその利権を取り戻そうとするのです。
それではエジプトの軍事政権(シーシ政権)は、ミャンマーの軍事政権と同じように国際社会(というか欧米社会)から、批判され、制裁を受けたのでしょうか?
答えは「ノー」です。それでは個別に見ていきましょう。
⑴アメリカ
アメリカは懸念を示したものの「クーデタ」とは認めずじまい。年額13億ドルもの軍事支援をエジプトに供与しているアメリカは、クーデタ認定してしまうと、この支援をストップせざるを得ませんが、これはアメリカにとっては出来ない相談。
イスラエルとの関係が強いアメリカからみると、数少ないイスラエル友好国であるイスラーム系国家エジプトの軍事力低下は、イスラエルにとって都合が悪いので軍事支援はやめられないのです。
また、エジプトで民主政権が続いてしまうと、イスラエル友好→パレスチナ友好に政策転換される可能性が高くなってしまい、エジプトの軍事クーデタによる独裁化はアメリカにとっても都合が良かったのです。
あれだけ民主主義を標榜し、他国(イラクやアフガニスタン含む)に民主主義を押し付けてくるアメリカであっても、民主主義よりも大切なものがあるのです。
⑵サウジアラビア・UAE・クウェート
独裁国家ばかりのアラブ主要国も皆、軍事クーデタを支持。エジプトの民主化は草の根型イスラーム主義(=ムスリム同胞団)の台頭を意味するため、イスラーム独裁国家たる彼らにとっては都合が悪いのです(カタールはムスリム同胞団支持)。
部族長が支配する湾岸国家では、部族長の都合のいいようにイスラームも解釈されているわけで、民衆の都合にいいように解釈する草の根イスラームが拡散することは、彼らにとっては迷惑千万なのです。
⑶トルコ
さてトルコはどうだったか。トルコはアメリカやアラブ諸国との関係が悪化するにもかかわらず、エジプトの軍事クーデタを批判したのです。
過去に何度も軍事クーデタを経験し、イスラーム主義者が逮捕されるなどの辛い経験をしている民主主義トルコは、軍事クーデタによってまたイスラーム主義者が迫害されるのをみていられなかったから。
つまり、大半がイスラーム教徒のアラブ・トルコ・ペルシア諸国(旧オスマン領)では、民主化は草の根イスラーム化を意味するのであり、世俗主義や独裁イスラームとは真逆の方向に向かうのです。
▪️民主化と宗教との関係
本書通読に至って、民主主義と宗教の関係については、深く考えさせられました。イスラーム教徒が大半のトルコでは、民主化を進めると、再イスラーム化になります。
ですが、民主主義で大事なのは、異なる価値観の共存ですから、世俗主義「ライシテ」はある意味非民主的であって、一時的な政策としては致し方ないにしても、避けるべき政策でしょう。
ある程度民主的な考え方が国民に浸透した後は、公の場でも私的な場でも、それぞれの自由が維持できる範囲でお互いの価値観を認め合うよう、トルコも政策転換してもいいのでは、と思います。
一方で世界一の大量の移民を受け入れ、少数民族クルド人とも妥協しつつその存在を認めているなどの人権尊重の精神は他国よりも進んでいます。
ただし政権転覆につながるような案件については、徹底的に潰すなどの姿勢は、民主主義の根本を破壊する政策。
「人権は守るが反体制だけは認めない」というのがエルドアン政権。
今回の選挙では野党が烏合の衆だったので再選されましたが、もっとまともな野党勢力が誕生すれば、エルドアンも、もしかしたら厳しい状況だったかもしれません。