なぜ官僚主義国家が生まれたのか「日本史の論点」
今回は、「日本史の論点」から近代編(=明治維新→第2次世界大戦)。近代も以下の通り興味深い論点が満載で、とても興味深く読ませていただきました。
■近代(清水唯一朗著)
【明治維新は革命だったのか】
明治維新とは
江戸の蓄積を巧みに生かした革新と捉えるのが妥当
ということで、江戸時代から続く、血縁に頼らない(家は守るが)実力主義的人材育成と登用に基づく優良な官僚制度や、江戸幕府による実質的な中央集権体制をそのまま生かして、首を将軍から天皇にすげ替えたわけで、中身は大きく変わっていない、というのがポイント。
【なぜ官僚主導の近代国家が生まれたか】
先進国の事例を網羅的に集め、その中から日本に合う形を探る手法は明治国家建設に共通する作業であった
そして、学校制度の導入などによって、一番優秀な人材が軍人や官僚になる制度を確立したことで、彼らが外国のベンチマークすべき制度を是々非々で採用し、日本風に具現化していきました。この結果、
1900年代には、ほぼ全ての高等官が学士官僚によって占められるまでになった(清水「近代日本の官僚」
今話題の日本だけの特殊な雇用制度=メンバーシップ型雇用(終身雇用、年功序列、企業別組合)も、社会学者小熊英二(日本社会のしくみ)によれば、維新政府による政府主導の近代国家としての形成の過程で、西洋から導入した軍隊・官僚制度を参考に企業で取り入れられた制度で、官僚主導国家とメンバーシップ型雇用のルーツは同じだったのですね。
【日本の憲法の特徴と強力な官僚制】
これは知りませんでした。
大日本国憲法は可能な限り記述を少なくし、とりわけ改正が見込まれるものについては法令に委ねた。
ので西欧のように、その都度憲法を改正する必要がない、つまり政治的リスクをおかさずに国民の要望を制度に取り込むことができる仕組みだそう(大石「日本憲法史」)。
この仕組みは戦後の日本国憲法にも受け継がれ、日本国憲法は世界に存在してきた憲法の中でも格段に記述が少ない。この結果、官僚が立法機関(議会)に頼らずに政令・省令などの行政の裁量で物事を決めていけるので、官僚が思いのままに政治をコントロールできる体制となったのです。
【大日本帝国とは何だったのか】
植民地帝国としての大日本帝国は、台湾や朝鮮半島はもちろん、侵略や同化政策が行われたという観点にたてば、北海道や沖縄も同じ位置付けだったといいます。
先に北海道含む列島が返還され、沖縄も追って返還され、旧満州や朝鮮半島、台湾、北方領土は連合軍に占領されて、そのまま独立・他国の領土・他国の不法占拠というのが戦後の姿。
大日本帝国では、植民地とセットで国家が成り立っていたので、軍事上はもちろん、食糧安全保障上も植民地なしでは列島は成り立たない。したがって戦後植民地(北海道以外)を失った日本が深刻な食糧難に晒されたことは、それだけ植民地に食料を依存していたことを表すという。
植民地では政治の実験的立場も意味もあり、台湾や朝鮮では植民地総督のもと、先進的な政策が試行錯誤されたこともあって若手官僚に大人気だったそうですが、衛生面・気候面で過酷な環境のために早世する若者が多く、優秀な人材には植民地に行かせなかったらしい。
以上、最新の歴史学によれば、だいぶこれまでの見解とも違ってきています。次回は「現代編」です。
*写真:2021年春 千葉県野田市 関宿城博物館